第14話

 夫が戻ってきた。

 ううん、それは私の好きな夫じゃない。

「おかえりなさい」

 暗い目をして、ニヒルに笑う。ああ、大嫌いな男だ。

 俳優をしている彼は、きっと自分のことが心底嫌いなんだと思う。誰かになることが得意で、その美貌とセンスは悪役をやれば誰だって視線を向けてしまう仄暗さがある。彼が売れた一番の役、ヴィランならば彼だと言わしめさせた作品。

 世界を憎み、恨み、喜劇にするヴィラン。

 私はその作品の彼がたまらなく好きになった。子どものころ、はじめて見たときはおっかなびっくり、半泣きしたことを覚えてる。けど、目が追いかけてしまって、そのあと私は高校生になって、また見た。大人になったときも見た。女優目指そうと思ったときも見た。なにかの折にそのヴィランを見た。彼は最高に狂っていて、血まみれのなかで踊り、すべてを破壊していく。残酷で追いかける刑事を責めさいなみ、凶悪な事件を解決する。三部作のそれはとうとう終わりの話。長いスパンをかけて完成される作品。けど

「ただいま、ハニー」

「……私の夫を返して」

「俺だろう」

 歌うようにいわないで

「違う」

 噛みつく

「私の夫を返して、あなたじゃない。ヴィラン」

 彼は、笑う。優しく。腕をとられて引き寄せられる。

 長く離れていたからすごく飛びつきたい。

 甘いコロンの香り。私の知らない彼の匂い。それは嫌い。

 キスされる。

 噛みつくみたいに優しくない。私は逃げようとして失敗して、抱きしめられる。

「まるで嫌いな男にキスされた顔だ」

「嫌いよ、あなたなんて」

 私がいるのにあなたの孤独は埋められない。あなたは孤独埋めるために俳優をしている。誰かになるあなたが嫌い。けど、私はずっと憧れていた。銀幕の下、誰かになることが得意なあなたが輝く場所。あなたの微笑みと誇らしげな姿。そして映画のスクリーンに映るあなたの姿。

「だって、初恋だもの。あなたが」

「……」

 目が合う。

 私の濡れた瞳にあの人の

「浮気者」

 鋭い声に私はぱちくりする。

「浮気? なにがっ」

「君は俺のするヴィランが初恋なの? そんな潤んだ目で見るほど」

「え、あ……そう、だけど、いきなり素に戻るなんてひどいわ。ダーリン」

 私が叫ぶと彼はむすっとしたままそっぽ向いた。

 びといわ。 

 ここまできて戻るなんて!

 それに、

「どっちにしろあなたじゃない」

「君は俺がする役が好きで、俺自身はおまけみたいに思ってるんだろう」

「違うわよってか、なに、そのいじけぷり! あなたが好きよ、私はあなたと結婚したのよ、ばかねっ」

「君ははじめて出会ったときも、今回も俺が役をしているときばかりそんな可愛い顔をしてる」

「どんな顔をしてるのよ、もう、ばか。……おかえりなさい」

「……ただいま」

 私たちはとりあえず抱擁を交わした。

 互いに離れたいた時間を味わいなおすために。知らない香り、けど知っているぬくもりがここにある。

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