5.襲撃

サボるのは、西入浜と決めている。

「こらあ。ヒロム。どこへ行っきょんな。サボったりしたら、堪えへんぞ」

寺井社長が大声で、脅すように怒鳴った。

弘は、愛想笑いして、逃げるように出て行った。


石木町に住んでいると、何でも揃っているので、大抵の事は足りる。


地方だから、時給は安いが、職種は多様だ。

求人に応募すれば、その日からでも仕事に入れる。

この町から出なくても、普通に生活は出来る。


隣町の丸肥町には、洒落た専門店や大型商業施設もある。

しかし、普段、買物に出掛けるのは、コンビニか、二十四時間営業のアックスだ。

以前は、アックス丸肥店へ買い物に通っていたが、今は石木店に通っている。


アックス石木店の角を曲がって北側へ回ると、飲食店が建ち並んでいる。

よく利用するのは、うどん屋と居酒屋だ。

居酒屋と云っても、メニューもそうだが、ファミリーレストランのような造作だ。

店内は明るいので、千景を連れて行っても違和感は無い。


他にも、千景を連れて訪れるイベント会場もあれば、広い公園もある。

住宅の密集する自治会ごとにも、小さな公園がある。

一歩、横道を歩けば、田畑さえ広がっている。


石木町には、保育園、幼稚園と小、中、高校と、学校も揃っている。

更に、理学部だけではあるのだが、大学まである。


千景は丸肥町の保育園に通っている。

石木町に保育園はあるのだが、抽選に漏れたのだ。

どこの地方も過疎化が進んでいるが、国道の南側は、急激に人口が増えた。


滅多に診察に行く事はないが、総合医療センターもある。

弘が、ご厄介になるのは、もう少し先になるが、介護施設もある。

千景を診てもらっている小児科医院やクリニックもある。


市内の中心部と違って、どこの施設を利用するにしても、駐車場がある。

国道を一本隔てただけで、随分と景色が違う。


ただ、ひとつ。

海が見えない。

遠くに、山は見えるのだが、海は見えない。

自宅から少し東には、川があるのだが、海までは遠い。

弘は、港町で育ったので、海の景色が見えないと、何か落ち着かない。


だから、サボるのは、西入浜と決めている。

何も考えず、のんびり過ごすには最適だ。

「チラシ配って来るわ」


作業が入っていない時は、チラシ配りと、決まっている。

事務所を出る時、チラシを準備しなかった。


西入浜の防潮堤に腰かけて、海を眺めている。

湾岸公園の駐車場で煙草を喫って、コーヒーを飲んで、また、海を眺めている。

ここまでは、いつもの通り。サボる時と同じだ。


しかし、今日は、別の目的があった。


尾崎さんに、何があったのか。

のんびり過ごすつもりだったが、何度も考えた事をまた考えていた。


片丘市議が云っていた。

ずっと以前から、昼休み後に、二人が一緒に職場へ戻って来ていた。


弘と同じように、単に、何処かでぼんやりしていたのかもしれない。


三年くらい前に、突然、片丘院長が尾崎さんと、不倫をしていると云う噂が広まった。

おそらく、この頃から、トラブルに巻き込まれていた。


同じ頃、アックス石木店の夜間従業員が、石木バイパス調剤薬局の薬剤師と不倫をしているという投書カードが投函されていた。


内容が、店舗のサービスに対する苦情では無かったため、店長は、橋本係長に相談した。


橋本係長は、三田主任に確認した。

三田主任は、橋本係長に、近藤が片丘クリニックに通っている事を伝えた。


近藤は、喘息の持病があり、以前の健康診断でも高血圧と診断されていた。

まだ四十歳代前半だが、片丘クリニックへ通っていた。

近藤が、怖い笑顔で、片丘クリニックへ通院していた事から、石木バイパス調剤薬局へ通っていたと、噂になったのだと結論付けた。


近藤本人には、云わなかった。

しかし、橋本係長が、夜間責任者として石木店へ入った時、近藤に不倫の噂について尋ねた。


近藤自身も、店舗で、そんな噂を聞いた事があった。

だから、橋本係長に尋ねられた時、苦笑いしてしまった。

しかし、三田主任は、近藤に何故、直接確認しなかったのだろうか、と思った。

ふと気付いた事があった。


そして、その頃、片丘院長と尾崎さんの不倫の噂が消えていた。

片丘市議が云っていた時期と一致する。


尾崎さんの、巻き込まれたトラブルの状況が変わったのだ。


しかし、ずっと、尾崎さんは、何かトラブルを抱えていた。


その日、尾崎さんの部屋へ男性が訪ねて来た。

部屋で諍いになり、男は尾崎さんをベランダから突き落とした。

警察は、事件と事故の両面で捜査していると記事になっている。


片丘クリニックの院長の奥さんは、市議会議員だ。

片丘市議は、尾崎さんが転落した時、片丘院長を目撃していないか、と相田に尋ねた。

当然だが、誰か居たのなら、警察に云っている。


犯人は、相田を知っていた。

店舗で、万引きをしたと云って、相田を脅迫した。


三時を回ったので、事務所に戻っていた。

エンジン音が近づいて来た。


振り向くと、バイクが、弘を目掛けて向かって来る。

先日と同じバイクではない。


それこそ、モスグリーンのバイクだ。

近藤が云っていたメーカかどうか分からないが、色は濃い緑色だ。


弘の前でバイクが停まった。

弘を目掛けてアクセルを噴かす。

狙われている。


防潮堤へ向かって走った。

速度を上げる音がする。


金属の擦れる音がした。

「おーい。ヒロム」野太い怒鳴り声で、呼び掛けられた。

龍治だ。弘より十歳年下なのに、呼び捨てにされている。


振り向くとバイクが倒れている。

龍治が男を組み敷いていた。

すぐ横に、龍治に負けず劣らず、がっしりとした男が手錠を掛けている。

もう一人の男が何か携帯で怒鳴っている。

ヤッシだ。

高校時代の同級生で、大学卒業後、警察官になった林だ。

就職して、数年後に、ある事件で、再会した。


五年前に、弘が通り魔に襲われた時も、林が捜査していた。

犯人は、未だに逮捕されていない。


林もそうだが、もう一人も、分かり易いくらい、一目で刑事だと分かった。

がっしりとした男が、男のヘルメットを剥ぎ取った。

男の顔が見えた。

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