3・3 召還してやる

 気がつくと手足を縛られ口には猿ぐつわをされた状態で、天幕の簡易ベッドに寝ていた。離れたところで小さなランプがひとつ、申し訳程度の光を放っている。俺の他に誰もいない。が、出入り口の外に騎士がひとり立っている。幕に、外の篝火に照らされて槍を持った人影が映っている。


 あのヤロウ。


 この隙きにカロンを殺すつもりか?

 俺には邪魔をさせないってか?


 ふざけんな。堅物脳筋が。他人の気持ちを推し量れないむっつり童貞。恋愛未経験の感情欠落兵隊蟻。幼馴染なら俺を助けろ。

 すまんと謝るくらいなら、こんなことをするな。


 もぞもぞと動いてみるが、縄はしっかり縛られていて緩みそうにない。呪文を唱えられないから聖なる力は使えないし、ベッドから降りて芋虫のように這って進むにしても物音ですぐに見張りに気づかれる。




 カロン……




 不安で頭がおかしくなりそうだ。

 魔王に体を取られたのは俺に原因があるのであって、カロンに責はない。なのに討伐されるのか?

 ただの善良な一市民なのに?

 命令を愚直に遂行することしかできない脳筋騎士どもに囲まれ刃を向けられる? カロンが?


 冗談じゃない。


 なんとしてでもカロンを守らないと。

 ここから逃げる方法を考えるんだ。


 首を巡らしまわりを見る。なにか事態を好転させられるものはないか。


 ランプが目に入る。

 支柱から吊り下げられているが、あれを落として幕に火をつけるのはどうだ。ボヤ騒ぎが起きればエルネストの部下じゃない騎士も駆けつけ俺を解放してくれるかもしれない。


 まずは音を立てないようにベッドから降りて――


「通せ。中に用がある」


 外で声がした。いつの間にか影がふたりぶんになっていた。


「申し訳ございません。何人たりとも通してはならないとの――」

「次期国王の言葉が聞けないか」


 ディディエだ。


「お前は誰に仕えている」

「……失礼しました」

「私が出てくるまで、黙ってそこに立っているのだぞ」


 バサリと音がして入口の幕が上がる。と同時にディディエと目があった。

「っ!」

 第一王子が息をのみ込む。俺の状態にかなり驚いたみたいだ。


 早足で俺のもとへやって来て、

「父が見習い巫女の討伐命令を出したと聞いた」

 とひそめた声をで話しながら、起こしてくれた。


「エルネストはジスラン殿はショックで倒れたと言ったのだが――固いな」とディディエが轡をほどこうとする。「――マルセルがそんなはずはない、と言ってね。大切な人が危機に瀕しているのならなにがあろうと助けようとする、ジスラン殿はエルネストと対立して身動きできない状態にあるのではないか、と――駄目だ。剣を使ってもいいか。髪を巻き込むかもしれないが」


 うなずく。


「父の判断は間違っていない。だがそれは――」


 ザシュッとの音とともに轡がゆるみ落ちた。


「彼女の中身が完璧に魔王ならば、だ。そしてもし体を取られたのが私やマルセル、ジョルジェットならば、父は確認を怠りはしなかっただろう」

 王子が手の縄も切り落とす。次は足。


「とはいえ私は国民を守らなければならない。危険と判断したら――」

「わかっています。これだけで十分です」

 抑えた声で遮り立ち上がる。その先は聞きたくないし、ディディエは次期国王だ。余計なことを言わせてもやらせてもいけない。


「私が聖なる力を使って、縄を消したのです」

 落ちた縄を拾い集め、ディディエに向き合った。

「これは私が処分を。心より感謝申し上げます。マルセル殿にもお伝えください」

 深く頭を下げる。


「私もマルセルも、恐らくはクレールもジスラン殿とは対峙したくない。なにか良い方法がないかマルセルが考えている」

 ディディエを見る。次期国王より、エルネストのほうがシビアだ。そういう点で融通のきかない脳筋は、優れた軍人といえるのだろう――と、頭ではわかる。だが、それだけだ。


「待ってはいられません」と答える。

 事態は一刻を争う。そして俺対捜索隊というのは、どう考えても不利なのだ。



 ◇◇



 殿下の足音が遠ざかるのを聞きながら、音を立てないよう椅子を端に寄せスペースをつくる。

 簡易舞台だ。

 女神は俺の奉納の舞を好きだと言った。本心か嘘かはわからないが、それに賭ける。楽の音も香炉もなければ祭服を着ていないし、そもそも禊をしていない。それでも――。


 場ができたら気持ちを整え、心中でアマーレ神を讃えながら彼女のための舞いを始めた。


 俺が職業に神官を選んだのは、ろくな理由じゃない。それでもラクに生きるために、与えられた仕事はしっかりこなしてきたし、奉納舞とていつでも完璧に踊ることができる。

 俺に神への崇敬の念は足りないだろう。だがいい加減な気持ちでいたことはない。


 だから女神よ。力をお貸しください。

 あなたの下僕はこのように、あなたをを讃える舞を舞っています。


 《稀に見る奇妙な神官よね》


 頭の中で甘ったるい女神の声がした。

 動きは止めずに舞い続ける。


 《ラクに生きるために努力する。神々を崇め奉ってはいないけれど、敬意は払う。そして無音なのに音楽が聴こえてきそうな、完璧な舞いを舞う。私、あなたを結構気に入っているのよ、ジスラン。一番好きなのは顔だけれど》


「舞をやめてもよろしいですか」

 《ダメ――と言いたいけどいいわ》


 区切りのよいところで動きを止めて、

「呼びかけに応じていただき、ありがとうございます」

 見えない女神に向かって慇懃に頭を下げる。

 《腹の底では、『出てこい、アホ女神』と罵っているのにね》

「ひとの秘密を勝手に暴露するのは、神といえども許せる行為ではありませんからね」

 《カロンのことかしら? どのみちみんな、そうだろうと予測していたわ。あなたがあれだけ惑乱したのだもの》


「言いたいことはありますが、今はやめます。時間がない。カロンの居場所を教えてください。魔王はわからなくとも、彼女ならばわかるのではないですか?」

 《人間に手を貸しすぎると、私は消滅させられるのよ。奉納舞と引き換えでは割に合わないと思わない?》

「教えてください」

 《いやね。『カロン以外はどうなろうと知るか』だなんて。もうちょっと本心を隠しなさいよ》

「ひとの内心を読むあなたに、どのように隠せというのです」

 《傲慢でプライドが高くて負けず嫌い。それが本当のあなたよね。うまく繕っているけど》


 続けて『よいしょ』と中年のような掛け声がして、目前にアマーレが現れた。


 《危険を冒す見返りを要求するわ。魔王を倒し終えたら人間をやめて私の小姓になりなさい》

「わかりました」

 《即答?》

 女神が目を見張る。

 当然だ。カロンが助かるのならば、俺の身なんてどうでもいい。


 《……冗談よ》

 女神は胸をたぷたぷ揺らしながらベッドに腰掛け足を組んだ。生足が根本から丸見えで、エルネストがいたらまた鼻血を出すこと間違いなしの光景だ。


 《まずひとつ》と女神。《カロンの体は今、彼女の意識が制御している》

「本当か!」

 カロン! やっぱり消えてなんかいなかった!

 《嘘じゃないわ。ふたつ。ダンテとともにあなたに会うため、こちらに向かっている。捜索隊を避けて行動しているわ。討伐について耳にしたのかもねぇ》


 ああ、と安堵のためいきと共に全身の力が抜ける。

 良かった。これなら望みはある。


 《みっつ。前例を探しているけど、魔王やその他のものに体を取られた場合の有効策はみつかっていない》女神が憐れむような顔をしている。《神々にそれとなく訊いてまわりもしたの。答えはみんな一緒。『器ごと滅すればいい』》


「わかりました。神官は辞めます」

 《ダメよ。許さないわ。それにね、自我を失わなかったカロンがすごいの。だから解決した前例がない。もちろん、ジスランの力があってこそのことだけど、彼女の意志の強さも相当なものよ》

「さすがカロンだ」

 《……真面目で信心深い巫女見習いだからではないわよ》

「え?」

 《まあ、いいわ。ふたりのもとに送ってあげる》

「ありがとうございます」


 再び頭を深く下げる。


 《ジスラン》

 顔を上げ、女神を見た。俺の名前を呼んだ声は甘ったるくなく、むしろ神々しさがあった。

 《いいこと? カロンの意志を尊重しなさい》


 それはどういう意味――と問おうとしたが、そのとき俺はすでに森の中にいた。

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