第15話

「喉が痛いわ」

「風邪をひいたからな」

 呆れたような言い方だったらしく、妻がむすっとした顔で睨んできた。

「冷たいわ」

「悪かった」

 昨日、妻が買い物に出かけてすぐに雨が降ってきた。傘を買うだろうかと思っていたら、ぴちょぬれで帰ってきた。気持ちよかったなどとのたまうので、風邪をひくかな、と心配していたら、それみたことか。

 あつあつのシャワーを浴びせたが、そのあと雨にはしゃいだ妻は子供みたいに部屋のなかをあっちらこっちに駆けまわった。

 雨が降ると人は落ち着くものだというがうちの妻は少しだけ変わっている。いや、雨だからじゃない。雷雲のせいだ。雷の音がして、強い風が吹くと、妻は嵐や雷の音がすると、まるで踊り出そうというようにはしゃぐ。その気持ちはわかる。俺も若い頃、どうしてか台風が来るとそわそわしていた。


 翌朝には喉の痛みからだみ声でうーうー唸っている。

 手のかかる妻を介抱するのはあまりいやなことではない。むしろ、役得だと思う。熱に侵され、苦しがっているが、そういうときの色気はまた格別だ。

 ひどい夫と罵られそうだが、彼女が苦しがっているのを傍らで眺めながらのんびりするのもいい。

 彼女が心配だからと、すべての予定をキャンセルするのも、また一つ役得だ。

 仕事が嫌いなわけでも、外に出ることがいやなわけでもない。

 ただたまにこうして彼女を一番愛しているというアピールを世間にすることは俺自身の心の安寧に繋がる。

 たまに自分を納得させるように妻を大切にする。

 ちゃんと俺は俺の愛に報いている。

 そう納得できる行動をとりたくなるのだ。

 エゴだ。

 それでいい。

 誰かを好きで大切にすること、優先すること、その欲は全部俺自身のエゴだ。

 日常のなにげない気遣いではなくて、こういう大々的なアピールをすることで俺は少しだけ欲を満たすことができる。それに

 妻が手を伸ばして、握りしめてきた。

 にこりと妻が笑う。

 愛されてると実感している顔。その顔を見ると、なんでもしてあげたくなる。日常のささやかさではたぶん思わない強い思い。それが満たされる感覚。

「移してくれてかまわない」

「風邪を?」

「ああ」

「……だめ」

 妻が笑う。

「あなたが苦しむの、見たくないわ」

「けちめ」

 ふふっと妻がまた苦しそうに笑って咳き込んだ。

 黙ってキスすると、もうっと怒った顔をする。髪の毛を撫でて額にもう一度キスをする。弱った君も好きだよ。

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