1・3 嘘だろ、俺が?
魔界に通じる穴の周囲はきれいに片付けられていた。魔物の死骸すらない。ただ下生えは二種類の血で汚れていた。
俺は結界を張ると天幕にバルトロと共に入った。中にはエルネスト、ディディエ、マルセルの三人だけがいた。城から運んだと思われる、天幕には不釣り合いな立派な椅子にすわっている。
「体調はどうだ」とエルネストが開口一番に訊く。
「悪くない。よく休ませてもらったからな」
答えてから王子と公爵令息に挨拶と、休息の礼を言う。
「聞いていると思うが」とエルネスト。「殿下とマルセル殿も結界術を習得された」
「三十分しか持たないが」と王子。
「いずれ長時間になるでしょう」
「どうかな」と答える王子。
「ジスラン、座れ」
ひとつだけ空いていた、エルネストのとなりの椅子に腰掛ける。バルトロは隅に控えた。
「ミーティングか?」
「ジスラン」とエルネストが答える代わりにまた俺の名前を呼んだ。「俺たち今回の勇者の《
「……は?」
なんだって? こいつ、酔ってでもいるのか?
ディディエを見る。と、うなずかれた。
「私の攻撃分野は風だった」と王子が言う。「ジスランが使う術はすべて習得した」
「それは殿下が《要》だからでは?」
「違う。スキルを考えろ」とエルネスト。「風のお前が治癒を使えた。そのことから前回の勇者とは得意分野とスキルの組み合わせが違う――お前はそう主張したし、それに反する状況もなかった。だが前回の風使いのスキルは聖なる力の回復だ。そして火の俺は魔物使役。昨晩試して成功した」
「ジスランの結界が長時間持つのは《要》だからと考えられます」とマルセルまで言う。
「《要》はジスランだ。自覚しろ」とエルネストが宣告するかのように言う。
「まさか! 俺だぞ? 逃げられないから仕方なしにやってるだけなんだぞ!?」
「知っている。だから自分が《要》だとは考えなかったんだろうが、お前にはこれから全分野の攻撃を習得してもらわなくちゃならない」
エルネスト、ディディエ、マルセル、バルトロの顔を見渡す。
――これは冗談なんかでも、アホの世迷い言でもない。
俺は五人の勇者の中心になるべき勇者だった。
ふざけるな。勇者ってだけでもイヤなのに。
俺はラクに生きたいんだ。なんでそんな面倒な役目を。
だが――
立ち上がる。
「思い込みで無駄に時間を費やし、みなさんに迷惑をおかけした。申し訳ありません」
王子と公爵令息に向かって頭を下げる。
「迷惑なんてかけられていないが」と王子の声がする。
「この三日、私たちの指導をし、結果を張り続け、相談にものり、叱咤し、昨晩は大勢の騎士を救った。何人分の活躍をしていると思っているのですか」公爵令息が言う。「ジスランは私たちに感謝されることしかしていません」
「彼は案外、真摯なひとですからね」バルトロの柔らかな声がする。
「あと一日だ。時間がない」とエルネストが言った。
◇◇
訓練をするために天幕を出ようと立ち上がったところで、外から、
「失礼します」と声がした。
入れとエルネストが命じると、出入り口の幕が上がり騎士がひとり入ってきた。となりには怒り顔の美少年。都内で知らぬ人間はいないだろう宮廷楽団所属のピアニストだ。まさかとは思うが――
「陛下より、女神が最後の勇者をお選びになったとのお言葉をお預かりしております」と騎士。「そしてこちらが」と傍らのピアニストを示す。「その勇者様でございます」
狼狽した様子のディディエ、マルセル、バルトロと顔を見合わせる。
「フィヨン伯爵家長男のクレール様です」
紹介し終えた騎士は、では、とさっさと退出した。
嘘だろ? 彼が最後の勇者?
まだ子供だぞ。
「クレールは
「十四ですよ」ぶっきらぼうな口調。
王子は咎めるどころか、
「私よりみっつも下か……」と絶句している。
「勇者なんかやらないですよ」とクレールが言う。「僕はピアニストだ。指を怪我したら困りますからね」
そりゃそうだ。てか、その前に子供すぎる。女神はいったいなにを考えているんだ!
――って、顔か。
クレール・フィヨンは柔らかな栗毛に白皙の頬、目はこぼれ落ちそうなくらいに大きく、顔立ちは中性的。音楽ファンのみならず、一般人にまで楽団の天使と呼ばれている。しかもピアノの腕だけでなく、作曲にも天賦の才がある。
本当に女神はなにを考えているんだ!
一番最悪な選択ミスだぞ。
「個々の意思は関係ない。選ばれたからには勇者として戦うだけだ」
「は?」
無情なことを告げたエルネストに歩みよる。だがヤツは俺を無視して立ち上がると、
「隊長のエルネスト・ティボテだ」と自己紹介。「ディディエ殿下とダルシアク公爵令息のマルセル殿はご存知だな。こっちの白いのはジスラン・ドゥーセ。奥にいるのは事務官のバルトロ・オルミだ」
「エルネスト!」
アホはまたも無視してバルトロを見る。
「彼に基本情報を教えてくれ。終わったら声をかけろ。訓練は俺が見る」
「やらないってば」とクレールが言う。
「エルネスト!」
「なんだ」ようやくアホが俺を見た。
「まだ子供だぞ」
「だが女神が選んだ」
「昨晩のあんな凄惨な状況を子供に見せるのか?」
「仕方ない。そういう運命なんだろ」
「嫌ですってば」とクレールが言う。顔が真っ青になっている。「もしピアノが弾けなくなったら、どうしてくれるんですか。それは僕にとって死と同義です」
「怪我はジスランが聖なる力で治せる」
「俺が死んだら治せない!」
「だとしても五人揃わなければ魔王は倒せないんだぞ」
「世界を救うためならひとりの子供を犠牲にして構わないってのか」
「女神のご意思だ」
「脳筋め! お前には考える頭がないのかよっ」
「陛下のご意思でもある。反すれば反逆罪になる可能性があるぞ」
ガタリ、と音がした。ディディエが立ち上がっている。
「エルネスト、よせ。父上と話してくる。私も彼は幼すぎると思う」
「選択基準は顔、女神の好みというだけなんですよね」マルセルが辛そうな顔で言う。「ならば彼でなくてもいいはずだ」
「……まだ一日あります」遠慮がちにバルトロが言う。
「すぐに力を行使できたのはジスランだけだ」とエルネストが俺を見ながら話す。「ひとり減れば、そのぶん残りの人間の死亡率が高まる」
「……そうだな。お前は軍人だ。エルネストにとってはそれが正しい考えなんだろうさ。でも俺は凡人だからな。子供の人生もピアニストの人生も背負い込めない」
話にならない。
ディディエとマルセルを見て、
「陛下たちへのご説得をお願いします。
次はバルトロ。
「万が一に備えて、基本情報の教授を」
もう一度、エルネスト。
「訓練は俺が見る。彼は水だろ? 教授中に俺が習得しておけば教えやすい」
最後に、泣くのをガマンしているような顔のクレールを見る。
「もしもの事態に備えて、やれることはやっておきましょう」
彼はゆっくりと首を縦に振った。
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