期待していた笑顔
それは五月も終わる頃。
「せーっかく修学旅行のお土産持ってきたのにさぁ、テンちゃんたらいないんだもーん。八ツ橋傷んじゃうところだったよ?」
「……実際傷む前に食べられてるんだから、いいだろ?」
不満そうに眉間に皺を寄せ、唇を尖らせるハナに、僕は生返事をして八ツ橋を口に運ぶ。
コレは緑茶と良く合うな。
「しかし今どき京都とは、何とも無難と言うか何と言うか」
「最初は沖縄の予定だったんだけど、他所の中学で沖縄で熱中症で何人か倒れたらしくて、避けたんだって。五月なんだから大丈夫だろー! ってみんな文句言ってた」
「ふぅん、倒れたヤツらも、そのことで沖縄に行けなかったヤツらも気の毒に」
「……テンちゃん、何かあった?」
ハナがじっ、と僕の目を見てくる。
「え、何で?」
「何か余裕ある……ていうか、ちょっと大人っぽくなった気がする。いつもなら『ま、サルどもの旅行になんか興味ないけど』って無理して悪ぶるのに」
「そ、そんなガキっぽい言い方してないだろ」
「してるよぉ。さらに『まぁ沖縄行きの飛行機だろうが清水の舞台だろうが、サルは高いところが好きだからな……』とか言いそう」
「……むぅ」
確かに、言いかねないけどさ。言い方を誇張されるとエラく滑稽に映ってしまうものなのだと学んだ。コレからは気を付けよう。
「それで、どこ行ってたの?」
「え?」
「だから、あたしが戻ってきた日、テンちゃんいなかった」
何だよ、お前は僕の予定を把握してなきゃ気が済まないのか、と言いそうになったが、ここは素直に答えることにしよう。
「あぁ……父さんと色々と回ってた……海外も含めて」
「え……何で?」
「下見。……高校の」
僕は少し気恥ずかしかったのもあって、ハナから目を逸らしたままそう言った。
「……そう、なんだ」
……アレ?
「……喜ばないの?」
僕はハナが、ようやく自分の説得に僕が折れたのだと、はしゃぐのだとばかり思っていたから、余りの呆気なさに不気味なものを感じた。
「……海外、行くの?」
ハナが僕の問い掛けを無視して、大きな瞳で真っ直ぐ僕を見ながら、さらに質問を返してきた。
「まだ決めてないよ。それを決める為に色々と見て回ってる」
「……そう、なんだ」
「うん。ハナがいつも言ってたように、中学から復帰するつもりはないけど、高校には行くつもり」
「…………」
「でも、父さんと母さんは自分の頭で真剣に考えて、自分で決めろってさ。だから、まず自分の目で見定めようと、ね」
「…………」
「……喜んでくれないの? あんなに……学校行こう行こう言ってたのに」
僕は、大はしゃぎすると思っていたハナの感情が読めなくて、少し拗ねたような声を出した。
「え、あ……うん! 嬉しいよ! 偉いね、テンちゃん」
そう言って、ハナが僕の頭を乱雑に撫でてくる。
「まだ決めてないけどな。どんな道に進みたいのかも」
「そうなんだ! あたしももう三年だから考えなくちゃなー」
ハナはさっきまでと打って変わって、明るい声でそう言って笑った。
「あぁ、ハナは――」
「でも! 七月からテニス部最後の夏が始まるから、まずはそれ!」
僕の声を遮って、ハナが真剣な顔つきになる。
「……おお、いよいよ最後の大会なのか」
「うん! 今年こそは、一回戦負けを覆したい!」
「そうか。まぁ頑張れ、明井部長」
「……うん、ありがと」
ハナの気恥ずかしそうなその苦笑いを見て、僕にはない、積み上げてきた苦労や努力が彼女にはあるのだと感じた。
おかげで、普段だったら考えるだけで嫌なことを、口にしてしまいそうだ。
「……ハナさえ良ければ、応援――」
「あたし、大会終わるまで、来ない」
だが、ハナに遮られた為、最後まで言葉には出来なかった。
「――はい?」
渋々応援に行くスタンスでいた僕は、何とも間抜けな声を上げることとなった。
「……練習しなきゃ、コレで、最後なんだから……あのメンバーで戦えるの、最後なんだから……」
ハナはうわ言のように呟くと、立ち上がる。
「……ハナ?」
「テンちゃんは、もうあたしがいなくても、大丈夫だもん」
「……はぁ?」
「あたしだって! テンちゃんがいなくても大丈夫だもん!」
「ちょっと待て……ハナ!?」
僕の部屋を飛び出し、階段を駆け降りるハナが振り返り、叫ぶ。
「大会終わったら、また来るから! お邪魔しました!」
そのまま背を向けるとハナは出ていってしまった。
「……ワケ分からん」
「痴話喧嘩? もう、インフェルノったならせめて着けなさい! 何ならあたしの作った0.0000……!」
「インフェルノってない!!」
勝手な妄想を暴走させている母さんを一喝で黙らせて、僕は部屋に戻った。
残った八ツ橋を全部口に放り込み、ベッドに倒れ込む。
……何だよ。ハナのヤツ。喜んでくれると思ってたのに……!
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