6.広報配り

弘は、自治会の体育、防災委員をしていた時に、片丘茜市議会議員に面会したことがある。

その時、災害時の緊急時避難先を追加するという事案でお世話になった。


電話で面会をお願いすると、要件も聞かずに、すぐに了解がとれた。

訪問すると、片丘市議が出迎えてくれた。


面会したのは、以前と同じ書斎だった。

書斎と云うよりは、片丘市議専用の応接間兼事務室のようだ。


挨拶を済ませると、以前お世話になった事についてお礼を云って、すぐに本題に入った。

「先生。単刀直入にお伺いします」

元々、弘は小心者。

途中で怯まないように、一気に経緯を話し始めた。

「先生。単刀直入にお伺いします。相田さん。相田浩之さん、先生は、相田さんの勤務先で会っていましたよね?その日の夕方、なんですけど、相田さんが、行方不明になっているんです」云えた。


片丘市議が「アックス」の店舗の出入口で、相田浩之と会っているのを目撃した。

本当は、防犯カメラに映っていたのを見たのだが、云わなかった。

その日の午後、相田が失踪した。


「実は、うちの子と―「娘さんですか?」片丘市議が尋ねる。―ええ、女の子です」

「うちの子と相田さんの娘さんとは、保育園の友達で、母親同士もママ友で、仲が良いんです」どうも、話の途中で質問されると戸惑ってしまう。


「うちの嫁さんが、乙葉ちゃんママ。―「乙葉さん。奥さんですか?」また、片丘市議が尋ねる。―ああ、ええっと。相田さんの奥さんなんですけど」

弘は、何を云っていたのか忘れた。


「まあ、ええっと、困っているのを見て、私たちで何かしてあれられないかと思って、探すのを手伝っているんです」弘は云い切った。

つもりだ。

そして今、ふと思った。


弘の説明した嘘が、本当の経緯かもしれないと思った。

本当は、景子が、憔悴したママ友の力になろうと思って、寺井社長に相談したのではないだろうか。

弘が話し終えると、片丘市議は、無表情になった。

気を悪くしたのかもしれない。


一気に云い終えた弘に、緊張したように云った。

「主人が、浮気をしている。―「ええっ。そうなんですか」意外な告白に、弘は、つい云ってしまった。―いえ、そんな噂が三年ぐらい前にあったんです。主人と尾崎さんが不倫をしていると」

片丘市議が、主人の浮気を否定した。

しかし、話は、どこへ飛んでいくのか。


そのうちに、噂は、消えてしまった。

何故、そんな噂が広まったのか、片丘市議は、不審に思った。

何故、その噂が、今度は、突然、消えてしまったのか不思議に思った。

そして、今になって、ふと疑問に思ったそうだ。

今度は、一気に片丘市議が話し出した。


弘は、相田さんと、どのような関係があるのか、分からない。

ただ、確かに、そんな噂を聞いた事がある。

片丘院長と尾崎さんは不倫している。

そんな噂があった事を聞いた。


クリニックの看護師も、薬局の従業員も噂をしているという事だった。

尾崎さんは、毎週金曜日、昼休みに自宅マンションへ帰る。

午後の開始時間まで帰って来ない。

片丘院長も同じ時間に、どこにいるのか分からない。


一度、尾崎さんの自宅マンションの方から片丘クリニックの方へ、一緒に歩いて戻って来るのを看護師が目撃したそうだ。


そんなことから、不倫をしていると噂になったそうだ。

しかし、片丘院長はその時間に出かけるのは、ほとんどの場合、自家用車を運転して出て行くのだった。

尾崎さんが、同乗していることは、一度もない。

たまに、歩いて出掛けることもあるのだが、ほとんど自家用車だ。


尾崎さんは、自宅マンションへ帰っている。

これは、クリニックのスタッフや、薬局の従業員が目撃している。


ただし、何度かは、院長と尾崎さんが、マンションの方からクリニックの方へ戻って来るのを目撃されている。


その日、片丘市議の会報誌が刷り上がっていた。

翌日から、配布することにしていたので、片丘市議自身で配る部数だけ残して、後援会長の水沢さんの所へ持ち込んだ。


その時、ふと思い出した。

今日は金曜日。

院長の自家用車は自宅の駐車場にある。

今日は徒歩で、どこかへ出かけている。


その日、立花マンションに会報誌を配ることにした。

最上階から配り始め、六階に着いた。尾崎さんの部屋がある階だ。

エレベータを降りて部屋へ向かう方へ曲がった。


ドアの鍵の閉まる音がした。

正面に非常階段のドアが開いている。

誰かが、出て行ったらしい。

非常階段のドアが閉まった。


尾崎さんの郵便受けに、会報誌を投函してマンションを出た。

石木調剤薬局前の駐車場を横切って、南へ回ると、そこが自宅だ。


その後、投身自殺が起こった。

自殺したのが尾崎さんだと聞いて、片丘市議は主人を心配した。


防犯カメラに映っていた片丘市議も警察から事情聴取を受けた。

会報誌を配布するために、マンションを訪れた事。

尾崎さんの部屋に会報誌を投函した事。

特に変わった様子が無かった事をそのまま答えた。


月曜日になって、クリニックでも薬局でも尾崎さんの話で仕事にならなかった。

医薬品卸の配送の人も、その自殺のあった時間に、尾崎さんらしい人影が、ベランダに居たと、目撃証言したと云う事だった。


それで思い出した。

会報誌を配って、帰宅する途中、駐車場で有己輝Sの従業員に挨拶した。

それが、時々見かける、配送の相田だった。


相田は近くのスーパーで、夜、働いていると看護師が云っていた。

買物に行くと、とても気持ち良く挨拶してくれるし、よく声を掛けてくれるそうだ。


「なに?どうしたんや?」弘は、景子の苦笑いが、気に障った。「いいえ。誰かさんと違って、愛想が良えんやと思って―」

弘も、それには賛同する。


それで、片丘市議は、相田に確認しようと思った。

本当に尾崎さんだけだったのか。


片丘院長が尾崎さんのベランダにいなかったのか。

もし片丘市議が想像したとおりだとすると、殺人事件になる。


しかも、その犯人は片丘院長ということになる。

尾崎さんの部屋のベランダには、本当に尾崎さん一人だったのか。


片丘市議は、その事を確認するために相田を訪ねた。

相田は、女性しか見ていないと答えた。


片丘市議は、直接、夫、片丘院長に確認した。

片丘院長は、尾崎さんの部屋を訪れた事は、一度も無いと否定した。


気になるのは、非常階段のドアが開いていた事。

そして、後援会長の水沢さん。くらいか。


片丘市議の云っていることは、なんとなく分かるような気がする。

嘘を云っている様子はなかった。

政治家特有の説得力の所為かもしれない。


それにしても、片丘院長は、どこへ出掛けているのだろう。

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