第9話 ログアウト

 森の中を歩いていると、何となく頭の奥が刺激される。


「……なんだか見たことあるような、気がする」


 一度、訪れたことがあるような感覚があった。


 しばらく歩いていると、木の種類が変わっている場所に出た。


 ここまでは背の高い木々だった。


 しかし、目の前に生えている樹木は周りよりも背が低く、枝にはいくつもの果物がなっていた。


 少し離れた所には小屋が見える。


 はっきりと思い出した。


 ここは化け物に殺された夢の場所と同じだ。


 ぞくりと背筋に冷たいものが走り、思わず後ろを振り返る。


 そこに恐ろしい怪物はいない。


 正夢でなくてよかった。


 ほっと息をついて、顔を正面へ戻すと小さな女の子が木の陰からこちらを見ていた。


 視線が合うと、びっくりしたように樹木の影へと隠れる。


 今のは人間、だよな。


 あまりにも一瞬で引っ込んだので確信が持てなかった。


 少しだけ間を開けて、綺麗な赤髪の少女がゆっくりと顔をのぞかせる。


「冒険者さんですか……?」


 警戒心を露にしながら聞いてくる。


 言葉は通じるようでよかった。


 強張っていた部分が少し緩む。


 人と会えたってだけで安心した自分がいた。


「ええと、俺は木野唯人。冒険者っていうとのは違う……と思う」


「……わからないんですか?」


「目が覚めたら森の中でさ、何が何だかわからなくて」


 話をしながら今の自分が客観的に見たらどう映るか考えてみる。


 突然、森の中から現れ目が覚めたらここにいたなどと言っている青年。


 しかも、この世界の常識的なことを知らない。


 ……ただの不審者ではないだろうか。


 警察とか呼ばれないよな。


 この世界に警察があるのかは知らないが、それに類似したものが存在しないということはないだろう。


「わたしにはお兄さんは冒険者さんに見えますよ」


「……その、冒険者?っていうのは何?」


 少しだけ考えるような間を開けた後、少女は木の陰から出てきて俺と向き合う格好になる。


 見た目の年齢は小学校の低学年くらいだろうか。


「じゃあ、リゼが教えてあげます。おにいさんは悪い人には見えないので」


「ありがとう」


 とりあえずは不審者認定されることはなかったみたいだ。


 ほっと胸をなで下ろして、話しやすいよう片膝を地面につけて姿勢を低くする。


「冒険者というのは、向こう側の世界からやってきた人たちのことです」


「向こう側……?」


「えーと、みなさんは現実世界とか、物質世界と呼んでいました」


 それ完全にこっちに来てしまった人が言う言葉じゃん。


 ということはここが異世界なのは確定だ。


 少なくとも俺が元居た場所でないのは明らかだ。


 いや、待て。この少女はみなさんって言ったよな。


「みなさんって、君は他にも冒険者を知っているのか?」


「当然じゃないですか。この国にはたくさんの冒険者さんがいるんですから」


 自分一人ではなかったという事実がたまらなく嬉しかった。


 会うことができればこの状況も何とかできるはず。


「それにリゼのお家はログアウト用の宿もやってるんですから。お友達もいます!」


「……へ?」


 えっへんと言わんばかりに胸を張って得意げな顔をしている赤髪の少女。


 そんな彼女のかわいらし姿にこの時だけは構っていられなかった。


「リゼちゃん、今、なんて言った?」


 思わず少女の肩を掴んで、前のめり気味に聞いてしまう。


「え、お友達がいます……?」


「その前のとこ!」


「ログアウト用の宿もやってます……?」


「……ッ!!!!」


 ログアウト。


 アカウントに接続した状態であるログインの逆。


 ログイン状態を解除してアカウントとの接続を切り離すといった意味だ。


 ゲーマー、いや今どきはそうでない人も良く聞く単語だろう。


 俺にとってもなじみ深い、聞きなれた単語。


「つまり……この世界から元の場所に帰れるのか……?」


「そうだよ。お兄さんだっていつでも帰れるでしょ」


「よっしゃッッッー!」


「うわっ⁉」


 嬉しさのあまり叫んでしまい、リゼちゃんが驚いて数歩後ろに下がった。


 こんな至近距離でいきなり大声を上げながらガッツポーズされたら、普通に引くのは当然だろう。


 しかし、そんなことが気にならないくらい俺は喜んでいた。


 これまで孤独に生きていくしかないと思っていたのだからこれくらいは大目に見て欲しい。


「ありがとう、リゼちゃん!早速その宿、使わせてもらってもいいかな?」


 思わず少女の手を両手でぎゅっと掴みながら聞いてしまう。


「う、うん。いいよ。今の時期はお客さんが少ないから、ママも歓迎すると思う」


 何度も感謝を口にする。


 百万回言っても足りないくらいだ。


「案内するから、手を放して欲しいです。お兄さん」


 言われて手を掴んだままだったことに気が付いた。


 感極まっていたとはいえ、初対面の人に対して距離が近すぎた。


「ああ、ごめん。急に握ったりして――」


「うちの娘に――」


 慌てて手を離したところで誰かが走ってくる姿が見えた。


 暗めの赤髪をたなびかせて、すごい速さで迫ってくる女性。


 鬼の形相という言葉がぴったりの表情をしていて、手に鉈とか持っていないのが不思議なくらいだ。


「何してんのッ!」


 彼女は勢いをそのままに空中で一回転しながらヒーローのような蹴りを放つ。


 蹴りは綺麗に俺の顔面を捉える。


「ぐぎゃッ⁉」


 強力な運動エネルギーを躱すことなどできずに、吹っ飛ばされて地面を転がったのち、背中を樹木に叩きつけることでようやく止まった。


 ぐわんぐわんと揺れる視界の中で、蹴りを放った女性が追撃しようとして、それをリゼちゃんが止めようとしていた。


 それを子細に観察する余裕さえない。


 帰れると喜んだのも束の間、このまま死んでしまうのではないかと嫌な想像をする。


 あんまりだと思いながら、抗う間もなく意識を手放してしまう。

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