3・1 俺を巻き込むなっ 

 女神が最初に魔界に通じると言った日まで、残すところあと二日。といっても今は夜更けだから実質一日だ。


 窓の外には夜暗が広がる。俺に与えられた王宮の客間は勇者への配慮だろう、子爵令息としても神官としても分不相応な豪華さだ。

 ここで色気あるご婦人たちと楽しいことをできたら最高だろうが、連日の訓練のせいでさすがにそんな体力がない。


 幸いあの日以来こまめに結界を張っているおかげか、穴から魔物が出てくる気配はなく平穏が続いている。

 だけれど最後の勇者がまだ見つかっていない。なぜだ。なにがそんなに時間がかかるのか。


 とりあえずマルセルは聖なる力をだいぶ自在に使えるようになった。それは頼もしいのたが、常になにかに気を取られている感がある。原因のひとつはジョルジェットで間違いない。


 ジョルジェットはほかの古文書係と同様に王宮に寝泊まりして、業務をがんばっている。学者たちは、彼女を有能だと評しているし、違和感なく場に溶け込んでいる。

 それがマルセルの神経に障っているようだ。


 しかも彼女は幼なじみには塩対応なのに、俺にはにこやかだ。好意があるわけじゃない。最初の印象が良かったのと、マルセルに対するあてこすりだ。


 夜のミーティング時にも彼女は、古文書係辞職を強硬に主張する幼なじみに、

『少しはジスラン様を見習ったらいかがかしら』なんて言いやがった。おかげでマルセルの機嫌は最低ラインを更新した。


 この俺が当て馬扱いされるなんて噴飯ものだが赤子レベルの恋愛をしているお子様たちに苛立つのも大人げないので、ジョルジェットに乗ってやっている。


 それにマルセルが集中できていない原因はもうひとつある、と俺はみている。

 別れ際に『信者の悩みを聞くのも神官の仕事』と伝えてきたが、ジョルジェットのことがあるから俺に相談はしないだろう。エルネストにも無理だろうし、バルトロにもきっとダメだ。自分で解決してもらうしかない。







 と、扉を叩く音がした。

 予想が外れた。マルセルが来たらしい。


「開いています」

 と答えると、それが開く音がした。背を向けているので来訪者の姿は見えない。

「すみませんが、少しだけお待ちください」

 扉が閉まり、衣擦れの音が続く。


 俺は途中だった夜の礼拝を最後までしてから、床に置いた香炉を手にして立ち上がった。

「お待たせし――」

 振り返って、ぎょっとする。


「お祈りの邪魔をして申し訳ありません」

 扉の前に立っていたのはジョルジェットだった。

「相談に乗っていただきたくて」


「いやいやいや、待ってください!」

 さすがの俺も冷や汗が流れる。

 夜更けだぞ!

 男の寝室!

 しかも浮名を流しまくっている俺!

 令嬢がひとりで訪れるなんて、あり得ないだろうが!

 それがわからないような低能ではないはずなのに。


「ご迷惑でしたか」

 そう問う彼女の目は腫れている。泣いたのだな。ミーティングのあともマルセルと口論が続いたのかもしれない。

「いつでも相談にのるとおっしゃってくださっていましたから伺ったのですが」

「確かに言いました」とりあえず香炉をテーブルに置く。焦りで心臓がバクバク鳴っている。「ですが時と場所は選んでいただかないと。あなたの名誉が傷つきますよ」

 それと俺の首。魔王が出てくる前にオーバン公爵に切り落とされかねない。


「……その余裕がなかった、ということですか」

 ジョルジェットの顔がうっすら赤くなる。

「とはいえ、こんな時間に私とふたりきりでいたことを知ったら、マルセル殿はますますあなたにキツく当たりますよ」

「なぜ彼のことだと!」


 心底驚いているらしいジョルジェット。


「わからないのはマルセル殿本人くらいでしょう」

 いや。王子もダメそうだったな。堅物エルネストもさっぱりだろうし。


「わたくし、マルセルの力になりたくて古文書解読係に志願したのです」ジョルジェットが目を伏せる。「彼には反対されるだろうとは思っていました。幼なじみなのですけど、いつもわたくしのやりたいことに文句をつけてばかりですから」

「なるほど。その――」

「でも今回は特に酷くて、さすがに心が折れそうです」

「わかります。ですが話の続きは、別の場所でいたしましょう。サロンかどこか、人が出入りできるところで」

「わたくしの名誉のために?」ジョルジェットが微笑む。「ジスラン様はいつでも穏やかで配慮が行き届いていて。あなたと一緒に過ごしたがる女性たちの気持ちがわかります。心地よいですもの」

