1・3 バカを言うな
俺はまたしても風呂に入る時間ももらえず、鍛練場に向かわされた。先に新勇者の様子を見て必要なことを説明・指導してから、ゆっくり汚れを落とせばいいだとさ。
もし魔物の血に毒でもあって、俺の体が徐々に蝕まれている最中だったらどうしてくれるんだ。
ま、お偉方はそこまで考えていないんだろう。
ディディエとマルセルは自ら希望して訓練を始めたようだし、すぐに戦力になれるよう努力するなんて見上げた根性だ。王も、親としても力になってやりたいとか思っているのかもしれない。
しかし、あのふたりか。予想はしていたが……。
先を歩く案内の騎士に気づかれないよう、吐息する。
彼らを魔物の矢面に立たせることはできない。ディディエは国王のたったひとりの子供だ。死なせたら大変なことになる。マルセルだってダルシアク公爵の嫡男で、男兄弟はいない。将来は父親のように宰相になるだろうと言われている前途洋々たる青年だ。
子爵家次男にすぎないエルネストや俺とは立場が違う。
堅物エルネストは喜んで前衛を務めるだろうし、たとえ死んでも『名誉だ』なんて言いそうだが、俺はごめんだ。
ごめんではあるが、そうしなければならないだろう。
後方にいて、最前線のディディエが死んでみろ。魔王退治を生き延びても、国王に殺される。
くそっ。ラクして生きるが信条なのに。
鍛練場に到着すると、広いそこにいたのはたったの三人。ディディエ、マルセル、それからバルトロ。バルトロの姿が見えないと思っていたが、こっちに駆り出されていたのか。
「ジスラン! 無事で良かった!」
俺に気がついたバルトロが明るい顔になって駆けてくる。
「魔物は退治できたと聞いたのですが」
「ええ、なんとか」
「エルネストは?」
「騎士団に現場で指示を出すため別行動になりました」
ディディエとマルセルまでやって来る。
やめてくれ。身分が下の俺のほうから伺わないと、面倒なことになる。
「ご苦労だった」
と俺より六つも年下の青少年がねぎらう。だが、王子だ。頭を下げて、
「ありがたきお言葉にございます」
と臣下らしく答える。
「父から聞いているだろう? 私とマルセル・ダルシアクは勇者に選ばれた。同じ部隊に所属するのだから、今後の立場は同等だ。かしこまる必要はない」
王子はそう言い、彼の隣で公爵令息がうなずく。身分のわりにはいいヤツなのだけは確かだ。
「ではそのように」と、笑顔で答える。
余計に厄介なのに。エルネストはきっと困惑する。
「それは魔物の血なのか?」と王子が尋ねる。
「そうです」
「人体に危険はないのですか? なにがあるか分からないから、早く洗い落としたほうがいいのでは」とは公爵令息。
……まあ。いいヤツなら、やりやすいケースもあるか。
「おふたりの指導を優先するようにとのご下命です」
「父上か」とディディエがため息をつく。
「確かに一刻も早く、使い物にならなければいけないが」とマルセル。
「おふたりには私でできる説明はすべてしてあります」とバルトロ。「で、ジスランが風、エルネストが火の魔法が得意分野のようですから、土と水を中心に試してもらっています。どうでしょう?」
「まだ上手く発動しないのだが」と王子が言えばマルセルもうなずく。
なんだと。こいつらもエルネストタイプなのか? んなバカな。
「コツというか感覚だけ、とりあえず教えてもらって」とバルトロ。「そうしたらジスランはすぐに汚れを……」
「ジスラン!」
鍛練場によく通る声が響き渡った。エルネストだ。振り返ると、俺と同じく血まみれのヤツが大股でやって来るところだった。
堅物騎士は俺の名を呼んだもののサラッと無視して、王子の前に跪いた。
――堅苦しいやり取りを経てようやく立ち上がったエルネストは、小声で、
「スキルのことはどうした」
と尋ねてきた。
俺のスキル、治癒についてはこいつにしか話していなかった。魔物退治と関係なしに利用されてしまう能力だからだ。だが魔物が出現したからには、今後仲間に使うことがあるはずだ。
