5.チラシ配り

「借り手は、付かんわなあ」

マンションの管理人が云った。


弘の住んでいる町内の出来事なのだが、何故か、遠くの出来事のように感じていた。

弘は、立花マンションの管理人と、世間話をしている。


有己輝Sの物流センターで、相田の配送日報を見た。

相田が、失踪する二日前の配送日報に、不審な空白の時間を見付けた。

その空白の時間については、まだ、調査していない。


石木バイパス調剤薬局の薬剤師が、マンションから飛び降りた時の話を聞いた。

そのマンションの一室の借り手が付かないと管理人が、話をしていた。

管理人は、マンションのオーナーではないので、空室のままでも特に困った様子もない。

だから、世間話程度の情報は入手できる。


今朝、弘は、「何でもするゾウ」へ顔を出した。

だだっ広い事務所に寺井社長が一人でいた。

「見つかったんか?」寺井社長が弘に尋ねた。

「おう、任せとけ」弘は、威勢よく云った。

「えっ?分かったん?」寺井社長が喜ぶ。「まだや」弘は元気よく云った。


「なんや。まだか。やっぱりワタルと代えとったら良かった」寺井社長の落胆は大きい。

「まあ、待てえや」弘は、寺井社長を落ち着かせようとした。

「待ってあげるけど、今日は、何しに来たん?」

寺井社長は、興奮して迫って来る。


「チラシ配りや」弘にとっては、考え事にはちょうど良い作業だ。

調査した状況を整理したい。


「そんなんしとる場合や無いやろ」

遂に、寺井社長は怒鳴った。

「まあ、待てえや」弘は、もう一度、そう云うと、慌てて事務所を出て行った。


原色の黄色いジャンパーを着て、チラシの入ったポーチを腰に締めた。


何処へも寄らずに、立花マンションを目指した。

一度、石木町地域にチラシを配ったことがあった。

もちろん、立花マンションにもチラシを配っている。


管理人さんに挨拶して、許可を貰うと、水羊羹の詰め合わせと麦茶の大型ペットボトルを差し入れた。

ここには、集合ボックスがないので、戸口の郵便受けに投函する。

全戸に配った。


「ありがとうございました」管理人にお礼を云うと、管理人が「暑いのに大変やなあ。まあ、こっち入って、ちょっと休んで行きな」と云って、管理人室へ弘を招き入れた。


差し入れの効果てきめんだった。

窓口の後ろに小さなテーブルがある。


先程の水羊羹のカップを皿にのせて、その横にグラスが置いてあった。

「あんた、麦茶が良えんかな?あんたに貰うたんは冷えとらんきん。緑茶で良えかな?」

管理人は人がよさそうだ。

それとも暇潰しの話し相手を見付けたと思ったのか。


「はい。麦茶も緑茶も好きです」弘は答えた。

それでも、情報さえ入手できれば、何でもありがたい。


立花マンションの管理人に、話を聞くことができた。

「あれは、大変やったわ。お巡りさんが、いっぱい来てなぁ。立入禁止のテープ張ったり、防犯ビデオを提出したりしてな」

管理人は、憚るようすもなく喋った。


「なんでやろかなあ?自殺やったんやないんですか?」弘は確かめた。

「そうなんやけど、遺書がなかったんや。それに鍵は掛かっとったんやけど、チェーンは掛かってなかったんや。ビデオに映っとった人に確認しとったけどなあ」

管理人は結構、何でも話してくれる。


「へぇー。大変やったんですねえ。それで、何か出てきたんですか?」弘は、大袈裟に驚いて見せた。

「いや。それがなあ、もう、ここ、古いやろ。カメラも、そこの入口と、駐車場だけなんや」

管理人は残念そうに云った。

なるほど、入口に防犯カメラはあった。


「駐輪場の方から入ったら、誰が来たか分からんのや。そこのカメラに映ってたんは、二人だけなんや。それでなあ」

入る時に、防犯ビデオに映っていた人は、住人と管理人、それと会報を配る人だった。

その人は、出る時に駐輪場から出た、ということだった。


「それでなあ、その会報を配っとったんは、ほれ、そこの片丘クリニックの奥さんで、市会議員やっとる茜さんと、その後援会の人やったわ」

「ほいでな。ああ、そうそう。これがその会報やわ」

管理人は「あかね広場」という会報誌を見せた。

弘の家にも毎月ポストに配布されている。


繋がったかもしれない。

片丘茜市議会議員が、何らかの形で関係している。


相田が、失踪する二日前、有己輝Sでの配送中、空白の時間がある。

同じ日の未明、片丘市議と会っていた。

「アックス」の防犯カメラに映っていた。

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