「……口説かれているとみなすと、私は手を出しますがよろしいですか?」

「よろしくは、ありませんね。でも父が言っておりました。ジスラン様は頭の良い人だ、と。あなたはたとえ私が望んでも、公爵である父を敵にはまわさないでしょう」

「ええ。ですがこの状況ではオーバン公爵の怒りを買います」

「あら、本当だわ」


 ジョルジェットは顔をやや伏せた。余裕がなかったのは確かだろう。会話したことで気が紛れただけだ。


「行きましょう」

 部屋を出るため扉に向かう。必然的に彼女に近づいてしまうが、仕方ない。

 と、思ったら、彼女ははらはらと涙をこぼした。

「……ごめんなさい」と手で拭う。

 なかなか美しい光景ではあるが、ほんと、勘弁してくれ。部屋を出られないじゃないか。


 ため息をのみこんで、ハンカチを差し出す。


「ありがとうございます。――ごめんなさい、うまく自分をコントロールできなくて。普段はこんなことはないのですが」

 弁明する声が震えている。

「それだけ深く傷ついているのでしょう。マルセル殿の言葉は本心ではないでしょうが、あまりに鋭すぎる」

 ジョルジェットが濡れた目で俺を見上げる。

「……本心ではありませんか」

「ええ。お子様なのですよ。彼もご自分の感情を御しきれていない。そもそもご自身を理解していないようですしね」

「わたくし――、いえ、お話は外ででしたね」


『はい』と答えようとしたところで扉がノックされた。

 嘘だろっ。誰だよ、こんなタイミングで!


「ジスラン殿。まだ起きていますか。マルセルです」


 げっ、と心の中だけで言葉を吐く。ほんとになんてタイミングだよ。

 ジョルジェットが戸惑いの表情で俺を見上げている。 


 どうする、俺?

 最善の対応は?


 ……面倒だが、当て馬に徹するのが一番の解決策だな。あとでサービス料を取ってやる。


「起きておりますよ」と扉に向かって答える。 

 ガチャリとノブの音。それにわざと、

「先客がおりますから、しばしお待ちを」

 と重ねる。言い終えたときには扉は開ききっていて、マルセルはジョルジェットを見て固まった。


 泣き腫らした顔でハンカチを握りしめているジョルジェット。その目前に立つ、女性に節操がないと噂される美男(俺だ)。しかも彼女はそんな男に好意的。


 幼なじみが自分のことで泣くとは考えていない恋愛音痴は、確実に勘違いをした。一瞬にして表情を変え、彼女と俺の間に割り込む。


「こんな男はやめろ! 良いところは多いが、女性に関してはクズ中のクズだぞ!」

 ほう。マルセルは俺をそう評価しているのか。

「神官になったのも、交際していた女性から逃げるためだとか。しかも同時に六人。信じられるか? 今だって山ほど言い寄られていて、何人も恋人がいる! 毎日とんでもない量の差し入れが届くんだぞ」

「本人を前に侮言を吐くあなたのほうが人間的にいかがなものかと思うわ」ジョルジェットが冷静な声音で言う。

「それはジョルジェットが愚かなことをしているから」

「たとえ愚かだったとして、あなたに関係がありますの?」


 ふたりは口論を始めた。

 なんでそうなる。どうして素直にならない。

 まあ、予想はできたが。


 またも自説を押し付けているマルセルを避け、ジョルジェットのとなりに立つ。体同士が触れそうな近さに。マルセルは不快そうだ。


「マルセル殿。お待ちを、と言いましたよ。他人の部屋に乱入するのは、いかがなものかと思います」

 うっと言葉につまる公爵令息。さすがに不調法と気づいたようだ。だが。

「でも」と彼はすぐに反論に転じた。「幼なじみが泣くのを黙って見ているわけにはいきません」

「なぜでしょう。たかが幼なじみ。家族でもないのに、彼女の恋路に口を挟む権利はありませんね」

「だが友人として――」

「あなたの口調は友人に対するものではありませんよ。優しさのかけらもない」


 マルセルの顔がこわばる。

 彼から視線をはずしジョルジェットを見て、微笑みその手を握る。


「すっかり邪魔をされてしまいましたね。どうしましょうか。このまま今夜は私と過ごしますか? 用件があるらしい彼に私を譲りますか」

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