「陛下に報告をした。今回初めて成功したからな」
生真面目で融通のきかないエルネスト。だが彼はスキルのことを黙ってくれていたし、俺が言いたいことも理解してくれたようだ。無言でうなずいた。それから王子たちに向き直る。
「訓練は私が見ます。彼は先ほどスキルの治癒で死にかけた怪我人を治したんですが、それで体力を使い果たしております。次の戦闘とそれに伴うだろう治癒のために、休ませて回復をはかる必要があるのです」
それを聞いたディディエたちは俺の休息を承諾し、バルトロが準備のために走り出ていく。
これでようやく休める。
「エルネストは大丈夫なのか」とディディエが訊く。
「私は魔法は大技一回しか使いませんでしたので」
なあにが『使いません』だ。『使えませんでした』だろうが。
だが、まあ、今回はツッコまないでやる。これからじゃんじゃん最前線で使ってくれればいいのだから。
それに魔法は一回でも、対人とは違う激しい動きで戦ったエルネスト。だというのにさすが本職、疲労は見えない。体力が俺とは違う。
「では失礼します」
立場は対等と主張する王子と公爵令息に軽く頭を下げ、踵を返そうとしたら、
「最後にひとつ」と王子が声を上げた。
まだなにかあるのかよ。さすがの俺もトレードマークの柔和な表情がひきつりそうだ。懸命な努力で苛立ちが表に出ないよう努力しながら、顔を向ける。
「エルネストが仮の隊長とのことだが、このままお願いしたい」王子の言葉に公爵令息がうなずく。「エルネストは、私の上につくのは遠慮すると言いそうだが――」
「それが最善でしょう」俺もこればかりは愛想抜きに急いで同意する。
身分だけでなんの経験もない、しかも未成年の王子に、未知なるモノとの戦いの責任を負わせるのは酷だ。
それなのに、
「いや、俺では力不足です」
生真面目アホが空気を読まずに拒否をした。お前、ここで王族に逆らうのかよ。
「エルネスト、殿下は――」
アホが俺を見る。
「隊長はジスラン、お前がふさわしい」
「――は?」
なんだって?
「俺は新しいことへの適応力が低い。慣れるまでに他人の倍、時間がかかる。知っているだろう?」
「そうだが。隊長職はお手のものだろうが」
「王宮騎士団としてはな」とエルネスト。「魔王、魔物については素人だ」
「俺だって!」
「だが俺よりずっと適応力が高い。古文書も読み込んでいるし、攻撃術しか試していない俺と違ってお前は移動やら結界やらまで習得済みじゃないか。視野も広くて様々な角度から事態を見ている。俺は自分のことで精一杯だ」
……なんだよ、それは。ただの面倒くさがりかと思いきや、意外にもまともな意見だ。
「だが言ったはずだ。戦闘集団のリーダーなんてごめんだ、と。俺は神官だぞ」
「女から逃げただけじゃないか」
瞬間的に、苛立ちが湧き上がる。またその話か。
「あの!」
声を上げて、マルセルが俺たちの間に割って入った。焦りの表情だ。尻の青いお坊っちゃんになんて顔をさせているんだ、俺たちは。
「私も隊長はティボテ隊長が――ティボテ騎士団第三隊長がいいと思います」
エルネストがムッとした顔になる。
「対外的な問題です」とマルセル。「魔王だとか魔物だとか、昨日までははっきり言って陛下から一般の民にいたるまで、誰しもが半信半疑でした。でも今それは現実的な脅威となり、恐れおののいています。そんな人々に安心を与えるのは、やはり騎士たるティボテ隊長です。神官殿には神々しさはありますが、物理的な力は感じられません」
「私もそう思う」すかさず王子が同意する。
「それに騎士団は、俺がお前を差し置いて隊長になることを確実に面白く思わない」と俺もダメ押し。
エルネストの口がとんでもないへの字口になっている。相当に不満なんだろう。
「とにかく俺はもう休む。あとは頼んだ、隊長」
俺は腐れ縁の幼馴染にそう言ってから王子たちに頭を下げ、今度こそ背を翻した。
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