4・3 死なせるものか

 カロンを刺し貫いた剣が抜かれると、噴水のように血が吹き出した。

 くずおれる彼女の体を抱きとめる。


「今助けるからな!」

「……ダメ、です……」カロンが微笑んだ。「それじゃ意味がないじゃないですか……」


 彼女を抱えて座り、胸にあいた大きな傷に手を乗せる。

 そのとき脳裏に女神の言葉がよみがえった。


『絶対にカロンの願いをきくの。それしか勝機はないのよ』


 あれはこのことか?

 だがカロンはどうなる?

 彼女の死をもってしての勝機なのか?

 それとも助かる可能性があるのか?


 いや、知るか!

 回復の力を送ろうとしたそのとき、カロンの体からふいと力が抜けるのがわかった。


「カロン!」

 《まだダメ!》

 女神だ。


 まだ?


 《あと少し待って!》

「ふざけんな、待てるか!」

「色情魔!」クレールが俺の肩を掴んだ。「見て!」


 彼が指で示す先に目を向けると、カロンの口から黒いもやのようなものが滲み出ていた。それから、

 《ようやく離れられたわ》

 と、老人のようにしわがれた声がした。魔王だ。


 ということは、これが完全に出るまで待てということなのか。だが――カロンの腕をとり脈を見る。全然感じられない。

 くそっ。

 これでも待てばいいのか?

 そうしたらカロンは助かるのか?


 《信じて!》女神の声。

 一方で、

 《あやうく死ぬところだった。聖なる力でなくて助かったわい》

 靄が細く長く伸びていく。魔界へ通じる穴に向かって。

 《ふむ。まだかすかだが息があるな。ちょうどよい》


 靄の末端のようなものが口から出きった。ケホッとカロンが小さく咳き込む。

 生きている!

 聖なる力をカロンに注ぎ込む。


 その感触に手が震える。


 流れ出た血、裂かれた肉体、カロンを形作るすべてのものよ、元に戻ってくれ。

 信心深い真面目な巫女なんだ。

 こんな目に遭うのは理不尽が過ぎる。


 血の気を失ったカロンの顔は青白く、死者のようだ。

 だが女神は、信じろと言ったじゃないか。


「目覚めてくれ、カロン」

 俺の頬を伝った涙がカロンの頬に落ちる。

 俺に惚れられたばかりに。

 身をかがめ、額にゆっくりキスをする。

 そうだ、詩を暗唱したら起きてくれるだろうか。

 アレは無理だが、新しいものを。


 言葉を探しながら身を起こす。

 カロンの目が開いていた。


「……先輩、泣いているんですか?」

 カロン!

「誰が先輩を泣かせたんですか。私が抗議してきます……」

「起きぬけからすっとぼけすぎだな」

 ダンテの声がした。いつの間にかとなりにすわっていた。

「カロン移動するぞ。ここはマズイ」


 ヤツの視線を追った先に見たことのない魔物がいた。人間の倍の背丈で醜悪な顔をし、二本足で立ち頭には天を衝くような対の角、背中には四枚の羽根があり、ふたつの手には人の頭より大きな鉤爪がいくつもついている。そのまわりをエルネストたち、遠巻きには騎士たちが囲んでいる。

 魔物から黒い光が放たれ、クレールが聖なる力で対抗する。


「なんだあれは」

「魔王」とダンテ。「カロンから出た黒いのが倒れていた魔物に入ってああなった。彼女は俺が見るから、ジスランお前はあっちの仲間を助けてこい」


 ディディエとマルセルが聖なる力で、エルネストが剣で攻撃するがまったく効いていない。


「カロン、体はどうだ?」

「全然平気です! むしろ調子いいぐらいです」カロンが首をかしげる。「もしかして先輩、私のために泣いてくれたんですか?」

 思わず引き寄せ抱きしめた。

「せ、先輩?」


 当たり前じゃないか。エルネストだって俺が泣くのは見たことがないはずだ。


 心の中だけで告げてカロンを離す。

「ダンテ、頼む」

「はいよ。見返り、待ってるからな」

 ふたりの騎士が駆け寄ってきた。

「あなたがたは我々が保護します」と騎士が言う。

「信用できるか」とダンテ。

「クロヴィス隊長の命令です。を魔王から遠ざけるように、と」


 クロヴィス。エルネストの友人か。


「わかりました。ふたりをお願いします」騎士たちに頼んでからダンテとカロンを見る。「もしものときは――」

「助けてくれと絶叫するさ」とダンテ。

「これ以上、足手まといにはなりません!」ふんす、と鼻息荒いカロン。

「お願いだから、もっと私を頼ってくれ」

「そうだぞカロン」とダンテが言う。「そのほうがジスランは安心なんだ」


 カロンが不満そうに口をとがらせる。

 ああ。本当にいつものカロンだ。

 よかった。


「なにかあったらダンテを盾にするんだ、いいな?」

 カロンにそう告げ、立ち上がり走り出す。


 魔王は勇者五人が揃わないと倒せないほど強大なはずだ。早く攻撃が届く範囲に行かないと。

 黒い光の攻撃にマルセルが吹っ飛び地面に叩きつけられる。


 エルネストが魔王にできた隙をついて、燃える宝剣の呪文を唱えながら懐に飛び込んだ。だが魔王は気づいていたらしい。


 エルネストに顔を向けることすらせずに、三つの鉤爪でヤツの体を貫いた。赤い血しぶきが飛ぶ。

 腕を振ると、エルネストの体は放物線を描いて高く飛び、そうしてべしゃりと地面に落ちた。まるでぼろぞうきんのように。

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