3・1 癒しの彼女たち

 魔界と通じるまであと四日。専門家による文書の読解は進み、前回の魔王退治のおおよそが分かった。

 魔物は異形の怪物で火を吹いたりはするが、物理攻撃しかしない。一方で魔王は人とあまり変わらない姿で魔の力を使う。

 魔物は聖なる力がなくても人海戦術で倒すことができるが、魔王は絶対に不可能。勇者五人の力を合わせて、ようやく対等に戦える。


 それなら女神はもう少し強い力をくれてもいいんじゃないか?


 と俺は思うが、学者たちは何かしら理由があるのだろうと言う。人間の体に耐えうる強さの力を与えられているのだ、とか。それなら勇者は五人と言わず十人でもいいじゃないかと思うが、今は議論するより実戦だ。


 エルネストは聖なる力の扱いにまだ苦戦している。初日よりちょっとマシになった程度だ。


 そして新しい勇者も選抜されていないし、女神のお告げもない。何をやっているんだ。神様はそんなに忙しいのか。エルネストの苦戦を見ていたなら、早いところ勇者を揃えようと考えるだろうに。


 ダンテは『大物を選ぼうと慎重を期しているんだろうよ』と言っている。だとしたら俺並みに即戦力になる男をふたりは選んでほしい。全員がエルネストタイプだったら……。

 考えるだけで恐ろしい。




 本部に出勤途中、廊下でバルトロに出くわした。

「おはようございます」

 と愛想の良い事務官。だが顔には疲労の色が濃い。

 挨拶を返し、ついでに

「そういえばバルトロは独身か?」と尋ねる。

 彼のプライベートは何も聞いていない。

「妻と娘がふたりおりますよ」

「既婚者だったか」

「それは」と彼は苦笑する。「三十を過ぎていますからね」

「エルネストはそれを越しても独り身かもしれない」

「おモテになるのに」

「どこに住んでいる」

「城下ですよ」と彼は中流層が多く住むエリアの名前をあげた。

「四人暮らしか?」

「ええ」


 足を止め周囲を見渡す。近くに人はいない。


「万が一の時の対策は?」声を抑えて尋ねる。「エルネストの苦戦ぶりを考えると、残りの勇者が来てもすぐには使い物にはならないかもしれない」


 だというのに残り四日しかないのだ。さすがにマズイと思い、昨日実状を王たちには伝えた。


「考えていませんでした。森で食い止められるかと……」

「ならば早急に。母親ひとりで娘ふたりを守るのは大変だ」


 再び足を進める。


「……エルネストはあなたを不良神官と詰りますが、真面目ですよね。女性関係さえ除けば」とバルトロ。「もっともそこが酷すぎるんでしょうけど」

「女性が好きでなにか悪いことでも。彼女たちも私を大好きなんだから問題はないでしょう?」

「まあ、そのへんはともかく。あなたは文句ばかり言っているけど、実は細かいことまで考えていますよね」

「死にたくないですからね」

「……大丈夫ですよ。女神のご加護があります」

「だといいのですが」



 ◇◇



 例の池の端で聖なる力の訓練をしていると、エルネストが突然動きを止めた。ヤツの周りには騎士団が訓練に使う人型の打ち込み台がたくさんある。傷だらけだが、聖なる力よりも物理的な力でできたものが多い。


 その人型の中心で堅物騎士は顔をしかめ、

「また女たちだ」と言った。

 耳を澄ますとざわめきが風に乗って聞こえてくる。女性たちだ。複数いる。多分、目当ては俺だ。このざわめき感はよく知っている。だが気持ちはありがたいがここは危険なのだ。王宮の関係者には、そう説明されているはずなのに。


 それでも俺に会いたくなってしまうのだな。さすが俺。


「明日から森の入り口に番兵を立たせよう」

「その前に良い策がある」とエルネスト。

「なんだ?」

「諸悪の根元を切り落とせ。そうすれば女たちもお前に寄って来ない」

「彼女たちを悲しませるつもりか。切り落とすならお前のほうだろう。必要がない」

「今日を命日にしたいのか?」

「お前がふっかけてきたんだろ?」

 堅物バカが無言で剣の切っ先を俺に向ける。といっても俺たちの間には池がある。


 と、目の端に動くものが入った。女性たちだ。

「ジスランさまぁ!」

 にこやかに手を振ってくる。


 可愛い。

 だがどうして危険だと分からないんだ。華麗に訓練をする俺を見たい気持ちは理解できる。だがここは魔界と繋がっていた地だ。そして四日後、再び繋がるのはここだと目されている。

 まだ日数があると安心しているのだろうか。


「差し入れを持って参りましたわ」とタラマンカ伯爵令嬢。

「あら、汗が」

 とシヴォリ侯爵夫人がハンカチで額の汗を押さえてくれる。

「汗を浮かべているジスラン様も素敵ですけど」

 五人の女性に囲まれる。

「ありがとうございます、皆さん」

 彼女たちが大好きな慈愛に満ちた笑みを向けてやる。

「ね、ジスラン様」とひとりが俺の腕に手を掛ける。「少し休憩をなさったほうがいいわ。あちらで」

「あら。私とお散歩をしましょう」と別のひとり。

「いいえ! 私が疲れたお体を労って差し上げますわ」

「どんな風に?」と思わず聞き返す。

 彼女は俺の耳に口を寄せてささやいた。

 なかなかに魅力的だ。今、ここでなければ。


「それは今夜にでも。それよりも、こちらに来てはいけないと聞いてらっしゃらないのですか。危険なんですよ」

「でもジスラン様にお会いしたかったのですもの」

 シヴォリ侯爵夫人の言葉に全員がうなずく。

「全てが終わったら、順に皆さんのお話を伺いますよ。じっくりと」

 きゃあきゃあと黄色い声が上がる。

「ですから今はお帰り下さい。速やかに」

 シヴォリ侯爵夫人の手を取り、指先に口づける。

「みなさんがケガをしたら悲しくなります」

 次にタラマンカ伯爵令嬢の手に。全員にキスを終えると、彼女たちは素直に帰って行った。


「殺意しか湧かん」とエルネストがうなる。

「そう言うな。差し入れを分けてやる」

 彼女たちが置いていったカゴを見る。

「酒、パン、チキン、焼き菓子、ん? 恋文もある」

「なんでお前みたいなクズがモテるんだ?」

「十人十色。こっちに来い。休憩にしよう」


 堅物騎士は盛大なため息をついたが、素直にこちらに歩いてくる。

「……こんなに上手くいかないのは久方ぶりだ」とエルネストがこぼす。

「苛つくな。ドツボにハマると進まない。昔はいつもそうだっただろ?」

「……」


 気に障ったのか、返事はない。


 カゴを差し出そうとして、ふと視線を感じた。女性たちが去ったほうを見る。木の影に若い女性がひとりいた。目が合った瞬間に背を向け駆け出した。


「なんだ、まだお前の取り巻きがいたのか」とエルネストが言う。不機嫌になったわけではなかったようだ。


「あれは――」

 多分、違う。俺の周りでは見たことのない令嬢だ。

「彼女の目当てはエルネストだな」

「そうなのか? あまり強そうではなかったな」

「アホか! いい加減、その性癖を捨てろ!」

「節操なしのジスランよりはまともな人間だ」


 侃々諤々と言い争っていると、かん高い悲鳴が森に響き渡った。間を置かず、ズシンと重い音が続き地面が揺れる。


 エルネストと俺は顔を見合せ、すぐに走り出した。

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