2・1 迎えが来やがった
本来の予言の日まであと三日。
朝礼拝のため神殿に入ろうとしたところで、
「先輩!」
とカロンの声がした。
振り返ると、祭服を体の両脇でつまみ上げ焦った顔で走ってくるのが見えた。
「すみません、寝坊をしてしまって! 朝のご準備が!」
寝坊。彼女が俺についてから、初めてだ。
俺の目前で止まり、肩で大きく息をしているカロンを見る。顔色が悪い。クマもある。
「カロン。今日も休むよう言われなかったかな?」
「先輩がお出かけされたらお休みをいただきます」
思わずため息がこぼれる。
「真面目なところがカロンの美徳ではあるけれど、自分の体調を優先しなさい」
「ちょっと寝不足なだけなんですよ。たいしたことはありません」
「ジスランのために休んでやれ」いつの間にか現れたダンテが言う。「心配性なんだよ」
カロンが俺とダンテの顔を見比べる。俺がうなずいてみせると彼女は、
「……ごめんなさい。気をつけます」と言った。
ほっとする。
そこに嫌なものが目に入った。騎馬した王宮騎士だ。こちらに向かっている。
「ダンテ、これを」とポケットから手紙を数通取り出して、ヤツに渡す。「シヴォリ侯爵夫人たちに送ってくれ」
「恋文か?」
「そんなものだ」
昨日森に来た女性全員分を、夜を徹して書き上げた。俺のせいで恐ろし目にあったのだ。フォローしておかないとまずい。ましてやカロンが行かせたのなら。
「捧げる詩ですか?」とカロン。「私、読み上げていません! 休んでいたからですよね、すみません」
「は? なんだそれは」とダンテが顔をしかめる。
「先輩は時どき愛人さんたちに詩を捧げるんですけど、私が読み上げて最終調整するんです」
『ね?』とカロンがキラキラとした目を俺に向ける。
「すごく素敵なんですよ! ちゃんとその人その人に合った内容で言葉も美しくて!」
「それ、完全に業務外だろ。断われ、カロン」とダンテ。
「イヤです。先輩の素晴らしい詩を一番に読めるんですから! 役得なんですよ!」カロンがふんす!と鼻息荒く反論する。
俺を非難がましい目で見るダンテ。
「読んでもらうと粗がわかるんだ」
「詩人か、お前は」
そう言うダンテの視線がそれる。その先では下馬したばかりの若い騎士が俺に向き直ったところだった。
「ジスラン殿。一緒に来てください」と硬い表情をした騎士。
やっぱり俺に用だったか。
「先輩はこれから朝の礼拝です!」カロンが俺を守るかのように前に出た。
「結界の輝きが薄れているんです。消えてしまう前に、早く」
「なんでジスランなんだ」とダンテが言う。「他にも勇者はいるだろう?」
「ジスラン殿しかできないのです」
「今のところは、な」
そう言うとなぜかカロンが怒った顔を俺に向けた。
「先輩、ひとりで頑張りすぎです! あの隊長、全然聖なる――」
「カロン!」
制するとカロンは口を閉じた。だけど不満そうに唇を噛んでいる。
「ジスラン」とダンテが手紙をひらひらさせた。「全部、任せておけ」
「――ああ」
「見返りを期待しているからな」
カロンを見る。
「……だって先輩、顔が青白いですよ? ご自慢の肌は荒れているしクマもあるし」
「非常事態なんですよ!」騎士が語気荒く言う。
「ならば騎士のあなたが最前線で魔物と戦えばいいじゃないですか!」
「お、俺は聖なる力は……」
「非常事態なんでしょ!」
「どうどう、カロン」ダンテが彼女の肩に手を置く。
確かにヤツの言う通り、いつものカロンらしくない。ポケットから別のものを取り出す。
「カロン、これを」
小さな紙片。開かないように独自の折り方をして、フーシュ教の印が書いてある。
手に取ったカロンが
「護符……?」
と呟いて俺を見上げた。
「そう。簡易なものだが」
「先輩が?」
「ああ」
護符はフーシュ教ではポピュラーな授与品だ。祈りを捧げた紙に祈禱文を書き、それに更に祈りを捧げたものだが、祈禱の内容や回数で細かくランク分けされている。作成できるのは、長から許可を得た者だけだ。
「魔除けの護符だ。昨日のことがあるからな。また腹に穴を開けないように。――実家に帰る気はないのだろう?」
「帰りません!」
「ならば今のうちにしっかり休んでおきなさい」
「……はい」
やや不満そうだがカロンはうなずいた。
それじゃ、と足を踏み出そうとして周囲のざわめきに気がつき神殿の入口を見ると、我らが
目が合う。
「ジスラン」と長。「迎えか」
「はい。昨日張った結界の効果が薄れているようです。朝礼拝だけでも参加をと思ったのですが」
長がおもむろにうなずく。
「勇者の務め、ご苦労。神のご加護があらんことを」
……気のせいか?
祝福の祈りの印を切る長の顔が、辛そうなものに見えた。
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