第3話『すとれんじ』

 アラームの音で意識がはっきりと覚醒した。


「……ねっむ」


 昨日——正確には今日——対戦に集中していたせいだろう。


 六時間近く寝たはずなのに、眠気が押し寄せてくる。


 なんだか夢を見ていた気もするし、結構疲れているみたいだ。


 二度寝したい欲に駆られるが、念のために掛けていたアラームが鳴りだす。


 それを止め、意を決してベットから出た。


 朝食をとったり、身支度を整え出発するときも僅かに眠気は残っていたが、バイトが始まると強制的にどこかへ行った。


 なぜならば、昼時の食事処『すとれんじ』は魔境だからだ。


「佐山、これを三番テーブルに!」


「オレ、注文取ってきます!!」


「手が空いてる人、洗い物頼む。そろそろ皿が無くなる」


「水、補充されてないんだがッ!明智は何やってんの!」


「……俺、バイトが終わったら彼女とデートするんだ」


「不穏なフラグを立てるんじゃない!」


 注文を取って、料理を運んで、手が空いたら皿を洗って、飲み物とかの補充をして、また注文を取るついでに料理も運んで、空いてるグラスに水を注いぐ。


 休む暇がなかった。


 俺や玲司の通う高校からほど近い場所にあるお店が食事処『すとれんじ』。


 お財布に優しい値段でありながら、ボリュームもあるので男子高校生にとっては最高の店だ。


 放課後になれば同級生や同じ高校の生徒をよく見かける。


 ただそれは学校が長期休みに入っていない平日の話だ。


 このお店の特徴は安さとボリューム、そして味だけではない。


 手に持ったトレーの料理を見る。


 それはいかにも辛そうな見た目をしている。


「お待たせしました。スンドゥブです。お熱くなっていますのでお気を付けください」


 微妙に発音しずらい韓国料理をそっとテーブルに置く。


 隣のテーブルにはトルコアイスが、更に隣にはクロックムッシュが運ばれている。


 この辺りだけで韓国、トルコ、フランスの三ヵ国が並んでいた。


 このお店はいうなれば多国籍料理店といったところだ。


 世界中のありとあらゆる料理が揃っており、仕入れた食材にもよるがなんでも出すことができるそうだ。


 メニューを見ると聞いたこともない名前が載っているのであながち嘘ではない。


 噂だがここ厨房を一人で担っている総料理長兼店長は世界中を旅して回った傭兵だとか殺し屋だと言われている。


 意識を横に割きながら持ち場に戻ると丁度、料理が出来上がっていた。


「12番テーブルに。かなり重たいから気をつけろ」


「了解っす」


 店長から受け取ったお盆には全長三十センチくらいの背の高いパフェ、熱々のステーキが二つずつ乗っていた。


 かなりのボリュームな上に届け先は二階席だ。


 少しでもお客さんを入れるためなんだろうけど、二階に料理を運ぶのは結構大変なんだよな。


 慎重に階段を上る。


「お待たせしました。ジャンボステーキと特性パフェになります」


「あ、きたきた!」


 黄色い声援を上げながら二人組の客の内、派手な見た目の女性が料理に舌鼓を打つ。


 よく見ればその女子は高校の同級生だ。


 名前は確かかしわレナ。


 一年の時から生徒会に所属しているので、集会の時などに見かけたことがあった。


 そして、彼女の対面に座っていたのは―――


「ね、言ったとおりっしょ、さよっち!」


「正直騙されたと思ってたのだけど、本当だったのね……」


「ひっどーい」


 龍ケ崎りゅうがさき小夜さよさん、同じ学校に通う同級生だ。同じ学年で知らない人はいないってくらい有名。


 本人はあまり騒ぐタイプではなく深窓の令嬢といった雰囲気の持ち主で、偶に開催される部活でも誰かと話している様子は見ない。


 逆に柏さんはいわゆるギャルだ。


 クラスの中心となっているらしくて体育祭では、仲間を盛り上げていた。


 そんな二人が一緒にいるイメージはあまりなかった。


 まぁ、違うクラスだったので俺が知らないだけという可能性は高そうだけど。


「鉄板がお熱くなっていますのでお気を付けください」


 柏さんは元気にはーいと返事をして、龍ケ崎さんは小さくお礼を言った。


「あ、ちょっとまって!」


 料理を届け終えて、一階に戻ろうとしたところで急に声を掛けられる。


 あの龍ケ崎さんが俺に声を掛けるという冗談みたいなイベントが発生した。


「え、俺?」


 思わず自分を指さしながら確認してしまう。


 これで別の誰かだった時、とてつもなく恥ずかしい思いをするが今回はそうはならなかった。


「そう、君のこと。確か……文芸部にいた、よね?名前は……」


 同じ部活に所属していることを認識されているとは思わなかった。


 なんせ彼女はその容姿も相まって僕ら男子から人気は高く告白する奴が後を絶えない。


 しかし、その悉くを彼女は斬り捨てている。


 そして、よく一緒にいるのは同性の友人だけなので密やかに実は男子が嫌いなのでは、と噂されている。


 話したことはなかったので流石に名前までは憶えていないようだ。


木野きの唯人ゆいとです」


「……そう木野くんね。えっと……」


 何か言おうとして口を開きかけるが、言葉を発することなく俺の顔をじっと見つめてくる。


 可愛い子に凝視されるのは嬉しいような恥ずかしいような気持になるが、同時に困惑もあった。


 俺は特に顔が良い方ではないし、そもそも彼女がどういう意図で凝視してくるのか、想像できない。


「おーい、唯人!人手足りないから早く戻ってきてくれー!マジやばいって」


「え、あ、ごめん、今行く。……そういう訳だから、俺行くから」


 ごゆっくり、と言い残してその場を後にする。


 去り際に見た龍ケ崎さんは眉根を寄せて困ったような顔をしていたが、すぐに柏さんに向き直って話に花を咲かせていた。


 最期の表情が頭の隅に引っかかっていたが、バイトのあまりの忙しでいつの間に忘れていた。


「ありがとうございました」


 会計を終えたお客さんが出ていくのを見送る。


 思わず大きく息を吐いて周りから見えないように身体を伸ばす。


「木野」


「あ、お疲れ様です、店長」


 呼ばれて振り返るとそこには身長が二メートル近くある巨漢、店長が立っていた。


 良く焼けたチョコレート色の肌、鎧のようなごつごつとした筋肉を纏っており、見た目だけなら歴戦の傭兵と言われても疑いはしないだろう。


 むしろ厨房を一人で切り盛りしていると見抜ける人は名探偵か何かだと思う。


「そろそろ時間だろ。レジは別の奴にやらせるから上がっていいぞ」


「了解っす」


 気が付けば龍ケ崎さん達は帰っていた。レジをやっている時に見なかったということは注文や料理を運んでいた時に出ていったようだ。


 結局、去り際に何を言おうとしていたのかはわからない。


 もしかして、告白的なアレか!


 一瞬、そんな考えが浮かんだがすぐに否定する。


 あの龍ケ崎さんだ。それはない。


 そもそもほとんど接点もないし、名前さえ覚えていなかった。


 はっきりとしないもやもやを抱えながら俺は帰路についた。


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