第13話 少しだけ強めに扉を閉めた
三月二十二日 午後九時
事前にログインすると伝えてあった時間だ。
現実で昼飯を食べた後、部屋からe世界へログインする。
いつも使わせてもらっている部屋からリビングへ降りると、タルトさんが眉間に皺を刻みながらノートとにらめっこしていた。
「こんばんは、タルトさん」
「あれ、ユート君。ああ、もうそんな時間だったのね。今日はしっかりとベットでログアウトできたんだね」
「その節はご迷惑をおかけしました……」
思わず視線を逸らして苦笑いを浮かべてしまう。
冒険者はログアウトしてもその身体はしばらくその場に残るらしい。
そして、ログインすると最後に眠った場所かログアウトした場所に身体が出現するようだ。
初めての時は最後まで話を聞かないでダイニングテーブルでログアウトしてしまったので、二人が頑張ってログアウト用のベットまで運んでくれたらしい。
タルトさんは壁に掛けてある時計を確認すると、手元にあったノートを閉じた。
「ちょっと待ってて。今、お茶を用意するから」
「俺も手伝いますよ。今日はあんまり疲れてないんで」
「そう?じゃあ、リンゴを切ってお皿に」
果樹園の女主人がお茶の用意をする横で、バスケットいっぱいに詰められたリンゴと向き合う。
適当な大きさのものを取って包丁で皮を剥いて、一口大に切ってお皿に盛りつけていく。
「ユート君、結構上手なのね」
「家で……現実世界でも母の手伝いで料理とかやっていたので」
「へぇー。世界が違くても家族っていうのはあんまり変わらないのね」
「リゼちゃんもよく家事を手伝ってますもんね」
「まだまだ危なっかしくて任せられないことも多いけどね。そうそう、この数日、あの子の相手をしてくれてありがとう」
「いや、俺も楽しかったですから」
相手をしたと言っても、仕事兼レベル上げの合間に向こうの話をしただけだ。
「おかげで自分の仕事に集中できたから……普段仕事するときは相手してあげられないから寂しい思いをさせてしまうことも多くて。
けど、ユート君が手伝ってくれるようになってからはあの子、楽しそうに笑っていることが多くなったから――」
火にかけていたケルトからけたたましい音が鳴ってお湯が沸いたことを告げる。
彼女は話を中断して、お茶の準備を進める。
その様子を作業をしながら横目で視つつ、自分の子供の頃を思い出した。
幼稚園くらいの頃、父さんは今よりも家にいることが少なくて母さんは毎日一人で家事をこなしていた。
世の中では普通のことかもしれないが、体力のないあの人には重労働だったのだろう。
家事を終えるとぐったりしていることが多かった。
あの時は寂しくてどうすれば一緒に遊べる時間を持てるか考えていたと思う。
それが色々と家事を含めやろうと思った最初の動機だった。
考え事をしながらも手を黙々と動かし続け、次のリンゴを取ろうとして手が空を切る。
気が付けばバスケットいっぱいの果実は消え、代わりに切り分けたリンゴの山が出来ていた。
……あきらかに切り過ぎた。
この世界に冷蔵庫は存在しないらしいので、このリンゴたちは責任をもって食べるしかない。
「あら、全部切ってくれたのね」
「夢中になってつい……全部食べるの大変ですよね」
「気にしなくていいのよ。残ったのはジャムとかパイにしちゃえばいいから。そうだ、リゼを呼んできてもらえる? あの子、ユート君が来るの楽しみにしていたから、きっと喜ぶわ」
「了解です。部屋ですか?」
「いつも君が斧を振っているところよ。たぶん星を見てるはずだから」
「大丈夫なんですか? この辺りってモンスターがいるんじゃ……」
「果樹園の中なら基本的には安全よ。森の中の奴らは人の住むところに近づこうとしないから」
考えてみれば彼女たち親子は俺よりも長くここに住んでいるのだから何が危ないとか知っているのは当然か。
ついつい蹴り飛ばされた時の印象が強くて、果樹園の中にもモンスターが入ってくるのだと思っていた。
とりあえず言われた通りに家の裏にある薪割りスペースへ向かうために外へ出る。
「おぉ……いつもより良く見えるな」
この世界に来てからは初めて満天の星空を見た。
代わりに夜空に浮かぶ円環の光が弱い。
もう少し眺めていたい思いを振り切って、リゼちゃんのところへと歩き始める。
タルトさんの言う通り、赤髪の少女は薪を割るときに土台代わりに使っている切り株に腰かけていた。
じっと夜空を見上げている。
「リゼちゃん、お茶の用意が出来たよ」
「あ、ユート! 今日は来ないのかと思った! 遅い!」
嬉しそうに顔を綻ばせたと思ったら、すぐに頬を膨らませる。
表情が忙しそうだ。
「ごめん。あっちの世界の用事が長引いちゃってさ……えーと、リゼちゃんは星好きなの?」
謝ったがまだ怒ったように頬を膨らませていたので、無理矢理話題を変えようとす
る。
少しの沈黙の後、リゼちゃんは口を開いた。
「前は怖かったけど、もしかしたらお父さんがいるかもしれないから……前に冒険者のお姉ちゃんが言ってたの。死んじゃった人は星になって私たちを見守ってくれてるって」
なんて言葉を返せばいいのか、わからなかった。
あまりにも寂しそうで泣き出しそうな表情で――
「……そうだね。きっと見ていてくれてる」
俺にはそんな短い言葉を返すのが精一杯だった。
黙って一緒になって星空を見上げる。
しばらくした頃、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
「リゼ、ユート君、お茶冷めるわよ」
タルトさんだった。
俺が呼びに行ったのにあんまりにも遅かったから心配で見に来たのだろう。
「ママ!」
タルトさんの姿を見たリゼちゃんは立ち上がると、駆け寄って彼女に抱き着いた。
「あらあら、随分と甘えん坊さんね」
お腹の辺りに顔を押し付けているリゼちゃんの頭を、タルトさんは優しく撫でる。
全部わかっているからとでも言いたげ表情で。
「リゼの大好きなリンゴとお茶を用意したから戻りましょう」
「……うん」
一瞬、タルトさんは視線を俺へ向けるとウインクをする。
全部わかってるから任せてと言っているように感じた。
家の中へ戻る二人の後をついていく。
二人に続いて玄関を潜ろとして――
「ッ!?」
――うなじにピリっとした感覚が走る。
勢いよく振り返ると自然と目線が森の方へ向いた。
果樹園の木々の外側、オータムの森と呼ばれているらしいそこに赤い炎のようなものが二つ揺らめいている。
それが何かの瞳だと気が付くの時間はいらなかった。
そいつはじっとこちらを見たかと思うと、反転して森の中へ消えていった。
暗いのと距離があったので姿は見えない。
しかし、確実にこっちを見ていた。
タルトさんの話だと果樹園に入ってくることはないという話だが――
「ユート君、どうかしたの?」
「あ、いえ、なんかモンスターみたいのがいたんですけど……どっかいきました」
「時期的に冬眠から目覚める種類が多くなるからね。これからは見ることが増えるかもしれないけど安心して。定期的に冒険者の人たちが狩りをしてくれるおかげで果樹園に入ろうとしないから」
「それで果樹園の中は安全って言ってたんですね」
しかし、タルトさんの説明を聞いても背筋に張り付いた冷気が消えない。
嫌な感覚を振り払うように、少しだけ強めに扉を閉めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます