3・1 〔幕間〕ダンテと魔王
(ダンテのお話です)
「良い隠れ家を教えろ」
老人のようなしゃがれた声でしゃべるカロンを見る。
王宮の門からほど近い路地裏。気づいたらふたりきりでここにいた。
「どうしたカロン。なにがあった。声がおかしいぞ」
明らかにカロンではないが、わかっていない阿呆のフリをする。
「フンッ、愚かな人間よ。我は魔王よ。この女の体をとってやった」
魔王。こりゃ予想以上のものが入っていたな。だが魔物にカロンの体が食い破られなかっただけマシだ。しかも『隠れ家』だと? 今のこいつは逃げ隠れしなくちゃならない状態らしい。
「なるほど、魔王か。神殿の俺の僧坊でいいか?」
「ほかにしろ」
「んなものはない」
「あるだろう、親の屋敷とか愛人の家とか」
「親兄弟、親類縁者なし。愛人ゼロ。ジスランじゃあるまいし、普通の神官にそんな相手がいるもんか」
「ならばこいつの家だな。連れていけ」
「知るか。都からひと月かかるど田舎、とだけならわかるが」
カロンの体を乗っ取った魔王が、ぐいっと俺に迫る。
「貴様、理解しておらぬようだな。我は魔王よ。貴様のような虫けらを殺すなど造作もないこと。とっとと場所を提供しろ」
「そんなことを言われても。俺が死んでも悲しんでくれるようなヤツはいないしな」
ジスランの顔が浮かぶ。
……薄情な男じゃない。巻き込まれた俺を憐れんではくれるだろう。
「あんたはなんで隠れ家が必要なんだ?」
「虫けらには関係ない」
「だが食事がほしいとか寝る場所さえあればいいとかの条件はあるだろ? 腹が減っているのに、朽ちた掘っ立て小屋に連れていかれても困るだろうが」
「……上質な寝具と食事があるところにしろ。我には休息が必要なのだ」
「了解」
休息ねえ。
起きたばかりなのに。
今ごろジスランのもとに、カロンがベッドの中から消えたとの連絡がいっているだろう。きっと蒼白になって心配しているはずだ。なにかしらの情報をあいつに伝えてやりたい。
「いや待て。カロンの姿なんだ。王宮にいれば至れり尽くせりじゃないか。声を出さなければバレないぞ」
消えたことは見間違いと言い張って。無論嘘だとバレバレだろうが、信じたふりをしてもらえばいいのだ。
「却下」
「どうしてだ。仲間がくる穴とやらも近いぞ」
「却下は却下だ」
ふむ。王宮は都合が悪い、と。一度消えたときになにかがあったということだな。すでにジスランに正体がバレているのかもしれないぞ。魔王はジスランを恨んでいる。相見えて負けて退却してきたのかもしれない。だから休息。
うん、なかなかいい線をいっているんじゃないか?
「ひとつ聞きたいのだが、どうしてカロンに入ったんだ」
「イェレミアス――ジスランとやらの大切な女だからだ」
フハハハハと笑う魔王。
「そうか。ジスランの恋人になりたいのか」
「は?」カロンが悪鬼のような表情になる。「貴様、ふざけるのも大概にしろ。我は人類を滅亡させられる魔王ぞ」
「カロンの姿で凄まれてもな」
「あやつを絶望させてやるのよ! 大事な娘が魔王の姿となり人間を蹂躙するのをとくと見せてやるのだ」
魔王の姿?と首をかしげる。
どこからどう見ても、ただのカロンだ。表情は彼女らしくはないが。
「この女が人間どもに恨まれ討伐の対象になるのよ。さぞ悔しかろうよ」
フハハハハとカロンが笑う。
「……となると、隠れ家の提供はできないな」
「死にたいのか!」
カロンの姿をした魔王に詰め寄られる。
「連れて行った先の人間を殺されるくらいなら、俺が死ぬ」
ぐぬぬ、と魔王。
「……良かろう。今回だけは隠れ家の人間は殺さぬ」
「ならば考えよう」
信用はできないが、どうやら俺は利用価値があると思われているようだから、それを逆手に取らないと。
とはいえ思い浮かぶ隠れ家なんて、ジスランの実家かシヴォリ侯爵夫人をはじめとした取り巻きたちの元ぐらいだが……。
