第8話 ファンタジー世界の住人A

 視界が白い光に覆われる。


 そのまぶしさで目が覚めた。


 見えるのは高いところに広がっている枝葉とその間から顔をのぞかせる青い空。


「へ……?」


 意識が段々と覚醒していき、状況を理解し始める。


 爽やかな風が頬を撫で、草や土の匂いが鼻孔をくすぐっていく。


 背中にはひんやりとした地面の感触がある。


 自然の中にいるらしい。


 何かがおかしい。おかしすぎる。


 ゆっくりと自分の記憶を思い返した。


 今日は朝起きてからすぐに玲司からのメッセージを見て、喫茶店『221B』へ向かう。


 期待に足取りを軽くさせ店に着くと、そこで待っていた龍ケ崎さんと一緒にお茶をする。


 よくわからない感じの話をした。本当にわからない。


 彼女は用事があったらしくすぐに帰ってしまう。


 長居する理由はなかったので、俺もコーヒーが飲み終わって店を出た。


 考え事をしながら帰路を歩き、家に着くと母さんがお昼を作ってくれていた。


 荷物を置きに部屋に戻ると凄まじい眠気を感じて、悪いとは思いつつ、誘惑に抗いきれずに横になる。


 そして、そのままゆっくりと眠りに落ちていき――


「目が覚めたら野外に放り出されていた⁉」


 辿り着いた真実を叫びながら、勢いよく身体を起こす。


 完全に目が覚めた。


 周りにあるのは見慣れた部屋の白い壁ではなく、背の高い木々が生い茂っている。


 眠っていた場所はふかふかのベットから、柔らかく短い草が生えている地面に変わっている。


 この状況から導き出される結論は一つ。


「夢だな!」


 両手で頬を思いっきり引っ張ってみる。


 すごく痛かった。


 夢でないとなると、別の可能性が浮上する。


「異世界転生……いや、異世界召喚ってことか!」


 転生だと眠ったと思ったら死んでいたということになる。


 まだまだやり残したことがあるのに死ぬのは嫌だ。


 その点、召喚は生きたまま呼ばれるので元の世界に変えることができるかもしれない。


 しかし、どこかで女神やら神様にチートスキルを貰った記憶はないし、すっごい力を得たような感覚もない。


 体感的にはまったく素の自分である。


「これはもしかしなくても、漂流的な奴なのでは……」


 そうなると俺はこれから特別な力や武器なしで沢山の冒険を乗り越えなくてはいけないのか。


 可愛いヒロインとたまにいい思いをしながら。


「………………………………夢なら覚めてくれよ……」


 異世界に来た、とテンションを無理やりに上げたが、本当に何も持たずに見知らぬ土地に来たのなら俺はどうすればいいのか。


 夢だと思いたいが、感じているものや匂い、音、触覚すべてがリアルすぎる。

 途方に暮れて空を見上げた。


 青空はどこまで澄んでいてとても高い。


 空を見上げると自分の悩みなどちっぽけに思える、というのは誰の言葉だったろうか。


 今の自分ができることを頭の中で整理する。


「…………少なくとも死にたくはない」


 それだけは確かなことだ。


 こうして嘆いていても仕方ないのだから、まずは行動あるのみ。


 両頬を叩いて気合を入れる。


 立ち上がって尻についた草を払う。


「とは言ったものの……どうしたらいいんだ」


 色々と知る必要がある。


 とりあえず人に会って話を聞きたい。


 人里に出るのが手っ取り早いが、見回す限り木々ばかり。


 建物はおろか人影なんてものはない。


 直感で道を決めるしかない。


 ただ森の中は目印が無いので迷いやすい。


 ここは樹木同士の感覚がある程度開いているのと、平地だからそこまで歩き難いことはなさそうだが、目印になるようなものはない。


 そこで思いだして、パーカーのポケットから端末を取り出そうとした。


 携帯端末にはコンパスのアプリがデフォルトで入っている。


 普段から使うことはないが、消す理由も特になかったので放置してあった。


 一度方角を決めれて、そっちにひたすら進めば迷うこともないと思ったのだが、そうはならない。


「ポケットがない………っていうか、服変わってる⁉」


 横になった時にはパーカーに黒のスキニーという出かけたままの格好だったはず。


 上は白いシャツに使い込まれたような色合いの革のベスト、ベストと同じ色合いの指ぬきグローブをつけていた。


 下は黒いズボンではあるが、脛の途中まで覆うブーツを履いていた。


 全体的に中世ヨーロッパの人とか、ファンタジー世界の住人Aといった見た目だ。


 残念ながらというか、幸いなのかは不明だが剣などの武器類は身に着けていない。


 こんな状態だというのに、異世界らしさに少し興奮する。


 しかし、服装まで変わっているとは思わなかった。


 ポケットの中身に手を突っ込んでみても何も入っていない。


 思わず嘆息した。


 こうなるとできるだけ気を付けて進むしかない。


 不安と僅かばかりの期待を胸にその場から歩き出す。

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