第15話 モンスター
身体の右側に展開しっぱなしのマップを頼りに森の中を駆け抜ける。
目印までの距離が半分を超えたあたり。
変わり映えのしない森の中でそれは目に留り、思わず足を止めた。
背の高い木の幹に大きな三本線が垂直に引かれている。
何か大きく鋭いものでつけられた傷だ。
どこかで見たことがあるように感じる。
多分、こちらの世界ではなくて現実で似ているものを見たのだろう。
それが何かは思い出せない。
ただの直感ではあるがこの辺りから空気が重くなった気がした。
無意識に腰から下げた斧の柄に触れる。
一層気を引き締めた方がいいかもしれない。
また走り出そうとした瞬間――
「グルァァァァッ!!!」
獣の咆哮が響き渡った。
続いて断末魔のような叫びが上がる。
悲鳴のようにも聞こえるそれに嫌な予感がはっきりとした形を伴っていく。
「……ッ!」
全速力で走り出す。
時折、地面から出っ張った木の根に足を取られそうになりながらも、出せる限りの速度で一気に木々の間を走り抜ける。
進んでいると開けた場所に出た。
小さな泉がありその周辺には色とりどりの花が咲いている。
普通に訪れていたらさぞ美しいであろう光景だが、今はそうも言っていられない。
至る所に破壊の後があった。
周辺の木は何かが叩きつけられたように折られ、地面には抉られたような跡もあり、無残に散った花がそこら中にある。
それを引き起こした存在が広場の中心にいた。
夕焼けの空の下でもなお赤い返り血を纏った巨大な獣。
モンスターと言われる存在を初めて目にした。
地面に倒れている何かの腸に頭を突っ込んで、恐怖心を煽り立てる音を立てている。
その傍に落ちていたものを認識した瞬間に、足が縫い付けられたように動けなくなった。
タルトさんの家で何度か見かけた赤いリボンのついた籠が、化け物の傍に落ちている。
「……」
呼吸が浅くなる。
最悪を目の前にして、世界が遠ざかるような感覚に襲われた。
――間に合わなかったのか。
呆然とその籠を見つめることしかできず、立ちすくんでいると突然服の裾を引っ張られた。
それにつられるように顔を向けると、そこには泣きそうな顔ながらも心配そうにしている赤髪の少女が立っている。
「リゼちゃ――」
思わず大声が出そうになって慌てて両手で口を塞ぐ。
嬉しくなって一瞬、頭の中から消えかけたがすぐそこには恐ろしいモンスターがいるのだ。
ぴたりと背後でなっていた音が止んだ。
咄嗟に近くにあった木の陰に、リゼちゃんを連れて隠れる。
「グルゥゥ……」
低い唸り声が聞こえてくるが、まだ距離は遠い。
リゼちゃんに静かにしているようにとジェスチャーで伝えて、そっと様子を伺った。
モンスターは二本足で立ち上がっており、全長は二メートル以上ありそうだ。
シルエットだけで言うなら熊っぽいが俺のいる世界の生き物と異なる点が多い。
鋭い三本の爪、短めの耳、全身を覆う鎧のような黒っぽい甲殻。
そして、印象的な赤い瞳。
記憶が刺激されて思い出す。
数日前、果樹園の外からこちらを見ていた赤い目。
間違いない。このモンスターが果樹園の周りをうろついていた奴だ。
視線を熊っぽいモンスターの後ろへと移すとそこにはこちらに顔を向けている大蛇の死骸がある。
蛇の種類とかは知らないがとにかく大きい。
身体の太さだけで一メートル以上はあるはずだ。
熊はその腸を食べているようで、口元が赤くなっている。
モンスターは鼻を鳴らして匂いを嗅ごうとしていたが、少しすると食事に戻った。
俺はさっと頭を引っ込めて、泣きそうなのを必死に我慢しているリゼちゃんに向き直る。
「大きな怪我はなさそうだね……よかった」
「ゆ、ゆーと……こわかった……」
声を必死に抑えながら涙を流す少女を抱きしめて大丈夫と言い聞かせる。
本当は今すぐにでもこの場を離れたいが、まずはリゼちゃんを落ち着かせる方がいいだろう。
「ところでどうしてこんな危ない場所に?」
「お母さんの薬の材料を探しに来たんだけど迷っちゃって……」
途切れ途切れになりながら必死に説明してくれた。
どうやら俺がログインするずっと前に出発していらしいが、道がわからなくなってここに辿り着いたのはついさっきだったらしい。
そこでモンスター同士の争いに巻き込まれて、決着がついてあの熊が捕食している間に逃げようとしたところで俺を見つけて思わず駆け寄ったということだった。
……つまり俺が来たのはタイミングが悪かったってことだな。
俺がいなければリゼちゃんはそのまま逃げ出せたのに、こうして隠れる羽目になっている。
助けるつもりが足を引っ張ってしまった。
自責の念が心の中を占領し始めるが意識的に無視を決め込む。
後悔するのは今じゃない。
まずはリゼちゃんを無事に家まで帰すことを考えないと。
マップを開いて果樹園までの方角を確認する。
幸いにもモンスターは食事中で大きな音を立てなければ大丈夫なはず。
「いいかい、リゼちゃん。このまま一気に果樹園まで走るよ。大丈夫?」
涙を袖でごしごしと吹きながらも頷く。
「それじゃ音を立てないように気を付けて――」
言っている最中に気が付いた。
いつの間にか辺りに響いていた嫌悪感を覚えさせる租借音が聞こえなくなっている。
背筋に冷たいものを覚えつつ、食事をしているはずの熊の様子をうかがう。
しかし、さっきまでいたはずの場所には大蛇の死骸が残るだけで、熊のモンスターの姿はどこにもない。
背後で乾いた枝を折るような音がした。
続けて鼻孔を刺激する鉄臭さが充満し、思わず顔を顰める。
まさかと思いながら振り返ると、そこにいたモンスターと視線が合う。
「グルゥゥァァ!!」
大蛇を食っていた熊っぽいモンスターが咆哮した。
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