第17話 e世界
鋭い爪の生えた腕が振るわれる。
俺の身体と同じくらいの太さを持ったそれが当たれば一撃で死にかねない。
「あっ……ぶね!」
バックジャンプで躱す。服の裾を掠め、風を切って剛腕が通り過ぎていく。
腕を振り切った姿勢のモンスターの脇腹を斬りつける。
「せりゃッ!」
走る勢いも乗せた一撃は甲殻に阻まれ火花を散らす。
肉まで届いておらずダメージはなさそうだ。
そのことを横目で確認しながら走り抜けてモンスターの背後へと回り込む。
甲殻がある個所はこの武器では斬りつけても弾かれる。
狙うのなら甲殻のない腹、尻、顔面のどれかしかない。
斧を肩に担ぐようにして構えてスキルを発動させる。
「〈スラスト〉ッ!」
狙い違わずに最初に傷つけた場所の近くを刃が捉えた。
「グルァァァッ」
モンスターの巨体が揺れる。
この調子でダメージを与え続ければ行けるかも。
こちらを振り向き怒りに満ちた瞳を向けてくる。
俺はすぐに距離を取ろうとしたが、それよりも速くモンスターは腕を大きく掲げて振り下ろす。
ぎりぎりで後ろに下がって躱せたが、終わりではなかった。
続けて振るわれる二撃目。
バックジャンプで躱すが僅かに身体を掠める。
モンスターが倒れるようにして一気に距離を詰めてきた。
完全に間合いの内に入ってしまう。
回避は不可能。
迫りくる爪を狙って斧を振るう。
攻撃スキルではないものの、全力で放った斬撃だ。
必殺の威力の鋭い爪と鈍色の刃が激突し、一瞬だけ拮抗したように見えた。
しかし、気が付けば俺は宙に浮かされており、何もすることができずに背中を木の幹に打ち付ける。
肺の中の空気が押し出され、脇腹から胸にかけて痺れたような感覚がある。
「う……わ……」
視線を自分の身体へ向けると赤い直線が引かれそこから同色の粒子がゆっくりとあふれ出て虚空へと消えていっている。
傷跡だと認識した瞬間に、そこから熱が失われ代わりに冷たいものが入ってくるような気がした。
視界左上の緑色のバーが急激に減少し、半分くらいまで減る。
直感的に死を実感した。
このまま攻撃を受けたら俺は確実に死ぬ。
ぞっと脊髄に氷柱を差し込まれたような寒気に襲われる。
まだ聞いていなかったが俺はこの世界で死んだらどうなるのだろうか。
ずっとこちら側で死んだとしても大丈夫と無意識に思い込んでいた。
ゲームと似ている部分があったからそう勝手に思っていたが、誰かに聞いたわけでもない。
……今すぐ逃げれば助かるかもしれない。
近づいてくるモンスターの足取りは重たそうだ。
身体は痺れたように重たいが命の危機なのだから動けるはず。動くはずだ。
そう考えながらも頭の半分では自虐してしまう。
たった一撃喰らっただけで逃げ腰になっているのかと。
リゼちゃんを守るためと言ったのに、危機に陥ったらあっさりと約束を破るのか。
それは……すごくかっこ悪い。
手足に力を込めて立ち上がる。
膝が笑ってしまって情けない立ち姿だけど、今は動ければいい。
少なくともたった一つだけ真実がある。
タルトさんは自分たちを今を生きる命だと言っていた。
それは元の世界での俺と同じように、死んでしまったらそこで終わりだということ。
この世界での自分がどういうモノかはわからない。
顔は同じでも姿は少し違うだけで、意識は間違いなく自分自身で、迫りくる死の恐怖も間違いなく本物だ。
それでもHPがゼロになった瞬間、あっちの世界で目を覚ます可能性があるのなら。
「ここで戦い切ってやる!」
覚悟を決めて斧を構える。
すると勝手にスキル欄のウインドが開いた。
ちらりと視線を落とすと、斧スキルの欄に〈ノックバック効果アップ〉と〈攻撃スキルクールタイム減少〉という派生が出ており、それぞれポイントを振ることができるようだ。
前にやっていたゲームでもこんな感じの育成システムに触ったことがあった。
ノータイムで迷わずに限界値まで〈ノックバック効果アップ〉にポイントを振って、余りはクールタイム減少へ。
「グルァァァッ!!」
動き出した俺を見てモンスターが咆哮し、迫ってくる。
