2・2 いきなり痴話喧嘩かよ

 結界を張り直してから本部に行くと、まだ就業時間前だっていうのに全員が揃っていた。そのうえマルセル・ダルシアクが彼らしくもなく居丈高に怒鳴り散らしている。相手は勇者部隊の同僚でもバルトロでもなく、若い令嬢。オーバン公爵家のジョルジェットだ。確かマルセルと幼なじみだったはずだが、なんでこんなところにいるんだ。


 ――といっても彼女の後ろで古文書解読係たちが右往左往しているから、だいたいの予想はつく。


 同じように困惑して挙動不審になっている堅物エルネストが俺に気づき、ほっとした顔をする。厄介ごとを俺に丸投げする気だな。

 ヤツはそばにやって来ると、

「ジスラン、収めてくれ!」

 と小声で頼んできた。やっぱり。

 一歩遅れて近づいてきたバルトロも『お願いします』と押し付けてくる。

「オーバン公爵令嬢が古文書係に志願して入ったのですがあのとおり、マルセル様がお怒りで。ディディエ殿下もマルセル様を支持していらっしゃいます」


 確かに、仁王立ちで令嬢に怒鳴り散らすマルセルの斜め後ろで王子も腕を組んで立っている。とはいえジョルジェットも負けておらず、毅然と、だけど静かに反論を続けている。なかなかに意思が強そうだ。


「彼女は個人的に? それとも正式な配属ですか?」

「正式です」

 とバルトロが手にしていた書面を見せた。国王のサインがある。


「何度も言わせるな!」マルセルが苛立たしげに叫ぶ。「人手が足りなかろうが、素人など必要ない!」

「あなたこそ、何度も言われてもわからないような頭脳なのかしら? 予定が狂った以上、素人だろうが人手を増やして早く古文書すべてを読み解くべきよ」


 睨み合う、若いふたり。

 まあ、俺も若いが。年上の頼りない隊長と事務官をちらりと見る。

 アホのエルネストはともかく、バルトロは仕方ないか。恐らく両親は貴族籍だが、きっと低爵位だ。でなければこんな貧乏くじとしか思えない仕事に回されていない。公爵家の子供たちの口論に割って入る勇気が出ないのだろう。


「おはようございます」

 仕方ないのでいつもの柔和な笑顔で争論のただ中に突入する。それから公爵令嬢を見る。

「マルセル殿の同僚で神官のジスラン・ドゥーセです。――失礼」彼女の手を取り、極上の笑みに変える。「お見知りおきを」

 そう言って手の甲に軽く口づけると、エルネストがすっ飛んできた。


「すみません、こいつ、手が早くて!」

「ただの挨拶ではありませんか」とジョルジェット。俺の微笑みにまったく動じていない。珍しい女性だ。「本日付けで古文書解読係になりましたオーバン公爵家長女のジョルジェットです。若輩者で素人ではありますが、少しでもこの緊急事態にお力添えができたらと考えて、志願しましたの。よろしくお願いしますわ」

「こちらこそ」


 しっかり微笑んでからマルセルを見る。眉が寄り、不機嫌この上ない表情だ。


「マルセル殿。心配なら正直にそう伝えないと」

「はぁっ!?」

 一瞬にして彼の顔が赤くなった。それを確認してから再びジョルジェットを見る。

「いつ魔物が現れるかわからない。王宮は最前線の砦。だから彼は大切な幼なじみのあなたに、ここにいてもらいたくないのでしょう」

「そうではなくて私は――」

 声を上げるマルセルを無視して古文書係たちを見る。


「昨日、私が見た夢に該当するものはみつかったでしょうか」

「いや、まだです」と係の責任者が答える。彼も低爵位出身だ。古文書学においては有名な学者ではあるが、やはり王子も絡む口論を諫める勇気はなかったのだろう。


「あの夢がなにを表しているのか、気になります。なるたけ早くお願いしたい。ですからひとりでも解読者が増えることは大歓迎ですよ」

 ジョルジェットの顔が緩んだ。

「勝手なことを!」ディディエが前に出てくる。「未成年の女性は避難させるべきだ!」

「正式な辞令があるのです」

「だから本人の説得をしているのだ!」

「一度受けた辞令をすぐに拒否しろと? 彼女の名誉が傷ついてしまいますよ」


 王子と公爵令息がひるんだ。良かった、ちゃんと高位な人間らしく、『名誉』という言葉に弱いらしい。

 この隙に、ジョルジェットと古文書係を続きにある文書部屋に送る。

 一行の最後に扉をくぐろうとした公爵令嬢が足を止めて俺を見た。


「父が四人の勇者様の中で、私の味方についてくださるのはドゥーセ神官様だろうと申しておりました。そのとおりでしたわね」

 にこりと微笑むジョルジェット。

「オーバン公爵閣下に相識を得る機会はいただいておりませんが」

「あなたは有名ですもの」

 彼女は笑みを深くすると、去った。

 扉を閉めて振り返る。こっちには機嫌を損ねたお子様ふたりが残っているんだ。ああ、面倒くさい。


「やっぱり隊長はジスランが」とアホエルネストが空気を読まずに言う。

「皆さん!」と声を張り上げたのはバルトロ。「制服が完成しました!」

「制服?」と怪訝そうな王子。

「ええ。時間がないので王宮騎士団の制服の型紙を使っています」とバルトロがテーブルに積み上げられていたそれらしきものを一部手に取り、エルネストに渡した。「こちらはエルネスト隊長」また一部取り、俺の元へ来る。「こちらはジスラン」


 広げると、確かに騎士団のものをより簡素にしたデザインだった。色は赤。俺の瞳と同じだ。


「たまたまこの生地が大量に余っていたようで」とバルトロ。「ジスランに寄せたわけじゃありませんよ。あとは適当に各種サイズで用意しておりまして。ディディエ殿下とマルセル様はすみませんが、こちらから体型にあったものをお選びいただく形になります」

「制服なんて必要か?」と顔をしかめる王子。

「私が祭服しか持っておりませんので、わがままを申しました」

「ジスラン殿が? 私服では嫌だったのか?」

「寝巻きしか持っておりません」

「え?」

 王子と公爵令息、それにバルトロまで声を揃えた。

「休日もその服なのか?」

「ええ。休日でも私が神官であることには変わりませんから」


「あぁ……」バルトロがおずおずと、別のものを両手で差し出した。「申し訳ありません。残念ながら、血の色が落ちなかったようでして」

 それは昨日着ていた俺の祭服だった。純白だったのに、ほとんどが青く変色している。

「こちらで処分しましょうか」

「いや、受け取ります。処分前に祈禱する規則なので。洗濯係に感謝を伝えてください」


 無惨なそれを自席に置く。カロンに洗わせずに済んだのだから、よしとすべきだ。

 視線を感じて目をあげると、エルネストが俺を睨んでいた。

 阿呆の考えることは、たまによくわからない。


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