3・2 次は相談係か

 グラスに酒を注ぎ、力なく座っているマルセルの前に置いた。その向かいにすわる。

 彼はゆるゆると顔を上げ私を見た。いくつもの感情が混じり合った複雑な表情をしている。


「……ジョルジェットには手を出さないでください」

「来るものは拒みません」にっこり微笑んでやる。「あなたにそれを強要される理由もありませんね。今夜のご用件はそのことですか」

「あなたは公爵令嬢をもてあそぶおつもりか」

「まさか」

「結婚できない神官で、お相手はたくさんいるではないですか」

「私はしがない子爵家の次男です。公爵家の後ろ盾を得られるならば神官なぞいつでもやめるし、ただひとりに愛を誓うこともできますよ」


 マルセルがわかりやすく狼狽している。


「初対面のときにジョルジェット嬢がおっしゃっていましたね。オーバン公爵閣下が、彼女の味方になる勇者は私だろうと」

 つまり公爵は娘の幼なじみより、面識のない節操なしの神官を娘に推したのだ。


「古文書係辞職の件もですが、どうしてあなたは彼女を自分の思いどおりにしようとするのでしょう」

「……幼なじみを案じるのはおかしなことですか」

「それはおかしくはありませんが、言動は誰が見ても不愉快なものです」

 マルセルの目が不安げに揺れる。


「はっきり言いましょう。あなたはただの幼なじみでしかないのです。彼女がなんの仕事をして誰と結婚するかに口出しできる立場ではないのです。あなたがしていることはジョルジェット嬢が寛容だから許されているだけで、絶交を言い渡されてよいほどの過干渉です」


「……絶交……」マルセルがうなだれる。「それは嫌だ」


 しばらくの間、黙って待った。

 早く寝たいんだが。

 なんで俺は同僚のメンタルまで面倒をみなくちゃならないんだ。

 だがこんな状態で魔物との戦いがうまくいくはずがないのだ。ほうっておいたら足を引っ張られる。


 だいぶ経ってからマルセルが顔を上げた。

「実は女性が苦手で、ジョルジェットはたったひとりの異性の友人です」

 そこで言葉が切れる。仕方ないので、

「大切にしたい思いが空振りしているのでしょうか」と言ってやる。「でもいずれあなたもどなたかと結婚するのです。そうなれば自然と距離がうまれ、ほどよい関係になるでしょう。私が彼女の夫になったなら、彼女を不快にさせる男性なんて近づけませんしね」


 またもマルセルの目が揺れる。

 なにかを言おうとして口を開き、だけれど言葉を発さずに閉じる。

 それを何度か繰り返したのちに、彼は大きく息をついた。


「ミーティング後に、『悩みをきくのも神官の仕事』と言いましたね」とマルセル。「なぜ、私にあんな言葉を?」

「必要かと思いましたから。――実戦に出る前に」

「あなたは、私がなにに囚われているかお分かりなのか」

「ええ」

「当てられますか」

「ディディエ殿下のことですね」


 マルセルがまた吐息する。


「私の父も、あなたは切れ者だと称賛していました。女性好きの面ばかりが取り沙汰されるけれども、神官として評価されているのは噂されるような見目のためではなく、実力によるものなのだ、と」

「過分な評価です」

「でも私の悩みに気づいている。あなたときちんと知り合って、まだ二日だ」


「私にも幼なじみがおります。今でこそエリートと言われて出世街道を歩んでおりますが、頭が固くて融通がきかなく、そのうえ口下手なものですから子供のころは非常に愚鈍でしてね。物事を早く進めるためにはこちらが察して、進むべき道を示す必要があったのですよ」

「……今もその傾向がありますね」とマルセル。「嫌になりませんか。あなたの手腕が幼なじみの功績になる」

「戦闘集団のリーダーにはなりたくないので助かっています」

「なるほど。――ジョルジェットに言われました。少しはあなたの常に穏やかで柔らかい物腰を見習え、と。私は『あれは外面だ』と言い返して余計に口撃されましたが」


 口を閉じたマルセルは、ややもしてから手をつけていなかったグラスを取り、一気に飲み干した。そうして卓に肘をつき両手で顔を覆う。


「ディディエとも長い付き合いで、親友です。周りからは、いずれは国王と宰相の間柄になるだろうと言われ、私も自負してきました。彼を支えるのは私だと。でも――」彼の声が震えた。「こんな事態は想定していなかったのです。彼は次期国王だ。戦いの最前線に立たせるわけにはいかない。万が一のときには私が盾にならなければならない。王子と公爵子息という身分差はあるけれど、私たちはずっと対等な親友だったのに、私は彼を守るために命を差し出さなければいけないのです」


 嗚咽が聞こえる。


「私たちは対等なんかではなかった。ディディエはちっとも気づいていない。共に頑張ろうという。私は死にたくない。なのに聖なる力の行使は不完全で、ジョルジェットは城から出てくれないし、こんな非常事態にあなたにうつつを抜かしている」

「安心なさい。最初に死ぬのはエルネストでしょう。彼は次期国王と次期公爵を守って嬉々として命を差し出します。次は私。冗談じゃないと思っていますが、ひとり生き延びたとしても待っているのは責苦ですからね」


 マルセルが手をおろした。涙でぐしゃぐしゃの顔がこわばっている。


「彼も私も子爵家の次男に過ぎません」

「あ……」ぼろぼろと涙がこぼれる。「……すみません……」

「ディディエ殿下は気づいていないのではなく、今のあなたと同じように、掛けられる言葉がないだけかもしれませんよ」


 失礼と声をかけて立ち上がり、チェストからハンカチを取り出すとマルセルに渡した。それからあいたグラスに新しい酒をそそぎ、椅子にすわる。


「ひとつ、意地悪をしました」

 ハンカチで涙を拭っていたマルセルが顔を上げた。

「ジョルジェット嬢は私に愛を告げにきたのではありません」

「え……。では彼女はなにをしに」

 答えずに微笑みを返す。受けた相談の内容を他言することは禁じられている。

「それと、私はひとりの女性に縛られるのは嫌いです」


 頭の中に死にかけたカロンがちらつく。


「私たちは数日後、生きていない可能性があるのですよ。最期のときに後悔がないようにしておくべきでしょう」

「……あなたはありませんか」

「残念ながら、後悔と未練ばかりです」


 マルセルはまたぼたぼたと涙を落とした。

「……すみません」

「思う存分にどうぞ。涙とともにすべてあなたから流れ出ていきます。明日にはすっきりとした心持ちになっているでしょう」


 まったく。こんな夜更けに善良な神官ぶるのは疲れるんだぞ。笑顔を保つ顔が痙攣しそうだ。

 さっさと号泣して帰ってくれ。そんでもってぐっすり寝れば、本当に気持ちをリセットできるから。


 またも顔を隠し肩を震わせている公爵子息をみつめる。

 優秀だろうが、箱入り育ちでまだ十八。繊細ゆえに状況に気持ちがついてこれないというところだな。

 エルネストみたいな脳筋なら、悩みなんて抱かずただ戦うだけなんだが。女神も顔だけじゃなくて中身も見て選んでくれないと困る。


 ――まさか俺は、エルネストとマルセルのフォロー役のために選ばれたんじゃないだろうな。




 と、コンコンコンッと素早いノック音がした。

「失礼しますっ」

 俺の返答もまたずに扉が開く。そこにいたのは王宮騎士だった。焦燥し蒼白な顔。これは――


 俺が腰を上げるのと同時に、

「魔物が出現しましたっ!」

 と騎士が叫んだ。

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