ふと引っかかりを感じて首をひねる。
「魔王。どうしてカロンが大切な女だとわかったんだ?」
確かに彼女はジスランの唯一の存在だが、あいつはそれを隠している。気づいているのは俺だけ。ヤツの性格を考えたら幼馴染にも打ち明けてはいないだろう。
普通なら、ジスランの大切な人間は愛人たち、と思はずだ。
「詩を捧げていたのよ」魔王はこともなげに答えた。
詩? この前カロンが話していたアレか。愛人たちに贈るとかいう。
「あっ、貴様また……」
魔王が焦った様子を見せた。なんだ?と思っていると、
「先輩はもう詩を書いてくれたのですか!」
とカロンの声がした。
「カロン!」
魔王の表情が変わっている。彼女のいつもの表情だ。
「先輩の詩、読みたい……」
はらりとカロンが涙を流す。
「カロン!」
俺は彼女の手をとり、握りしめていたものを渡した。
「これは?」
と彼女が手の中を見る。
「ジスランが作った新しい護符だ」
カロンの夜着の隙間に入れてあったそれを、目覚めた魔王は真っ先に投げ捨てた。俺はヤツが消えたあとに拾い、ずっと持っていたのだ。
「魔王はきっと護符が嫌いなんだ。しっかり持っていろ」
カロンがはらはら涙をこぼしながら、『先輩』とつぶやく。
「がんばれカロン! ジスランのために体を乗っ取られるな!」
「私……中に魔王が……」
「わかってる、ジスランの元に行くぞ」
うなずいたカロンが護符をちぎり始めた。
「また食べる気か!」
「はい。目が覚めてから、魔王の考えがわかるんです。護符が、というか先輩の力が込められたこれが苦手みたいで」
ぐるん、とカロンの表情が変わった。猛々しい魔王の顔だ。
「ジスランの詩! 読みたいのだろ?」
再び彼女の顔が変わる。泣き出す寸前の顔。
「正巫女のお祝いになんでも贈ってくれると言うから、お願いしたんです。私、ずっと羨ましくて」
「それなら絶対に読まないとな。いや、あいつならきっと暗唱してくれるぞ」
彼女を
カロンは泣きながら護符をちぎっては飲み込みを繰り返している。
「……先輩の足手まといにはなりたくないのに……」
「それは違う」
あいつがどんなにカロンを大事に思っているか。
だがこれは俺が伝えていいことじゃない。
「ジスランはカロン無しじゃなにもできない。頼りきっているからな。だからあいつは絶対にカロンを守る」
「でも迷惑をかけてます。……意地を張らずに実家に帰ればよかった。先輩に神官のお仕事を休むから、その間に帰省しなさいって言われてたんです」
「いつ?」
「勇者が決まったとき」
「つまり魔物が都に現れるとわかったときか」
泣いているカロンを横目で見る。
ジスランが完璧に恋情を隠しているのだとしても、カロン自身も相当に鈍い。
ならばこれくらいは言ってもいいか。
「それはきっと、カロンを危険から遠ざけたかったんだ。大切な――唯一の世話係りだからな」
「言うことをきけばよかった」
カロンが余計に泣く。
その頭をぽんとした。
「カロンが真面目なことくらい、ジスランはよくわかっている」
「違います」カロンは首を横に振った。「私、全然真面目なんかじゃありません。悪い人間なんです。だからきっと魔王につけこまれたんです」
泣きじゃくる彼女の話を聞いて、なだめる。
とにかくカロンがカロンであるうちに、恐慌をきたしているだろうジスランの元に連れていってやらないと。
あいつのプライベートがクズであることは間違いないが、神官としての在り方は尊敬しているんだ。腹の中がどうであろうとジスランは、誰よりも真摯に仕事に向き合っている。
口を裂けても言ってはやらないが。
なにはともあれ、カロンを一刻も早く――。
慌ただしい長靴の足音が迫ってくる。騎士かもしれない。
ちょうどよかった。助けを求めよう。
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