1・4 なにも聞いてないぞ
鍛練場を出て、真っ先にカロンとダンテの元へ行こうとしたが、タッチの差で帰ってしまっていた。
詳しく話を聞けるのは神殿に戻ってからだ。
――いや、戻れるのか俺? こんな事態になって。
◇◇
バルトロの気遣いで色とりどりの花が浮かべられた(あいつは俺をどう認識しているんだ)温かい湯船があまりに心地よく、寝落ちしてあやうく溺死するところだった。
体中傷だらけで見苦しいわ湯がしみるわだが、治す気力もない。ラクな人生を送る予定だったのに、なんでこんなに余裕がないことになっているんだ。
俺を勇者に選んだ女神もだが、とにかく魔王だ。絶対に許さん。どうして復活なんてするんだ。せめてあと百年先にしてくれれば、俺が巻き込まれることはなかったのに。
――そんなことを考えながら仮眠をとったせいか、おかしな夢を見た。
暗いがなぜか広いとわかる空間の中心で、頭に二本の巨大な角を生やした人型のなにかが仁王立ちで天を仰いでいる。
俺はそれを見ているが、息は荒く今にも倒れそうな状態だ。剣を持った男に脇を支えられている。
『許すまじ!!』人型――きっと魔王だ――が叫ぶ。その体からは白煙が立ち上っている。『我は滅びぬ!! 復活した暁には死よりも辛い絶望を味あわせてくれようよ!!』
叫び終えた瞬間、魔王が爆散した。突風に吹き飛ばされる俺たち。
『覚えておれ、必ずや――』
姿がないなか聞こえる魔王の声。だがそこで途絶え、あとに続く言葉はきこえてこなかった
なんなんだ、この夢は。
前回の魔王退治なのだろうが、なんでそんなものを俺が夢に見るんだ。まさか俺は勇者の生まれ変わりなのか、血縁なのか。顔で選ばれたんじゃなかったのかよ。
それとも関係はないが、女神がわざと夢で見せたとかか?
考えたって答えはでないが。
ていうか『死ぬより辛い絶望』ってなんだ。恐ろしすぎる。
でもあんまり考えたくはない。俺は厄介ごとは嫌いだ。
すっきりしない目覚めでも、一応は勇者だからやることはやらなければならない。面倒この上ない。
森の穴に張った結界がどの程度持つのかわからないから張り直し(往復は騎士が馬に乗せてくれた)、夢の内容をバルトロを通じて古文書解読係に報告。
そのあとは王子と公爵令息の魔法指導。ふたりはエルネストほどではないが、苦戦している。俺は相当に要領がいいらしい。さすが俺。
とはいえ、どうせすぐに追い抜かれるのだ。
そうしてどっぷり日が暮れてから神殿に帰った。予想どおりに堅物エルネストが、魔物が予定外に早く出現したのだから王宮に寝泊まりしろとうるさかったが、振り切った。そういうのは使命感に燃えている奴らで対処してほしい。俺には俺のペースがある。
だが帰着した俺は速攻で野次馬な神官たちに囲まれてしまった。アホどもは魔物が怖いのだ。俺から少しでも情報を引き出そうとしている。
そんな奴らを蹴散らしダンテを探す。いつもなら必ず出迎えるカロンがいない。休んでいるのだろう。世話係は異性の僧房には行けるが、その反対は禁じられている。今の俺にはダンテから話を聞くしかないのだ。
「お、帰ったのかジスラン」
自室にいたダンテを尋ねると、ヤツは俺を見て吹き出した。
「なんだその服は」
「汚れた祭服の代わりに王宮で提供されたんだ」
渡されたのは貴族用の一式だった。ここ二年ほどは祭服しか着ていなかったが、背に腹は代えられないので諦めて着た。
「美男は得だな。腐っても子爵令息だ、よく似合う。カロンに見せてやりたい」ニヤニヤ笑いのダンテ。「喜ぶぞ」
「神官を辞めるのかと騒ぐのは間違いないな」
「確かに」
軽薄な口調のダンテだが向かう机の上にあるのは開かれた祈禱書だ。
余分な椅子はないから、そのそばに立ってヤツを見下ろす。
「カロンのことを訊きに来たんだろ? 今日はちゃんと休みを取らせたぞ」
「助かる。――で?」
ダンテは手を伸ばし、祈禱書のページの隅をいじり始めた。
