最高の二人

三上 真一

第1話 娘と死の谷と

ロードは、離した手の感触を一生忘れることはないだろう。さっきまでつないでいた娘「アリス」の手のぬくもりは、その暖かさをロードに残したまま、どこかに消えてしまったのだから。妻を亡くしてからここ数年は、娘を全力で育てることがロードの仕事だった。剣術士としての仕事で、城と家の往復も、娘の笑顔を見れば苦にはならない。しかしその娘が忽然と、自分の目の前から消えてしまったのだから。

「・・・・・・・・・・・・・・」

目の前には『死の谷』と呼ばれる霧のかかった底の見えない谷が広がっている。ここに来たのは偶然だった。娘の誕生日に何もしてやれない自分が、娘のために思い出を作るために、いつも行ったことのない場所で遊ぼうという娘の要求を呑む形でここに来たのが間違いだった。そう、アリスの顔が母に似てきた、それだけで、何もかもがよかったのに・・・

「・・アリス・・・どこだぁ!」

ロードの空虚な叫び声は、死の谷に吸い込まれて四散していく。考えたくはない。さっきまでのあの笑顔が、どこを探してもいない。目の前には死の谷。考えることは一つしかない。

「・・・ま・・・さ・・・か・・・?」

誰も、今まで生きて帰ったことのない谷。誰もが死の谷と恐れ、そこに近づくことさえしない危険地帯。そんなところにノコノコ遊びに来た自分たち家族を口を開けて飲み込む、底が見えない死の谷。そこに、娘が・・・・・?

「・・・・・・待ってろ!」

ロードは一瞬で覚悟を決めて、死の谷を見つめた。娘のためなら死んでもかまわない。そう決意を固めるのに数秒という時間すらもいらなかった。崖の先に足をつけて、どこか降りる窪みがないかを必死で探すロードに、突然、後ろから声が降りかかる。

「止めろ!痴れ者が!」

聞いたことのない男の低い声は、ロードには人間の言葉には聞こえない。まるで猛獣のごとくロードの胸に響いて貫く。

「ここを知らないお前ではないだろう!生きて帰れぬ場所に飛び込むなどとは、自殺と同じ!」

ロードが振り向くと、そこには自分よりも大きな馬に乗った白鎧を身にまとった男が、見下ろして言うのだった。

「ほっといてほしい。娘がいないんだ。探すんだ!生きていたって死んだってかまわない。俺はいいんだ!」

「ここで犠牲者をまた出すわけにはいかん。ローディアスの名において!」

「ローディアス?」

聞いたことのあるような名前であった。たしか・・・

「ローディアス騎士団・団長ローディアスが命じる。お前はここを動くな!」

この世界の半分以上を制するカーディガン王国、最強の騎士団、あのローディアス騎士団の責任者が、今、ロードの目の前にいる。

「俺は・・娘が死の谷に言ったのではないかと思う。だから探したい!」

「ここの捜索はローディアス騎士団がすでに王から一任されて行っている。お前の出る舞台はここにはない。役不足!」

一刀両断された。しかし、ロードは舞台から降りるわけにはいかない。

「俺も探させてくれ!俺にはもう失いたくはない絆がある!それが娘のそれなんだ!」

ロードも一歩も引かない。引くわけがない。

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・騎士団の団員1名は、先月、ここでいなくなった・・死んだのだ・・・」

「・・・・・・・・・・」

ロードの胸が詰まった。

「だからお前のような素人を、この死の谷に行かせるわけにはいかない」

「・・・・・・・・・・」

「だが・・・団員として死の覚悟があるなら・・・三日後・・カーディガン王国のベスト城で行われる団員選抜大会に出場してみろ」

「えっ?」

初耳だった。団員を常時募集しているなんて。

「どっちなんだ?」

「・・・・・・・・・・死ぬなら、怖くはない。死の谷だろうと、どんな場所だろうと、そこで娘が泣いているなら、俺は何だってしてやる。悪魔だろうと、どんな武器だろうと俺はそれを超えてやる!」

「・・・・名前は?」

ローディアスは、改めてロードの顔を見た。


「ロード。ロード=フューチャー。未来を切り開く者と名付けられた」

その目は、確かにローディアスを魅了していた。

つづく

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