4・2 なんでだよ

 《ばかジスラン!》

 頭の中でアマーレの怒気を含んだ声がした。

 《カロンの意思を尊重しなさいと言ったでしょ!》


 あ。

 すっかり忘れていた。


 《『忘れてた』じゃないの! 暗唱していたら魔王に乗っ取られることはなかったわ!》

 できるか! あんな詩!


 《なんだったかしら、『カロン、俺の愛のすべて』だっけ?》


 やめろ! どこまで俺のプライベートを覗き見しているんだ。

 そうだ、魔王だ。あいつも見たんだったな。絶対に許さん!


 《ストレートに『愛しい』だとか『ヤリたい』とか書いていたわよね》


「もっと婉曲表現を使ってる!」

「どうしました!?」

 俺を抱えている騎士が驚いたのか足を止めた。

「なんでもない。おろ――」

 騎士が再び走り出す。


 《ぷふっ》と女神の笑い声。《とにかくね、おバカさん、よく聞いて。絶対にカロンの願いをきくの。それしか勝機はないのよ。わかったわね!》


 わかった。


 《あと、口調。地が出ているわよ。余裕なさすぎね》

 悪かったな!


 そう答えたのとほぼ同時に穴のある開けた場に出た。遠い空が白むもと、結界が消えかかっている。ディディエが呪文を唱えているが、明らかに光が弱い。

 騎士の腕から降ろされると仲間の元に走った。


「ジスラン!」


 アホの声が聞こえたが無視し、穴を挟んでディディエの向かいに立って手をかざす。

 その時、穴から魔物が飛び出した。三体。かなり大きい。翼がある。


「『冬のさなかに生まれいずる凍てつく炎。冷たき美貌閉じ込める冷徹、其を操るは水の精霊よ。ウンディーネ、そのお力を我に貸したまえ。永久監獄!』」

 クレールが呪文を唱えた。氷結魔法だ。いつの間に新しいものを覚えたんだ。


 ディディエの結界が失敗する。が、間を置いて俺のほうが成功した。

 その間に飛び出てきた魔物も二体が氷漬け、一体が青い血まみれになって地に転がっている。

 新しい魔物はいない。


「……これでいったん終了か?」とマルセルが誰にともなく尋ねた。

「ジスランが来てくれてよかった」とディディエ。

「色情魔はもう大丈夫なの?」とクレール。

 エルネストは無言で俺のほうへ歩いてくる。


「くそっ、またか!」

 しわがれた老人のような声がした。魔王だ!

 森の中から走り出て、今しがたまでエルネストがいた空間を横切り穴に駆け寄る。俺も彼女に向けて走る。


 森の中で騎士たちがざわめいた。現れたのが討伐対象だと気づいたらしい。


「キスしろ!」とダンテの叫ぶ声がした。「それで戻る!」


 キス?

 なんでだ?

 そんなもの、いつだってしたくてたまらない。だがカロンに嫌われたくもない。

 いや、大義名分があれば彼女は怒らないか?

 俺を嫌わないか?

 いや待て、そもそもカロンがキスなんかで戻るのか?

 卒倒するほうがあり得るよな?


「絶対に戻るから!」とまたダンテの声。


 カロンが結界に手をかざし、そこから黒いもやがにじみ出る。まったく魔力がないわけじゃないらしい。

 結界が破られる。

 躊躇している時間はない、そう思いたい。


 彼女の腕を取り、引き寄せる。

「貴様!」と、悪鬼の表情のカロン。

 これは魔王だ。

 俺のカロンを取り戻す。

 抱きしめ唇を重ねる。

 柔らかい感触。


 だがなんでこれでカロンが戻るとダンテは確信しているんだ?

 カロンも実はキスに興味があるとか?

 でもなんであいつが知っている。

 俺は知らないのに。

 なんだかんだでダンテとカロンは仲がいいからか?

 それともまさかあいつはやったのか?

 だからカロンが戻っていたのか?

 まさか!


 ああくそっ。

 カロンが俺だけを見てくれればいいのに。

 神官としてではなく、男として。

 そうしたら俺はカロンにだけ愛を誓う。





「……もういいジスラン」

 肩を叩かれる。ダンテの声だ。

「いいってば! もうカロンだ! これ以上続けたら気を失ってまた魔王になるぞ!」


 それは困る。


 唇を離す。いつのまにかしっかりとカロンを抱きしめていた。少しだけ力を緩める。カロンは真っ赤になってふにゃふにゃの顔で俺にもたれかかった。


 可愛い。

 緩めたばかりの腕に力をこめる。


「魔王じゃない、攻撃しないでくれ!」


 ダンテが叫ぶ。視線を上げると周囲にはクレールたちが、遠巻きには剣を抜いた騎士たちがいる。


「お前やりすぎ。軽いキスでよかったのに」とダンテ。「おい、カロン。大丈夫か? 意識あるか?」

「……ふぁい……」

 可愛らしい返事が返ってくる。


「こんな彼女を殺すなんてのは人間じゃないよねぇ」とクレールが言う。

「ああ、それこそ魔王だ」とディディエ。

「どこからどう見ても、可愛いお嬢さんです」とはマルセル。

 エルネストだけが口を閉ざし、やや離れたところからカロンをねめつけている。

「とにかく解決策をみつけないといけないな」とディディエが言って、ほかのふたりがうなずいた。


「ジスランが日に一度キスをして詩を捧げればいいんだ」とダンテがしたり顔で言った。

 それはやりたい。だか――

「なんの解決にもならない。カロンだってそんなのは嫌なはずだ」

「……は? お前」ダンテが顔をしかめる。「まだわからないのか?」

「なんのつもりであんな濃厚なキスをしたわけ?」とクレールも眉を寄せる。

「助けるためだ、もちろん」 

「カロン、毎日のキスでいよな?」

 とダンテが彼女に話しかける。と、


「はわ!」

 と、カロンが奇声を上げ俺から離れた。

「す、すみません、先輩。また迷惑をかけちゃいました……」

 状況を把握したらしい彼女の目の縁に、目の縁に、見る間に涙が溜まっていく。

「そんなことはない!」


 カロンが首を横に振る。その拍子に涙が頬を伝う。


「お手数おかけしてごめんなさい」

「問題ない!」

 むしろ嬉しいんだよ、俺は。


「先輩の首を締めるなんて、ありえません」とツラそうなカロン。

「あれは魔王だろうが!」

「止められませんでした!」


 叫んだカロンが後ずさる。


「こんなのイヤです。先輩の足を引っ張るのも、先輩が神官でいられないのも、先輩を傷つけてしまうのも!」

「落ち着けカロン。ちゃんと助ける!」

 またもカロンが横に首を振る。


「私を殺さないと魔王も殺せないのでしょう? 聞きました」

「別の方法を探す!」

「間に合いません。今も魔王が主導権を取ろうと暴れています。あっちの世界に行って、私に満ちた聖なる力を払おうとしているんです」


 さらに後ずさるカロン。

「下がるな!」

 彼女の後方にはエルネストがいて、手は剣の柄を握りしめている。


「カロン、こっちへ来なさい」

「魔王はものすごく先輩を憎んでいます。先輩を殺める気満々で――」ぼたぼたと涙がこぼれる。「そんなの許せないし、私は可愛い後輩でいたい!」


 カロンはくるりと背を向け走り出した。


「お願いします!」叫ぶカロン。

 エルネストが動く。


「やめろ、エルネスト――――!!」


 ヤツの持つ剣がカロンを貫いた。

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