人事を尽くして“天命”を決める


「天ちゃん。ちょっと来て」


「……何?」


「ちょっと来て……座りなさい」


 母さんが僕をリビングへと呼び寄せ、ソファーへと――それも、父さんの対面側に座ることを促してくる。


「…………」


 僕は何も言わず、促されるままに腰掛けた。


 何となく空気で分かった。コレから真剣な話し合いをするのだと。


「天……」


 父さんが微笑を浮かべているものの、真剣な眼差しを僕に送る。


「はい」


「お前も、もう中学三年生だ」


 父さんはそう前置きした。


「学校、行ってないけどね」


 僕は止せばいいのに、頭に浮かんだことを反射的に口に出してしまう。


「そうだな。だけどそのことでお前が後ろめたさを感じたり、恥じる必要なんてないんだ」


 父さんが苦笑いしながらそう言う。


 少し、意外だった。驚くと同時に自分の器の小ささを自覚した。


 父さんは僕の、言われる前に自虐して自分を守ろうとしていた、半ば八つ当たりのような行為を笑って受け入れてくれたのだ。


「お前は学校に行かないと自分で決めた。そして学校での教育から逃げたワケではないと証明する為に、テストの日だけはちゃんと登校し、結果を出してきている。朝も自分一人で起きて、朝食も自分で摂って、誰に頼ることもなく自分で言い出したことを独力でやり通そうと頑張っている」


「ただの……意地だよ」


「男は意地を通してナンボだ! 信念があるから意地が生まれる! 意地を通すことは信念を貫くことなんだ! 実際お前は学校に行かないことで出来た時間を目一杯使って自分を磨いている。決して楽をする為に他のみんなと違う道を選んだワケじゃない。……お前はよくやっている。誰にも逃げたなんて言わせない。お前は父さん達の誇りだ」


 父さんがいつも通り、いや、いつも以上に真っ直ぐに熱い視線を注ぎながら断言した。


「やめ……てよ。泣かせるつもり?」


 声が上擦った。


 あの時、あんなことをしたことで、少なからず失望されたと思っていた。


 尊敬している人達に見限られているのでは、諦められているのではないかと、怖くて、情けなくて仕方なかったのに……!


 そんな、そんな風に思っていてくれてたなんて……!


 母さんが目に一杯涙を溜めたままティッシュを差し出してくれる。きっと僕を思い切り抱き締めて甘やかしたいのを必死に堪えているのだろう。


『ブビィーっ!』


 僕と一緒に、母さんまで鼻をかんでいた。


「それで、だ。天」


「はい……!」


「コレからのことをどうするか話そう」


「……はい」


「ありがたいことに、お前には選択肢がいくつもある。日本有数のエリート校からも声が掛かっているし、何なら海外からも誘われているくらいだ。向こうに行ってハイスクールの連中に混ざった時に大暴れしたからなぁ」


「……はは」


「スポーツだけじゃないわよ天ちゃん。医学、工学、音楽……色々な高専から誘いが来てるわ。まるでうん……ケーキに群がる蟻ね」


 母さん、今僕のことをすごい汚いもので例えようとしなかったか……?


「さて、どうする? 天」


 父さんが優しく、だけど真剣に問い掛けてくる。


「…………」


 僕は、答えることが出来なかった。


「…………」


「…………」


 時計の秒針が幾度も音を立て、グラスに入れられた氷が解け、からんと音を立てる。


 父さんも母さんも何も言わない。僕が自分の頭で考え、自分から言葉を発するのを辛抱強く待ってくれた。


「分からない……どうすることが自分にとって一番いいことなのか、分からないんだ」


「……そうか」


「分かっていることもある……僕は天才だ。何の努力もしてないのにどんなに努力した同い年のヤツよりも天才だ。どんなに疎ましく思っていても、僕は自分の能力を隠し通すことは出来ない。だって何をしても周りの人を驚かせ、妬ませてしまうから」


「……天」


「天ちゃん……」


「ごめんね。二人のこと、大好きだし尊敬してる。こんなにいい親はいないってくらい恵まれているし感謝してる。なのに、なのに……この才能だけは、無かったらって今でもたまに思ってしまうんだ……! でも……その癖、この才能がなかったら僕に何が残るんだとも思ってしまう! 誰も僕を見ないし愛さない、疎ましく思ってる癖に手放すことも出来ない! 僕は弱くて! ずるくて! 矛盾だらけだ……!」


「才能なんかなくても、お前は父さん達の最愛の息子だ、天」


「そうよ。パパもママも天ちゃんの為なら何を差し出してもいいと思ってるわ」


 ……父さん達はコレ以上ないくらい優しい言葉を掛けてくれる。


 ……分かっている。僕が言わせた。


 こう言ってくれるのを、分かった上で弱音を吐いた……!


『そんなことないよ』を期待して病んだ発言をするメンヘラ女みたいな真似をした。


 保険を掛けなきゃ傷つくことも出来ない。両親に本心を吐きだすことも出来ない卑怯者だ……!


「なあ天。父さん達は別にお前が幸せなら何でもいいんだぞ」


「……え」


「そうよ。世間のボケ共は、勝手に金メダルだのギネスだのノーベル賞だの期待してるけど、ママ達は天ちゃんにそんなの求めたことは一度もないわ」


 え……


「……そうなの?」


『そう(だ)よ』


「……そうなの!?」


 僕は驚く一方で、確かに言われてみれば、父さん達に賞を取って来いだの、勝って来いだの言われたことは一度もない、ということを思い出していた。


「天が後悔せずに自分を好きになってくれて、幸せだって満足出来ることなら、本当、何でもいいんだ」


「そうよ。動画配信者でもゲーム実況者でもエロ漫画家でも何でもいいわ」


「……本当に!?」


『そう(だ)よ』


「…………」


 僕は初めて頭が真っ白になった。天井を見上げたまま数秒呆けていた。


「……父さん達、僕になって欲しいものとか、なかったの? 手前味噌ではございますけど……僕、何でもできるよ?」


「それがなぁ、天」


「ええ」


 父さんと母さんが、視線を合わせてにっこりと笑う。


「お前がうんと小さい時は、そりゃあボールを投げたら将来は野球選手だ、おもちゃのピアノに触ったらピアニストだのお前以上にはしゃいだモンだが……」


「うん」


「お前に特別な才能があると分かってから、父さんと母さんは『絶対に天に何かになることを強要しない。天の意志を何より尊重すること』を鉄の掟として誓ったんだ」


「……本当に?」


「本当よ。じゃなきゃとっくにママ、テンちゃんに博士号取らせてるわ」


 ……取れるか、んなモン。


「じゃあ、ニートとか、いやいっそ、人に迷惑を掛ける間違った道に進んでしまったら?」


「その時は親として責任を持って矯正する。まだお前の身体が出来上がる前なら、父さん勝てるからな」


 いや、一生勝てる気がしないんですが……


「は、はは……はははは……」


 何だか、おかしくて仕方なかった。


 何も変わってないのに、僕が知らなかった事実を知らされただけなのに。


 勝手に重いと感じていた荷物なんて、本当はなかったのだと気づいただけなのに。


 こんなにも心が軽くなるなんて……!


 僕は笑い続けた。そんな僕を父さん達は微笑みながら見ていた。


「分かった。今はまだ決められないけど、中学が終わる前に結論を出すよ」


「分かった。どんな道だろうと反対しない。だから自分で真剣に考えて自分で決めなさい」


 父さんが満足そうに頷きながらそう言った。


「はい!」


 僕はその目を真っ直ぐ見ながら、返事をした。

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