2・3 とりあえず安堵だ

「だ、大丈夫ですか」エルネストが真っ赤な顔をそらしながら、女神に尋ねる。「お怪我は?」


 《ないみたい。よかったぁ》


 地面に尻をつけ、足は体の外側でくの字にしている女神。もろに太腿から先が丸出し。上から見下ろしているエルネストには胸の谷間もよく見えるだろう。すぐに鼻血を出すかもしれない。


 《エルネストは一番年上なのに、一番女性に免疫がないのねぇ》


 女神がころころ笑う。緊張感ってものがない。こっちは苦しくて喋ることもできないってのに。


 《……ま、こんなところで世間話をしている場合じゃないわね。魔界の空気は私にも毒だもの》

 そう言って立ち上がるアマーレ神。

 神にっていうのなら人間にもだよな。


 《さっさと戻らなきゃ。私は手助けできないから、ふたりは自力でがんばって。もうすぐロープが垂れるわ。たぶん。じゃあね》


「ジスランだけでも」とエルネストが言う。

 《ムリよ》

 そりゃそうか。助けたら女神といえども消えるんだった。あと少し……もつか、俺?


 《じゃあね!》

 またも女神が言う。

 わかったよ。さっさと行ってくれ。


 《じゃあねってば!》

 女神は怒り顔だ。そんなに別れの言葉を言ってもらいたいのか?

 女神がダン!ダン!と子供のように足を踏み鳴らした。

 《じゃあね!》


 まさか……?

 エルネストのズボンをくいっと引っ張る。目が合ったところで顎で女神を示し、彼女のふくらはぎを両手で掴んだ。


 あ、久しぶりの女の生あ……、いや、なんでもない。


 《まあ!》

 女神がわざとらしい叫び声を上げた瞬間、景色が変わった。雲の中のような光景。


 《降臨っ!》

 ドスンと尻から地面に落ちる感覚。夜の森。マルセル、ディディエ、クレールがいる。


 《いやだぁ、ついて来ちゃったのぉ》女神がわざとらしく叫ぶ。《私が怒られちゃうじゃない! しょうがないなぁ、もう!》

 ぷりぷり怒る大根演技をしている女神の肩にはアホ面のエルネストが掴まっている。


「ジスラン! 隊長も!」

 マルセルが叫んで走ってくる。


 俺たちはドジなふりをしている女神のおかげで、生還できたらしい。



 ◇◇



 多少気分がマシになったところで自分に治癒を施し、ディディエに聖なる力を回復してもらう。

 ――それを何回か繰り返したら、なんとか普通の状態に戻れた。良かった。また倒れるのかと思った。何度も無様な姿は晒したくない。


 仕方ないからアホのエルネストも治してやった。

 ロープを持ったクロヴィスと騎士団の部下たちが、ヤツを囲んで泣いて喜んでいる。独りよがりの突っ走り野郎と不安に思っていたが、職場ではちゃんと慕われているらしい。


 地上のほうは魔物を掃討し終えてを怪我人もいない。俺とアホよりよっぽど優秀だ。


 《まさか魔界に火を放っちゃうとはねぇ。ジスランてば意外に過激》

 穴の前に立った女神がフフッと笑う。

 だがそれが効いたのか、今のところ新しい魔物は出てきていない。一応結界も施してある。


 《今のうちに魔王もちゃちゃっと倒しちゃえたらいいのだけど、どうしてもみつからないのよねぇ。きっと今日、復活すると思っていたのだけど違うのかしら》


「頼りないなぁ」とクレールが口を尖らせる。

「魔界でも存在を感じなかったのですか」


 《そうなのよ》女神は俺の質問に大きく首を縦に振った。《いったいどこにいるのかしら》


「いないなら、それに越したことはない。次のプランに移る」騎士団仲間から離れたエルネストが言う。「ディディエ殿下とマルセル殿、俺はここで待機。クレールとジスランは天幕で休息」


「どうでもいいけど、なんで僕は呼び捨てなわけ? あなたの幼なじみじゃないし、いずれは伯爵だよ?」

 不満げにつぶやくクレール。

「たぶん、子供枠なんですよ」

 ふんっとピアニストは鼻を鳴らした。

「女神様は引き続き魔王の捜索を頼みます」

 エルネストはクレールの抗議をスルーして女神に命じる。これが騎士団すべてでの通常形態なら、俺は絶対に馴染めない。アホめ。


 女神は《しょうがないわねぇ》と言って姿を消した。


「行きましょう」

 クレールを促す。

「色情魔も大概だけど、こっち組でよかった」

「クレール殿」と背後からエルネストが声をかけてきた。「呼び方は騎士団の規則に準じていた。が、ここは騎士団ではない。失礼した」


 ピシリと頭を下げるエルネスト。


「……あなたって頭が固そう。ま、許してあげるよ。観察するのは面白――」

 クレールの言葉が切れる。


 エルネストの背後、穴の手前に突然人間が現れた。白い夜着を着た女。おろした髪が風に煽られ顔を隠している。女神じゃない。金の髪ではない。暗い色をしている。カロンはダークブラウンだ――。


 心臓が痛いほど鳴っている。


「イェレミアス。いや、今はジスランか」

 しわがれた老人のような声が女からする。

「たかが人間のくせに、またも気高き魔王である我に傷を負わせおって。ほとほと許せぬ!!」


 女が髪を払う。現れた顔はカロンのものだった。

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