第3話 元魔法使い、面倒な男

「素敵な人はたくさんいます。ただ、人間の寿命は短すぎる。ぼくが恋愛感情を持ってから、その気持ちが見返りを求めない愛に代わるまで、変わらずに、ずっと目の前にいてくれる人間はいなかった」

そりゃそうだ。私たちにとっての一年と五十年は大した差ではないが、人間にとって一歳と五十歳は言うまでもない。人間の寿命は、延命の術を使っても、おおかた一五十歳までだ。

「寿命を延ばす術も使わないから、余計に短く感じたでしょう」

「はい。それに、皆幼い。大人みたいな顔をして子どもみたいなことしか言わないのです」

「それも、平均寿命のせいですね。たまに『背を伸ばす薬はありますか』とお店に来られる方がいます。まさに、大人みたいな見た目の子どもがたくさんいるのです」

「なるほど。薬局は人間も魔族も来るから面白そうですね」

営業時間を三十分過ぎたとき、ウルダが「時間外労働よ」と糸川さんに言った。糸川さんはウルダの顎下を撫でて「長居してしまってすみません。また、来週来ます」と少し多めのチップを置いて行かれた。


「あいつの話、ずっと聞いていたの。変なのに懐かれたわね」

扇風機の前で、声をプロペラみたいにしたウルダが言った。魔族に生まれながらにして、その力をまったくもって使わないという選択肢は、考えたことがなかった。当然のことなのだが、与えられたものを使い続けるのも、不要になったからと捨てるのも、何もかもが個人の自由なのだ。

「そういえば、朝の十一時にオリーブさんが来ていたわ。あの子は元気かって聞かれたから、今日もおかげさまで忙しくしています、体調は問題ありませんって言っておいたから」

オリーブは、それだけ聞いて出ていったという。白いリコリスが、今は動かしていない暖炉の上に一輪置いてあった。白も出せるようになったのか、赤いのが白に変わったのか、分からないけれど、彼女が成長、もしくは老いていることが分かった。


また、この前と同じ時間に彼が見えた。ライスカレーとチャイ、今日はパプリカのピクルスを注文した。着席すると同時にウルダがうちの居間から駆けてきて彼の膝に上がった。私が料理を用意している間に彼女は彼の話し相手になった。

「ぼくも白いのを飼っていたことがありました。そいつは短毛だったから、あまり似てはいないけれど」

「私を誰かと比べようなんて、元魔法使いが偉そうに」

「ごめんね。でも、彼のこと大好きだから。ぼくが『元』になってから一年した頃、彼は消えてしまった。肩書が減ったことが、気に入らなかったのかな」

「さあ。あなたが他のことに費やす時間が増えたからじゃないかしら」

すべて聞こえていたが、的を射た回答だった。あら、的を射る猫。なんて可愛らしい。たしかに魔法は便利グッズみたいなもので、使えば使うほど暮らしに余裕を生んだ。

「なんてお名前の猫ですか」

ピクルスを出しながら聞いた。言われても分からないのだが、一応聞いた。

「ビシーといいます。しなやかな子です」

 ウルダが不機嫌になりそうな言い方だった。しかし、彼女は気にせずに知り合いの猫をくまなく思い出そうとした。

「この前、出ていった猫が一瞬うちに帰ってきていたみたいで。ビシーさんもいつかフラっと顔を出しに戻るかもしれません」

「魔法のないぼくでも許してくれるかな」

「余裕のあるあなたなら、きっと許してくれるわ。魔法があった頃より、便利そうにして見せなきゃ」

糸川さんは食事を終え、今日はもう帰りますといってチャイを飲み干した。また、その次の週、糸川さんはただライスカレーを食べにいらっしゃった。そのまた次の週も、月に四回。決まって火曜日の八時にお見えになった。


知り合いに魅力的な人間の女性がいた。彼女は、細田燈さんといった。私と同じ読みの名前だった。だから、初めて来店予約の電話を受けたときから、何となく、どのようなお方か気になっていた。

アカリさんはハイカラなファッションを好んでいるようだったから、私の中ではカタカナ表記だった。薬屋の常連さんで「外の明暗がはっきりする塗り薬をお願いします」と毎月一日にお見えになった。

いつも、伏せられた目元に施された化粧が美しい方だった。だが、彼女自身には見えることのないその色を、どう褒めたらいいのか二か月悩んだ。結局「いつもお綺麗ですね」と無難な言葉しか見つからなかった。すると彼女は「見えていた頃から好きな色だったの。フラミンゴみたいで素敵な色でしょう」と言った。服装は白杖に合わせた白が多かったから、余計に鮮やかに見えた。


ある日、アカリさんに「目が見えるようになる薬はおいくらですか」と尋ねられたことがあった。体にないものをあることにする術は、ハイリスクかつ高価な代物だ。

「どうされましたか。そういうお品には材料として、お客様に代償をいただいております。ぜひ、何があったかお聞かせください」

「目暗との結婚は認めないと、いえ、そんな言い方ではなかったけれど、恋人のご両親が」

「お相手は何と仰っていましたか」

「彼は若い頃、ご両親に迷惑をかけたから、言うことを聞くしかないのです。未だに自由恋愛を許されていないの」

「でしたら、目が見えるようになるものよりも相手の意見を曲げさせるようなものの方が手っ取り早いと思いますが、いかがですか」

「そういうのもあるのね。でも、悪いのは私だもの」

「そんなこと仰らないでください」

「…ずっと憧れていた人だったの。やっとここまで漕ぎつけたのに。私との結婚で、私よりも親の味方をするなんて、彼、自立していないわよね」

「はい。聞いている限りは」

身の上話を聞いた日から心の距離が近くなって、店の定休日にうちに招いて、ときどきお茶をした。新しく買ったというサングラスをつけた彼女を初めて見たのは私だった。結局、彼女は今も「外の明暗がはっきりする塗り薬をお願いします」と簡単な品物だけ買っていく。

好きになるのに、そう時間はかからなかった。彼女は「あなたが横にいると、どこまでも駆けて行けそう」と言ってくれた。実際、彼女を後ろに乗せてホウキで一時間ほど、お気に入りの森まで飛んだこともある。その日は頬を撫でる風が心地よく、速い速いと叫ぶアカリさんを背に私はけらけらと笑った。

森で一番長生きの木の上に彼女と座った。

「どこまでもとは言ったけれど、私は魔女を舐めていたみたいね」と疲れたアカリさんは私の肩に頭を乗せた。


糸川さんも彼女を気に入るかもしれないと思った。だから、カレーがオイル煮に代わり、気温が少しだけ低くなった頃、彼に彼女を紹介してみることにした。

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