第2話 現代魔女、元魔法使いと話す

うちは、朝八時から正午までは薬屋として人間には医薬品や魔法薬を、魔族には薬の原料を売り、昼一時から夜八時半までは飲食店として、お客様の体を十二分に満たせるように営業している。ときには、予約注文の薬を食事に混ぜて服用しやすくしたり、飲んだ時刻からちょうど二十四時間後に息が途絶える薬をたまに盛ったりした。毒料理のご注文は、同席相手のみの場合も、ご自身による服用希望の場合も、春が一番多かった。新しい命が芽吹く、始まりの季節。殺したくなるし、死にたくなるのだ。


うちのメインは煮込み料理で、季節ごとにメニューを替えている。春は新玉ねぎたっぷりの王道ポトフで、夏はジンジャー強めのスパイスカレー。王道ポトフといいながら、隠し味に毒が入ることもあるため、それは全く王道ではなかった。秋は鮭ときのこのガーリックオイル煮、冬はロールキャベツならぬロール白菜のシチューがけ。


「煮物を上手に作れるのは優秀な魔術師である証拠」と六十年前に亡くなった父がよく言っていた。偶然にも晩に翌日の仕込みをしていたとき、ウルダが「あなたって優秀な魔女ね」と言ってくれたことがあり、やけに喜んだ。

少し話が逸れてしまうが、菓子職人だった母は、通常商品と別に特注で栗の下に毒の種を隠したモンブランを作った。そして、それを自分で食べて死んだ。朝から晩まで、ずっと厨房に立ち、休憩中に家族のための食事を作った。それを、何百年も続けていた。そういう苦しさに気がつけなかったし、母は気づかせないよう、いつでもたくましく家族の誰よりも健康でいた。


薬屋を営んでいた父は、母が店で倒れていると連絡を受けたとき、すぐに解毒薬を作ろうとした。母の様子を見に行くよりも、父は彼の持ち場から全力で彼女を助けようとした。しかし、母の飲んだ毒の種は栗の種から三年かけて秘かに作り出したものだ。私たちの三年など大した機関ではないのだが、父の魔法によるたった数時間で何とかなる代物ではなかった。それから、父は店に立つことが難しくなり、家を守る役に収まった。そのため、家事全般を担った彼は、母の十八番だった煮込み料理をすべてマスターした。だから、ウルダの気まぐれな褒め言葉は、両親に「お前は優秀な魔女だ」と言ってもらえたような気がしてしまった。実際は、ただ食いしん坊に料理の腕を褒められただけなのだが。


元魔法使いのお客様は糸川美秋さんといった。美しい秋で、よしあき。薬屋に比べると頻度は少ないが、夜にも何度かお見えになったことがあった気がする。

彼は、カウンターに座り、ライスカレーとズッキーニのピクルス、食後にチャイを頼んだ。ナンとライスが選べるジンジャーカレーは、やはりナンの方が人気だった。だが、うちのライスは、ターメリックライスなのだ。ナンばかりではなく、ライスもぜひ…!と心の中で推していたため、嬉しいご注文だった。ライスの見た目が好きなのだ。黄色いご飯をまるい皿の中心に、ドーム状の型を使ってまるく盛る。そして、その周りにカレーを流し、海を作る。この世で一番おいしい島のようなビジュアルは、ナンでは補うことのできない愛らしさがあった。

「すみません。薬局で声をかけていただいたときの、薬の件ですが、人間に飽きない薬を作ることはできますか」

 店が落ち着いたころ、チャイが入ったカップを両手で持ちながら、彼が声をかけてきた。思い直したのか、注文が微妙に変わっていた。それを昼頃に仰っていたことと合わせると、付き合いの中で飽きてしまわないように、人間をすぐに愛せたなら、という願望だろうか。

「『飽きない』というのは『中毒性がある』ととらえてもよろしいですか」

「あ、たしかにそうなりますね」

「…どうしてご自身で魔法が使えるのにうちの薬局に?」

薬草が手に入れば、誰でもある程度、簡単で基本的な薬品は作ることができた。昔は、惚れ薬の作り方さえ知っていれば、一生商売ができるなんて言われていたこともあり、親が子どもに教え込むことが多かった。

「純粋に、魔法や呪文を手放したのです。そういう魔族的個性を使わなくなった。それだけです。見た目は変わらないし、人間をやってみようかな、という好奇心です」

日常生活や家庭の範囲以外では魔法を使わないという人は、一定の割合で存在していた。例えば、料理には使ってもホウキで移動はしないとか、移動にホウキは使っても仕事は人間と同じようにするとか。