四つん這いでの突進ではなく、前傾姿勢になりながら後ろ足で立ち上がったまま距離を詰めてくる。
俺は斧を構えながら、頭の中でイメージを呼び起こす。
実際に戦ったことのない俺にはこの場合どうすればいいのかわからないが、あいにくと相手はモンスター。
何千、何万回とゲームの中で相手をした存在だ。
それなら一番得意な立ち回りが通用するはず。
何度も見た攻撃の動きが繰り返される。
迫りくる必殺の一撃を前に逃げたくなる衝動を抑え込んで迎え撃つ。
「〈スラスト〉ッ!」
僅かに光を纏った鈍色の刃がモンスターの鋭爪と激突する。
激しい火花が散り、薄暗闇に包まれつつある周囲を明るくした。
腕が痺れるほどの衝撃。互いの得物が弾かれるも俺の方が僅かに態勢を整えるのが速い。
攻撃に全振りよりも、パリィやステップ回避を駆使した戦い方の方が慣れている。
もう何度も見た攻撃であれば弾くタイミングを見切るのは簡単だ。
またしても振るわれる爪をクールタイムの終わった〈スラスト〉で弾く。
手応えからして普通に斧を振ったのでは攻撃の相殺はできない。
スキルのクールタイムが間に合わなくなれば俺の負けは確実なものとなる。
その前に懐へと入なくてはいけない。
怒り狂ったように叫びながらモンスターが暴れる。
全てを防ぐにはスキルのクールタイムが間に合わない。
瞬時に判断して、ぎりぎりを見極めて回避していく。
あと少しで躱しきれない攻撃が迫るが、すでにスキルは使えるようになっている。
三度目の攻撃を相殺。
一際大きな音が響き、モンスターの鋭い爪の一本が半ばから折れた。
モンスターがよろめき甲殻に覆われていない腹部がむき出しになる。
狙っていた弱点を間合いへと捉えると同時に叫びながら連続で斧で斬りつけた。
「うおぉぉぉぉぉッ!」
右斜め上から斬り下ろし、振り切ったところで手首を返して最初の軌道をなぞるように跳ね上げる。
縦斬り、水平斬りなどを織り交ぜた六連撃を叩き込む。
ゲームの画面越しではあるが何度も見てきたスレイズの連続攻撃。
突き技を含まない斬撃の身に連続攻撃なので、細かい部分は変わるがe世界であっても再現できる。
最期の一撃を与えたところで、モンスターが反撃するために動き出す。
それよりも速く跳躍し、クールタイムが終わったばかりのスキルを発動。
「〈スラスト〉ォォォォッ!!」
加速した斧は喉元から下あご、そして鼻の頭までを一気に斬り裂く。
会心の手応えだった。
これで倒れないのであれば、空中にいる俺は大した抵抗もできずにやられるしかない。
「――、―――ッ!?」
無音の叫びを上げながらモンスターは動きを止めたかと思うと数歩、よろめいて地面へと倒れ込んだ。
いきなり起き上がって襲い掛かってくる可能性もある。
着地しても構えを解かずにいつでも動けるようにしていたが動く気配はなかった。
何度か聞いたことのある音が鳴り、同時に獲得経験値とレベルアップしたことを伝えるポップアップが開く。
「やった……のか……」
倒したという事実を認識した途端に足から力が抜けて座り込んでしまった。
極限まで集中していたせいか頭がぐわんぐわんと揺れているようで気分が悪い。
それもすぐに治まって代わりにやってきたのは得も言われぬ達成感。
「……っ!」
思わずガッツポーズする。
これでリゼちゃんが後ろから襲われる心配もない。
後は果樹園に戻って無事な姿を見せればこのクエストのようなものは終わりだ。
すぐには帰れなさそうではあるけど。
全身が鉛のように重たい。
元の世界で全力で身体を動かしたときのような疲労感に今すぐここで横になって眠りたいという欲求が湧いてくる。
流石に眠るわけにはいかないでのもう少しだけここで休んだら戻らないといけない。
真っ赤に染まっていた夕焼け空はすでにほとんどが群青に置き換わってきていた。
マップで場所がわかるとはいえ、夜の森を歩くのは危険そうだから早めに帰りったほうがよさそうだ。
あと五分、いや十分だけ。
そう思いながら気を緩めていると風の音に交じって何かが聞こえた。
気のせいかと思ったが断続的に聞こえてくる。