「告げ口は好きじゃないんだがな。一昨日ぐらいから様子がおかしい。礼拝の最中に居眠りをするぐらいならまだ可愛いんだが――」
「カロンが居眠り? まさか!」
「だからおかしいしと言っているんだろ。それだけじゃなくて普通に歩いているとか作業しているさなかに突然ふらついてもいる。巫女見習いからの情報だ」
なんだそれは……。俺の前ではいつだって元気なのに。
「カロンはお前を崇拝しているからな」とダンテが言う。「心配で寝られていないんだろう。礼拝以外でも熱心に祈っているようだし。このままじゃお前がくたばる前にカロンが倒れそうだと思っていたんだ」
「……だな」
「そうしたら」ダンテが気まずそうな顔をする。「今日のアレだ」
「どういうことだ?」
「体調が悪くて余裕がなかったんだろうが、お前の熱心な信者たちにキレてな。『そんなに会いたいなら森に行け』って追い払ったんだ。あそこで訓練しているのは一応、内密とのことだったろ? カロンがお前の指示に背くなんて余程のことだし、あの口調はちょっとその……、彼女らしくなかった」
ダンテは嘘をつくヤツじゃない。こいつがそう言うのなら、本当にそうなのだ。
「そのあとカロンが神殿を出て行ったから心配で慌ててつけたんだ」
「だから王宮にいたのか」
うなずくダンテ。
「森に入る前に信者に捕まってな。話し込んでいるうちに、騎士団がやって来て封鎖されちまった」
「……カロンは多分、夫人たちを案じて追いかけてきたんだ」
「そうだろうな、真面目な子だ。ただ、俺が心配になるほどの剣幕だったのは嘘じゃない」
「わかっている」
ダンテは俺をじろりと見て、それからため息をついた。
「あとで『なんで知らせなかった』と責められるのはイヤだからな」
「告げ口じゃない。正巫女になる直前に貴族とトラブルはまずい。教えてくれて助かる」
「シヴォリ夫人は気にしていないようだった」とダンテ。
「良かった」
「タラマンカ伯爵令嬢も感謝していたしな」
「カロンはいい子なんだよ」
「それがなんでジスランみたいな節操なしを尊敬するんだか」
「節操なしじゃない。博愛精神と言ってくれ」
普段のように返してから、どうしてなのかうんざりした。
「ま、そんな訳だ。彼女は俺が見ておく」とダンテ。「お前は勇者のほうに注力しろ。くれぐれも死ぬなよ。俺はお前なんてどうでもいいが、カロンが発狂しかねない」
「号泣しながら俺に『良かった良かった』と言ったのは誰だ?」
「そんなヤツがいたのか? 奇特な人間だな」
「完全同意だ」
ダンテが鼻で笑う。
「次に神殿に帰れるのがいつになるかわからない」
今日はエルネストの主張だけだったからなんとかなったが、城内待機の王命を出されたら従わざるをえなくなる。
「カロンを頼む」
「任せろ。だが見返りはもらうぞ。出世したら俺も引き上げろよ?」
「そんなのでいいのか」
「腹立つ言い様だな」
言葉と裏腹の表情をしているダンテと僅かな間だけ見つめ合い、それから踵を返した。狭い僧房を数歩で横切りドアノブに手を伸ばす。
「新しい勇者、聞いたよ。らしくないことをするなよ? 男は守らないんだろ? 俺はそれでいいと思う。お前はプライベートはどうしようもないクズだがな――」
背後から聞こえるダンテの声はそこで途切れた。俺は黙って部屋を出た。
◇◇
自室に戻り、貴族服を脱ぎ捨て祭服に着替える。椅子に腰掛け、机の最下段の引き出しを開けた。書き古した帳面なんかの雑多なものの下に隠してある鍵付きの箱を取り出そうとして、指が触れたところで動きを止める。
誰にも見られたくない。
誰かに見られるわけにはいかない。
中にはそんな品が入っている。
今のうちに処分をと思ったが、それではまるで死に支度だ。
二度と取り出さないと決めてはいる。だが捨てたくないから手元に置いてある。
しばらく箱を見つめ。
静かに引き出しを閉めた。
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