3・1 俺のカロンが
「カロン!!」
駆け寄ろうとしたところを横からタックルされて止められた。エルネストだった。
「離せ!」
「落ち着けジスラン!」
「離せ!」
「カロンじゃない! 彼女はあんなジイさんの声じゃないだろうが! 魔王の幻術だ」
「アレはカロンだ! きっと昨日ここで入り込まれた!」
「惜しい。半分のみ正解だ」カロンの姿をしたモノが笑う。「我がこの女に入ったのは昨日ではない。実体化しようとしたときに閃いたのよ。貴様らの大切な人間を我の器にしてやったら、絶望するだろうとな」
フハハハハハと魔王が高笑いをする。
「カロンはどうした!」
「我が喰ってやったよ」
「……っ!」
「我を殺したいか? だが我の器はほれ、貴様の大切な女よ。我を殺すためには女を殺さなければならぬぞ」
またも魔王が高笑いする。
「カロン! カロン!」
カロンはそこにいるのに。
頼む。いつもの声で『先輩』と呼んでくれ。
「ジスラン、落ち着くんだ。あれが魔王なら――すまん」
『すまん』?
はっとして反射的にエルネストの股間を蹴り上げる。
「ふぐっ」
と声を立ててヤツが崩折れる。
カロンの中身が魔王なら。融通のきかない堅物は有無を言わさず攻撃する。
冗談じゃない。
あれはカロンだ。本当に彼女が消えたなんて確証はない。
――そう思いたい。
「ジスラン殿! 危険です!」
今度はマルセルとディディエに羽交い締めにされた。
「カロン。返事を!」
魔王の高笑い。
「無様よな! いい気味よ!」
「カロンはいるはずだ。彼女がどれほど神官の俺を尊敬していると思う。そんな彼女が俺に挨拶もなく世話係を途中で辞めるはずがない!」
「愚かな男よ! 我が喰ったと――」
突然カロンの姿をした魔王が言葉を切った。彼女の表情が変わる。泣きそうな顔。カロンだ!
「カ――」
名を呼ぼうとしたとき、彼女の姿はかき消えた。
《人間の奥に潜んでいたのね。しかも神殿暮らしの巫女見習いだなんて。ありえないわ》
背後でアマーレの声がした。振り返るといつ降臨したのか彼女が立っていた。
《ジスラン、というかイェレミアスにというか。余程復讐をしたいのね。魔王は神殿も聖職者も苦手なはずよ》
「どうすればヤツを追い出せる?」
《わからないわ。確実なのは彼女ごと殺すこと》
「冗談じゃない!」
「……だが放置はできん」なんとか立っているが、まだ痛そうなエルネストが言う。
貴様はずっと悶えていろ!
《ただ、完全な復活はできていないみたい》と女神が言う。《殺戮が大好きなはずなのに一切攻撃をしてこなかったし、魔王の象徴の角も生えていないわ》
「カロンは喰われてなんかいない。表情が変わった。きっとカロンが返事をしようとしたんだ。だから魔王は逃げた」
ディディエとマルセルが困ったように顔を見合わせる。
「それは僕も思った。あの女性を僕は知らないけど、消える前の一瞬、確かに顔つきがそれまでのものとはまるで違ったよ」クレールがそう言ったあとに首をかしげた。「ところでいいの?色情魔。口調が変わっているけど?」
しくじった。俺としたことが。
目を閉じ息を吐く。
不安でどうにかなりそうだ。
だが、だからこそ冷静でいなきゃダメに決まっている。
「それとさ」とクレール。「あなた、彼女に怪我を負わせたの?」
「ああ、それは私も気になった」とマルセル。
「『またも気高き魔王である我に傷を負わせて』と言っていたな」とディディエ。
「……言ったか?」とエルネストを見る。
「わからん。お前を止めるのに必死だった」
覚えてないが三人が聞いたというのなら、そうなのだろう。俺はカロンに怪我なんてさせていないが――。
女神を見る。
「カロンに治癒を二回しました。その度にほかの者とは違い、最初にひどい拒絶反応をしたのです」
一度目は血が吹き出し、二度目も体をくの字にして痛がった。
《きっとそれね。治癒は聖なる力だもの。魔王には攻撃になるわ》
「よかったじゃないか」エルネストが俺の肩を叩く。
「完全復活前だからダメージが大きい、なんてことは?」マルセルが尋ねる。
《ありうるわ。角がないのは生やすための魔力が足りないのかもしれない》
「そうか!」エルネストが声を上げた。「カロンの中に魔王がいたから結界が解けたんじゃないか? 一度目も二度目も近くに彼女がいた」
《まあ本当? ならば、きっとそうね》
「じゃあ今は? 結界は無事だよ」
クレールの言葉に全員が目を向ける。確かに結界が夜暗に煌めいている。
《ジスラン。彼女にほかになにかしたかしら》と女神が俺を見た。
「今朝祝福を授けました」
《それね。ジスランには聖なる力があるもの。相当な効力があるはずよ。ちなみになんて?》
「夢見が悪いようだったので、そのことを」
女神は首をかしげた。
《魔王には効果はなさそう》
「……口には出しませんでしたが、『魔の者たちと死からも守られるように』と」
《それだわ!》
女神は笑顔で両手の人差し指を俺のに向けた。
《彼女は神の力に守られているのよ》
「カロンは今日、私が作った護符を食べもしました」
《うわぉ。最高。魔王はかなりのダメージを受けたはずよ》
「となると?」とディディエ。
《魔王は予想外の攻撃と、祝福、護符の効果でカロンの体を乗っ取ることも、力の復活も完全にはできていないのよ。むしろ弱体化したんだわ。ここに現れたのは、百年に一度の魔力ピークを迎えている魔界に行って、力を補強しようとしたためだと思う》
「だけど結界が張ってあった」とクレール。
「逃げたということは、破る力もないということか」とはディディエ。
「勇者五人を敵に回せなかったから、という可能性もあるぞ」マルセルが言って、俺を見た。「せめてもジスラン殿に精神的ダメージを与えようと、虚勢を張っていたのかもしれませんね」
《魔王も大誤算でしょうね。きっと残虐なことしか知らないから予測できなかったのよ》と言ってアマーレが微笑んだ。《愛する人を守るために人間がどう行動するか。まさか聖なる力を浴びることになるとは
……ちょっと待て。愛する人ってなんだ。俺は誰にもなにも言っていないんだぞ!
《いやねえ、ジスラン。忘れたの? 私はあなたが讃えている神よ。祈りにどれだけ彼女のことを含ませているか、自覚くらいあるでしょう?》
「そのくらいで」とエルネストがしゃしゃり出てきた。「こいつの唯一のデリケート問題なんです」
《あらそう? あんなに愛を叫んでいるのに?》
「とにかく、今後の方針を」とアホ。「カロンの捜索をさせましょう。危険があるからあくまで探すだけ。捕縛はしない」
《いいんじゃないかしら。私もまた感知できなくなっちゃったわ》
「よし。ジスラン、腑抜けるなよ。結界がいつまでもつかだってわからないんだからな」
「……わかっている」
そう答えたものの、到底いつもの俺には戻れそうになかった。
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