2・1 今更そんな

 例の池の端でひとりで訓練を始めてからしばらくすると、エルネストが仏頂面でやってきた。といってもヤツの顔立ちはそれか真顔かが基本だ。

 相手をするのは面倒なので、訓練に集中する。



「……もう水の攻撃ができるのか」

 ぼそりとアホがつぶやいた。


 そうなんだよ。やってみたら一発でできた。細かい調整は必要だが、実践で使えるレベル。

 さすがに、どうして今まで試さなかったんだと申し訳なくなる。

 だが言い訳をさせてくれ。最初に使えたのは風系攻撃で、文書から得た情報は攻撃四種、スキル五種があり使えるのはひとり一種ずつだけ、というものだった。組み合わせも以前の勇者の詳細も知らなかったから、すっかり自分は風系なのだと思いこんでしまったのだ。


 その後、文書係から新しい情報をもたらされても、イヤイヤやっている俺が勇者の中心になる《かなめ》かもしれないだなんて微塵も考えなかった。

 それに俺は昔から要領がよくてなんでもすぐにできる一方で、あとになってエルネストに追い抜かれるのが常だった。剣術も体術も馬術も。だから今回もそうなのだろうと思っていたんだ。



「ジスラン」エルネストが俺を呼ぶ。

 ため息ひとつついて、訓練をやめる。

「時間がないんだろ? 邪魔をするな。術はできるがカンペを見ながらなんだ。呪文を覚えないと」

「昨夜、結界が消える前だ」

 エルネストがひとを無視して話を進める。よくあることだが今日は普段の倍、ムカつく。

「巡回していた騎士が碑に近い場所で巫女見習いを見かけた」


 巫女見習い?


「すぐに見失ったそうだが、お前とよく一緒にいる見習いに似ていたと証言している」

「カロンか?」


 エルネストがうなずく。


「そんなはずがない。城には近づくなと言ってある」

「彼女が消えた直後に結界が消滅している」

「……なんだよそれ。カロンが関係あると言いたいのか?」

「事実を話しているだけだ」

「事実? その騎士は見習いらしき人物を見ただけで、カロンとの確証もないんだろ?」

「巫女見習いの祭服を一般人が着ることはない。祭服は厳重に管理しているみたいじゃないか」


 確かに処分するのにはひと手間はある。だが管理しているわけではないから数は数えていないはずだ。それに――


「だとしても巫女も見習いも僧房にいなければならない時間だ。もし本当に見習いだったとしても、どれだけの人数がいると思っているんだ。カロンに似た風体の女なんて何人もいる」

「彼女の様子におかしなところはなかったか。今日会ったんだろう?」


 やけに顔色が悪かったのを思い出す。

 俺に触れた彼女の指先の冷たさ。


「ない」

 と答えるが言いようのない不安が込み上げてくるのは、どうしようもなかった。



 ◇◇



 邪魔な隊長を追っ払い、ふたたび訓練に集中をする。

 だがそれも長くは続かなかった。背後に気配がすると思い振り返ったら、おさがいた。


「なんでこんなところに?」


 そういえば馬車の音が聞こえていた。荷運びだと思ったんだが、長を連れてきたのか。


「重要な話がある。天幕に戻りなさい。ダルシアク宰相もいる」


 それはまた、まずそうな話じゃないか。

「わかりました」

 素直に応じて地面に置いた、呪文の書き写しが大量に入ったカゴを手にとる。


「ジスラン」と長。

「なんでしょう」

「昨晩はご苦労だった」

 脳裏にあの光景がよみがえる。

 黙ってこうべを垂れる。


「アマーレ神よ。あなたの忠実なる嬰児みどりごに溢れんばかりのご加護を」

 長が祝福を授けてくれる。個人に、わずか一週間で二度目。なかなかあることじゃない。



 ◇◇



 四つある椅子のふたつに長と宰相がすわり、その前に勇者部隊とクレールが並んだ。城に行ったはずのディディエたちも戻ってきていて、バルトロはまたも隅に控えている。

 重鎮ふたりは俺たちよりも疲れた表情だ。聞かされるのは、どう考えても嬉しくない話だ。


 宰相が手短に昨晩の戦闘を労う。それから、

「私たちは重大なことを隠していた」と告げた。

「どういうことですか」マルセルが声を上げる。

「初手を間違えた」と宰相。「言い訳に過ぎないのはわかっている。だが」と彼はエルネストを見た。「陛下の覚えめでたい王宮騎士と」次に俺。「長が才を認める神官が勇者だということに、はなはだ動揺したのだ」


 眉間に深い皺を寄せた長と目が合う。


「勇者の選定基準が顔だったのは、初代だけだ」と宰相。

「初代だけ……」ディディエがつぶやく。「ならば私たちは?」

「初代の魂に近い魂の者だ。だから全員を見つけるのに時間がかかった」


 選定基準は顔ではなくて魂。


「ならばクレール・フィヨンでなければならないということですか」

 俺が尋ねると、宰相と長がうなずいた。

「子を持つ親として」と宰相が言う。「まだ十四の少年に勇者をさせたくはない。だが代替はきかないのだ」

「我々は一丸となって粛々と任務に当たるのみです」


 エルネストが言う。

 このバカがっ。

 お前、ちょっとは少年の気持ちを考えろよ。死刑判決を告げられたようなもんなんだぞ。


「黙っていたかったが、ジスランは少年をよしとはしないだろうと思ってな」と長が苦しそうな顔で言う。「お前の博愛精神はご婦人以外にも発揮する。不埒で軽薄な言動が目に余るとはいえ、間違いなく良き神官だ」


「……なぜ隠す必要があったのですか」長を見て尋ねる。

「陛下、宰相、私の三人で伝えないほうが良いと判断した。女神はおっしゃったのだ。魔王の最大の目的は勇者への復讐だ、と。初代がいない以上、狙われているのは魂が近い者だそうだ」


 長の眉間の皺が深くなる。 


「お前たちが聖なる力を授かったのは、討伐のためと同時に自衛のためでもあるのだ」

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