通い花②


 それは、ようやく残暑が影を潜め、木々を彩る葉が秋の色を含む頃。


 相も変わらず、神乃ヶ原邸でハナと二人。


「それでね。文化祭でお化け屋敷やったんだ。結構本格的に出来てね。女子が一人泣いちゃったの!」


「へー」


 ここで見たかったな、という姿勢を見せたらハナの思うつぼだ。僕は平板リアクションを心掛けた。


「面白かったよ! テンちゃんも学校行こう!」


 だが無意味だった。


「……行かない」




◆◆◆◆




 それは木々も枯れ、布団の魔力が一層強力になる寒い冬のこと。


 ぴんぽーん。


 この日のチャイムは予定通りであり約束通り。


「メリークリスマス、テンちゃん! 学校行こう!」


 真っ白い息と共に口から飛び出たこの挨拶は、予想通りではあるが、予定通りでも約束通りでもない。


「学校! 行こう!」


 冬休みなのに追撃とばかりに、ハナはそう言った。


「メリークリスマス。行かない。ほら、もう母さんケーキ焼いて準備も出来てるぞ」


「わあ! お邪魔します! 後でお母さん達も来るよ!」


 子供のように目を輝かせるハナ。実際子供なのだが、それを口に出すことは、同い年の自分に跳ね返ってくることが予想できるので、僕は何も言わなかった。


 ハナからのプレゼントはネックウォーマーだった。




◆◆◆◆




「明けましておめでとうテンちゃん! 学校行こう!」


 新年の挨拶もそこそこに……というか、その流れのままハナはいつもの台詞を言う。


「明けましておめでとうございます。行かない」


 そして僕は変わらず、挨拶の流れのまま、いつもの四文字を白い息と共に返した。


「じゃあ初詣行こう!」


「行かない」


「はっはっは!! 行って来い天! お年玉欲しいんだろ?」


 ランニングでもしていたのだろうか。冬なのにタンクトップ姿の父さんが、湯気を撒き散らしながら現れる。


「……行く」


 僕はこの時ばかりの二文字を口にした。


「そうよ天ちゃん。たまにはパパとママ……二人にして」


 どこからともなく現れた母さんが、熱を帯びた瞳で言う。


「…………」


 ……やめてくれ。どんな顔して帰ってくればいいんだ。




◆◆◆◆




 それは桜舞う春の陽気の中で。


「テンちゃん! 花見と学校行こう!」


 四文字で済まさせない為の新技だろうか? ハナが同時誘いを覚えたようだ。 

 

「学校には行かないけど花見は行く。散歩くらいなら」


 僕もまた、いつの間にか覚えていた断りつつ了承するという新技で答えた。


「うん!」


 『散歩』というワードで、こんなに目を輝かせるなんて犬のようなヤツだ。尻尾があったら狂喜乱舞していることだろう。


「テンちゃん。もう三年生だよ」


「そうだな。ハナはテニス部の部長なんだろ。どんな魔法使ったんだ」


「にへへへ、一度もお休みしなかったから。みんなも『ハナがいい』って」


 ……人望あるんだな。大したもんだ。


「新入部員、何人入って来るかな~。今年は一回戦負けは避けたいな~」


「まあ、才能ないけど努力してるんだし、一回くらいは勝てたらいいな」


「うん! 才能あるけど努力してないテンちゃんはどうするの?」


「……分からない。父さんについて行ったトレーニングセンターとかで会った指導者の人とかにも言われたよ。『キミは父親と同じで団体競技は向かない』って。一人ずつ順番に戦うチーム戦ならともかくパスや呼吸を合わせるようなことは出来ない……らしい」


「……強過ぎるから?」


 前にも見せた、心配そうな目で僕を見るハナ。


「うん。それと、出来ない人が、何故出来ないのか理解出来ないからだって」


「…………」


「父さんも結構孤独だったんだろうな。でもまぁ、あの人は頭も……精神ですら筋肉だし」


 本当は、そこのところに並々ならぬ尊敬の念を抱いていたのだが、何だかそれを口に出すのは気恥かしかったので、僕は敢えて憎まれ口を叩いた。こちとら反抗期真っただ中の十四歳なのだ。