「それでも、人間の女性には飽きてしまうから新しい人を求める。そのたびに、惚れ薬を買いにいらっしゃっていたということでしょうか」

「そうですね。好きになってもらうまでの間に、ぼくが飽きてしまっては意味がないし」


面倒な男だと思った。猫たちが「人間はつまらない」と言っているのと大体同じようなことを言っていた気がする。

ならば、魔法使いに戻ればいいのではないだろうか。ならば、恋愛はあきらめてはどうか。結局うちで魔法を買っていることについて、どうお考えですか。

ややこしくて、あまり聞いていなかったし、何も聞き返さなかった。

すべての問題は、彼が魔法を手放したことによる生きにくさからきているように思われた。しかし、そのことに関しては「純粋に」とか「それだけです」とか抽象的な、理由とはいえない、まるで装飾品をつけるばかりだった。聞いてもいいことなのか、そこまで彼に入り込む必要があるのか。


いや、第一に彼は私の患者でもあった。夜の来店だったからか、ややこしい男である以前に大切なお客様であったことを完全に忘れていた。つい、ヒアリングを怠ろうとした。これは雑談ではなくカウンセリングだ。魔女はいつだって医療従事者なのだ。

「改めてお聞きします。糸川さんが魔法を手放すきっかけやタイミングは何でしたか」

「ふと、です。大体七年前から自分で術をかけることはなくなりました」

「急に、ぱたりと使わなくなったのですか」

「いえ、ぼくは建築家なのですが、魔法使いなので当然、現場も手伝うことがありました。そのときに魔術なしで家の施工を行うと、どの程度かかるのか気になったのです。だから、始めにツイガルニクを使わなくなりました」

本当の理由がやっと出てきた。なんだ、別に話せるじゃない。ツイガルニクはドイツ発祥の魔法だ。本来、その行為にかかる目安時間の六分の一を使って呪文を唱えると、その行為が半分に短縮されるというもの。例えば、大体一時間かかるものは、十分間で呪文を唱え、三十分そこらで完成するように仕組みを変えるという術だ。

大工が家を作るのには二年くらいかかるのかしら。だとしたら、一年で完成させて四か月間は呪文を唱えていることになる。どうやら糸川さんはこの仕組みを知らずに感覚で術をかけていたようだ。もちろん、私のように魔女として商売をしていない別業種の魔族が詳しく、その内容を知らないということはある。飛行機の整備士が、なぜ鉄の塊が空を飛べるのか知っているのに対して、CAはそれを知らなくても問題なく搭乗し、お客様をアテンドするプロとして働く。厳密には違う話だが、まあ知らなくてもおかしくはないのだ。


「術なしの仕事は不便ではありませんでしたか」

「いえ、呪文を唱えていた期間がなくなったので、並行して別のいくつかの設計を練ることができました。だから、建築家としての収入は増えたのです。ただ、完成までに時間がかかるので現場はきつそうでした。そもそも、ぼくは図面を書くだけで、自分は建築家を名乗っていいものかと、現場にも立ち入るようになったので、少し悩みました」

「そうでしたか。何か月も呪文を唱えてらっしゃったわけですから、たしかに使える時間が増えるかもしれませんね。では、ツイガルニクの後は何を?」

「次はスュエです。初めて自分で作ったチャーハンは、べちゃべちゃで、全然美味しくなかった」

「それから、料理には一切の術を使わなくなったのですか」

「はい。特に、アッシェが使えないので苦労しました。自分で自分を縛り付けておいてなんですが、ハンバーグを作らなくなりました」

「お料理、お好きだったのですね。苦労しても、もう魔法を使おうとは思いませんでしたか」

「はい。美味しくなくても、玉ねぎで涙が出ても楽しかったです。全部初めてだったから」

「なるほど。私もパンは魔法なしで焼きます。もっと若い頃は何工程か術を使いましたが、自力で捏ねたり成形したり。その方が美味しくできたので」

「あれ、お店のパンもあなたの手作りですか」

「はい」

「秋のオイル煮に、バケットを浸して食べるのが大好きです。今年も楽しみにしています。ここのパンは、街のパン屋の味ではないから、全部魔法由来かと」

「そういっていただけると嬉しいです。質問に戻りますが、移動は飛行なしですか」

「はい。どこまで行くのにも、徒歩か電車です。いつも飛行していたから、車は持っていなくて」

「飛行していたときのホウキは、どうされましたか」

「祖父が贈ってくれたものなので、今は玄関に飾っています」

「ホウキが使ってほしそうにしてきたとき、どう対応していますか」

「家の周りを掃くのに使います。仕事は余裕ができたけれど、自力でやることが増えたから二四時間では足りなくなりました」

「人間みたいですね」

「はい。生きづらくて、無駄が多くて、遠回りで、でも豊かです」

「なのに、豊かな人間を好きになることは、時間のかかることですか」


糸川さんは詰まることなく、多くの質問に答えた。しかし、核の質問だけは、答えが出るまでピクルスをつまんだり、チャイを飲み干したり、私がチャイをサービスしたり、他のお客様の会計を済ませたり、時間がかかった。

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