それは果樹園があるのとは逆方向、森の奥側からやってきていた。
ふらふらとした足取りでありながら、力なく弱々しい印象はなく不気味さが際立っている歩き方。
残照を浴びてぎらりと凶悪に輝く曲刀と傷だらけのラウンドシールドを装備している。
人間型でありながら限りなくファンタジーな存在。
眼球の代わりに浮かぶ、暗い色をした炎のような瞳で俺を見ながらこっちへ向かってくる。
背筋に冷たいものが奔る。
先程までぎりぎりの戦闘をしていたからだろうか。
本能が今すぐこの場を逃げろと警鐘を鳴らしている。
それでも動くことができなかった。
手の震えが止まらない。心底を冷やすような恐ろしさに手足が石になったみたいに動かせない。
骨を軋ませながらゆっくりとした歩調で近づいてくる。
熊のようなモンスターを倒したというのに、ここで諦めて死ぬことはできない。
「……あぁ……ぁぁぁ!」
自分自身を鼓舞して立ち上がる。
恐怖はまだ消えない。
それでもここでただ殺されるのを待つという選択はしたくなかった。
斧を構えた途端、骸骨兵が動きを止めた。
じっと何かを考えるかのように、または観察するよな眼を向けてくる。
緊張が張り詰める静寂は突如として終わる。
「キシャァァァァ」
骸骨兵が叫びだし、剣を肩に担ぐようにして振りかぶる。
間合いの外でのその行動に俺はどうするべきか迷った。
そうしているうちに曲刀が淡い光を纏う。
瞬間、判断を間違えたことを理解する。
モンスターがスキルを使えるとは思ってもいなかった。
そして、攻撃スキルならば一瞬で距離を詰めるような突進系のスキルがあってもおかしくない。
咄嗟に迎撃態勢を取る。
骸骨兵が地面を蹴り、視認するのも難しい速度で近づく。
「〈スラスト〉ッ!」
振り下ろされる曲刀と交差するように斧を振るう。
まずは相手の剣を弾いて、その隙に出来るだけ距離を稼ぐ。果樹園にこんな奴を連れた状態で行くわけにはいかない。
こちらを見失うまで逃げ回るしか手はなさそうだ。
しかし、次の瞬間にはそれが甘い考えであったことを痛感させられる。
曲刀の磨き抜かれた刀身と激戦を耐え抜いてくれた斧が交差し、凄まじい火花が散った。
弾いたと思った瞬間、手応えたが軽くなる。
「な……っ!?」
斧の刃、その上半分が地面へ落ちていく。
斬り裂かれた。
弾くことも鍔迫り合いも起きずに一方的に俺の武器だけが斬られた。
一切勢いを緩めずに滑らかな弧を描いた刃が迫る。
致命傷を避けるために無理矢理身体を逸らす。
結果として死を僅かな時間遠ざけた。
致命傷を避けることはできたが胸を斬り裂かれ、HPバーが残り一割くらいまで減らされる。
斬撃を受けた衝撃で身体が動かなかった。
骸骨兵の攻撃はそこで終わることなく、振り切った剣が凄まじい速度で頭上まで戻り切っ先を俺の心臓へと向けている。
回避も出来ずに、突き出された剣尖は俺の胸を貫く。
呆気なく残っていたHPがゼロになった。
これまでとは質の違う冷気が身体を満たす。
ああ、死ぬのか。
視界が色を失い、黒く塗りつぶされていく中で頭の中に浮かんできたのは家族や友人の顔ではなく、数日前にとある少女から言われた言葉だった。
――今の君は誰も救えずに死ぬよ
その言葉の意味が今ならわかる。
一撃喰らってHPが減り、初めてゲームのように感じていた世界で生き足掻こうと思えた。
ここで俺は終わってしまうけど、リゼちゃんは守れたから。
……まあ、いいか。
音もなくHPバーが消失し、全身の感覚が消えていく。
瞼を閉じ――
「間に合った!」
遠くから凛とした声が聞こえた。直後に何かが軋むような音がすると誰かが身体に触れる。
まだ感覚が残っていたことに驚いて目を開く。
一人の少女が抱きかかえるようにして俺の顔を覗き込んでいる。
色を失いほとんどが黒く塗りつぶされた世界の中で眼前の彼女だけが色を持っていた。
群青色の髪。毛先だけは燃えるような蒼色。
アメジストのような瞳が向けられていた。
綺麗だ。
彼女は小さく微笑んだ。
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