#3
それが起こったのは、中学校の卒業式を終えて、自宅にいるときだった。式に来てくれた母は職場に戻り、父も仕事に行っていた。一人っ子の私は、すっかり大きくなってしまった身体を、居間のちゃぶ台の下に押し込んで、長い長い揺れをやり過ごした。
どうやらただ事ではないらしい、と気がついたのは、テレビをつけてしばらくしてからだった。波が何もかもを無に帰していくのを見た。その瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、恐怖でも苦痛でもなく、希望だった。高校に行かなくてもいいかもしれない、もう制服を着なくてもいいかもしれない。その当時の私はすでに、この身体と学ランは間違って割り当てられたものだ、という確信を持っていた。
自室の様子を見に行くと、壁に作り付けの本棚が空になり、床は足の踏み場もなくなっていた。しかし反対の壁際のベッドは無事で、布団の上に脱ぎ捨ててあった学ランは、そのままの形でそこにあった。それはボタンを高校のものに付け替えた上で、そのあと三年間、私の身体を拘束し続けた。
夜には両親が帰ってきて、翌日には電気がついた。数日後には、ネット上で高校の合格発表があった。山の上に建つ高校の頑丈な校舎は、揺れにも波にもびくともしなかったそうだ。そして約一カ月の自宅の断水が終わった頃、予定よりも少し遅れて、高校の入学式が行われた。何事もなかったわけはないのに、まるで何事もなかったかのように、高校生活が始まった。休校の期間と規模で言えば、昨年の新型ウイルス騒ぎの方がよっぽど大きいくらいだった。
学ランに閉じ込められた私の逃げ道は、ひたすらに勉強することだった。宿題だ課外だと、駆り立てられるままにただ勉強していた。あのことを受けて、スクールカウンセラーが配置されたけれど、目を赤くして授業に戻ってきたクラスメイトを見て、利用するのはやめた。あれを、何事もなかったように、などと思っている私が、彼らの時間を奪ってしまうわけにはいかなかった。
今にして思えば、勉強に逃げていたあの頃は気楽だった。福島から逃げるように東京の大学に進学したのに、結局、どうにも都会になじめずに、福島に逃げ帰ってきてしまった。そしてあんなにも嫌だったはずの高校に、講師として舞い戻ってしまった。案の定それは長くは続かず、また逃げて、数少ない友人の紹介を頼って、這うようにここに来た。逃げ続けた私の逃げ場は、もはやどこにもないように思えた。
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