「……ふうん」


 ハナの微笑を見て、僕は胸中に秘めていた感情が筒抜けなのを自覚して情けない気分になった。


「正直、ありがたいことなんだけど……道が多過ぎて迷ってる。自分のとこに来いって言ってくれる人もたくさんいたんだ。指導者も選手も含めて。海外からも声がかかった。キミならユースで大暴れできるって」


「え……海外、行っちゃうの?」


「迷ってる。実力主義で、たとえ言葉が通じなくても、自分の力だけで雑音を生むヤツを黙らせられる世界だよ……って言葉がやたらと印象深くてさ」


「……それ、嘘だと思う」


 ハナが珍しく、少し唇を尖らせて、険を含んだ声を出した。


「……ハナ?」


「だって、同じ環境で暮らしてる人達同士ですら、会話なしでコミュニケーションなんて取れないよ? まぁ、あたしは才能ないし下手くそだから、そんな域にまで達してないだけかもしれないけど」


「……うん、そもそも僕、英語喋れるし」


「それでも! ……テンちゃん神経細いから、言葉が通じても食事が合わない下痢になったー、枕が固い寝違えたーって簡単にホームシックになって調子崩しそう」


「僕を何だと思ってるんだよハナは。あんまり子供扱いするなよ」


「子供だよ。背は、見る度に大きくなってて、声も、少しずつ低く変わってる気もするけど……それでも」


 ハナが至近距離まで寄ってきて、いつかのように僕の頭に手を置く。石鹸の匂いがした。


「は、ハナ……? 近い、よ」


 何だか突然のことで、低くなってきていると言われたはずの声を裏返してしまう。


 だがハナの言う通り、僕の身長が伸びたせいだろう。いつもより高い位置に腕を伸ばすような形になっている。


 いつかのようにだが、いつものようにはならなかったことが悔しかったのだろう。すぐ近くに見えるハナの瞳が拗ねたように狭まる。


「ハナ……?」


「とにかく、テンちゃんは甘えん坊なんだから、お父さんやお母さんや、それと――」


「それと?」


「――とにかく! 家族から離れるなんて、まだ早いよ」


 そう言って頭に置かれていた掌が滑り落ちてきて、僕の目を覆うように視界を塞いだ。


「ちょ、ハナ!?」


 突然の行為に、にわかに抗議じみた声を上げようとしたその時だった。


「もし、遠くに行っちゃって……久し振りに帰ってきたテンちゃんが、すごい背が伸びてて、声も低くて、別人みたいになっちゃってたら、あたし……やだ」


 ……今まで聞いたことの無いような、弱く、せつない声だった。


 何故だろう。僕は唐突にハナが女性だということを意識することになった。


 ……指の隙間から、ハナの髪に桜の花びらが付いているのが見えた。


 ……手を伸ばしたら、驚くだろうか?


「……なーんて!! テンちゃんは見た目お母さん似だからそこまでゴリマッチョにはならないか!」


 今度は頬にまで滑り込んできた指が、僕の顔を左右に引っ張る。


「ひででで、らんれひっはうはよ!」


「べっつにー、何となく。青っちろい肌だなーって」


 ハナがぱっと離れて背を向ける。


「ハナが黒いんだよ。日焼け止めも使ってないだろ」


「中学でそんなの使わせてもらえないもーん。黒くて悪うござんしたね」


「いや、むしろその方がハナだよ」


「…………」


「……ハナ?」


 ……そろそろ『学校行こう砲』が来るか?


「メック行こう! お腹減った!」


 そう言ってハナが駆けるように行ってしまう。


「……花見じゃなかったのかよ」


 駆け出したハナの髪から、地面に落ちた花びらを見つめたまま僕は呟く。


 ……少しずつ、背も伸びて大人に近づいてる。


 ……でも、大人になっていってるのは僕だけじゃない。


 先程のハナの至近距離での瞳や、声を思い出してしまう。


「……っ」


「テンちゃん早く~!」


 頭をブンブン振っていると、ハナの急かす声が聞こえる。


「はーい!」


 僕は足早に彼女の元へと向かうのだった。

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