心融合

 電車の駆動音と雨の音。冷たい音ばかりだ。

 雑多な音の全てが青冷めた朝の街に響いてる。私は揺られながら、もたれながら、ずっと耳をイヤホンで塞いでいる。

「今日も君は居ない」



 塚本十羽は昏睡したまま、病院に入院している。

 三年前のある日、交通事故に会った。

 幸いその事故での身体への負担は軽く済み、不幸中の幸い。五体はほぼ無事だった。けれど問題は身体よりも、精神面に及した影響だ。

 十羽の...脳波に異常があり、脳が指令をまともに送れずに、神経まで伝播が配給できない。

 とどのつまり、生きているのだが、まともに動けない。ずっと死ねないまま、ずっと眠りについてるのだ。


 今でも忘れられない事故。十羽は私を庇って轢かれた。

 その原因が存在するせいで今も私はあの日の事故が今も忘れられない。

 横断歩道から外れた自動車と、土煙を撒いて粉砕された建物。それを思い出すと、視界がぐしゃぐしゃにぼやけて行く。

 結露で曇った窓ガラスに自分の暗い顔が映っていた。

 今と同じ顔で君と会ってはダメだ、かといって笑顔は明らかに違う。君と会う度に、どんな顔をすればいいのか、分からなくなる。こんなことを考えるのは君と会う時だけ。

 だから私は病院の匂いが苦手になった。




 慣れた教室に入る。

「君は今日も居ない」雨が降っても、日差しが窓から来ても、代わり映えない教室の中の日常に君はどこにも居ないのだ。

 触れたい。いつだって一緒に居たい。あの時まるで永遠に一緒に居てくれるみたいだったじゃないか。

 滑稽だ。私は一人、莫迦みたいだ。穏やかな日常を謳歌して、その日々を反芻するのは、一体誰の為になるのだろうか。

 誰が望んでいようと私は笑ってないんだ。何十年後もきっと『私のせいで十羽が死んだという事実』それがすごく受け付けることができない。


 私は、君の後をなぞることにした。



 ×××

 


 夜の森、気付けば私はその中に立っていた。

 霧が濃いが入り口が見える。入り口の方角から私へと風が飄々と吹く。風の向かったその先はただ黒い森だけが広がっていて、何も見えない。

 けど、確かにそこに向かってみようという、考えが浮かんで来た。

「あっちに行ったら、きっと何か起こる気がするから」

 それは十羽に会うことができるのだろうか。

 制服のスカートがゆらゆらと揺れている。

「結構深い」時間がかなり経過した気がした。けれどまだ夜が更けない。幽霊とか出ないだろうか。

 動物一匹も、いまのところ居ないんだからきっと何も起きないだろうけど。

私は歩き続けて、何かを発見した。

「あっちに何か見える」

 兎が居た。それは幽霊みたいに青白く輝いていた。

「奇妙な兎が見える」

 「......」それを考えれば、私は口をつぐんでしまう。そうか。今私は死んでいる。塚本十羽という人間を追おうと後追い心中を試みたからだ。

「莫迦か。私は」

 死んだ人間はもう二度と戻らない。

 それは当然の掟として現代の世界に存る筈なのに、私が『死んだ先の世界』で会えないかという、絵空事に乗ってとうとう自殺してしまった。

 その淡い期待が三年間、ずっと胸の中で渦巻いてたのだ。

「後戻りできないな」振り返れば、暗い黒い木々が佇んでいるだけ、最早深くて後戻りできない。

 死後の世界。私は『死んでしまえば二度と命は戻らない』、など気にも留めていなかった。それどころか、「ねえ。会えるかな」と宵闇の中、期待に胸を膨らませた。

(取り敢えず、あの兎に続いて行ってみようか)

 遠くから観察してみる。愛らしい姿だった。

 けれど数分後、青白く輝く兎は二足方向に立ち上がり、こちらを見ていた。幽霊のように腕をぶらーんとしている。

「......」

 私はその兎をあろうことか追いかけてみたくなった。ゆっくりと近づく。そうすると兎はゆっくりと進む。けれど兎と私には一定の距離が保ったれている。まるで、兎は私をどこかに案内してるみたいだが、私はそれを気にも留めずに追いかけた。

 


「もう居ない」

 林を抜けたその先。青白く光る兎は消えてしまった。

 けれどその先にはあり得ないくらい奇妙な屋敷が建っていた。...それは何のせい。と問われたら、構造は事態は至って普通なのに、屋敷の資材、いや材料が異様だったということ。

 板チョコの黒い屋根。赤白と不思議な配色の飴を交互にグルグルと編み込んだステッキのような柵。弾力に富み、フワフワと弾むパンの壁。極め付けは、飾り付け《デコレーション》のためのホイップクリーム。甘く塗り固められた建築物。お菓子の屋敷が会った。

「...これを見て、私は一体どうすればいいんだ?」

 一体全体見当外れだ、だから私は引き返そうとした。

「里紗!」けれどその時、どこからか甘々と戯れる子供のような声がを呼んだ。 

 赤と紫の極彩色で塗り固めた、ファンタジー映画のクイーンのようなドレスだ。

 金髪が流れるように揺れて宵闇を煌めく。そんな派手派手とした、貴族のような身嗜みの少女が歩み寄って来た。

「ずっと待ってた」

 私にジッと少女が目を合わせる。

「すごい?この家はある人に作って貰ったの」

 嬉しそうにお菓子の家を少女は見た。

 その後、すぐ私に向き直った。向き直り様、少女は私に微笑み掛けて来る。...何か打算と言った理性的なものが垣間見える。

「...君は、誰?」

「私、ハーロットっていうの」

「子供の願いを叶えに来たのよ」

 思いも寄らない単語を並べられる。私は無論、ハーロットの言う『子供』という単語も、そして『ハーロット』という名前にも見当が付かない。

「願い?」

「里紗の願いのコトだよ」

「貴方は想い人への気持ちが身に余り、そして後を追うよう、死んでしまった。それはとても悲しいことです」

 何かのサプライズやクイズの会。それらの叙述じょじゅつめいた丁寧な口調だ。


「...私は諦めてない」

 まだ会いたい。今も強く願っている。

「あたしと契約すれば幸福が訪れるわ」

 長い金髪を掻き上げる仕草をした。フワッと風で髪が落ちていく。それはやはり金色に煌めいて、舞っている。

 少女は自信に満ちていて「それってどういう事?」と聞き返してしまった。

「死人の運命を変えることだって可能なの」

「それって一体?」

「塚本十羽君」

「彼を現世に蘇生させることできる」

「十羽は死んだ訳じゃない!」

 十羽の蘇生...それを聞いて、私は真っ先に反論した。

「じゃあ、なんで死人の行き着く、冥界に来たの?」

 それは...十羽に会えないかと、三年も我慢したのに、十羽とずっと会えなかったから。

「内心、分かってるんでしょ?現世に彼は居ないこと」

「後先考えないで突っ込んで、里紗ってば何にも考えてないんだね」

「でもそうゆうの、嫌いじゃないよ」

 含み笑いでハーロットが言った。

「...どうすればいい?」

現代あっちに受肉したい」

 そう言って私がここに来る時に使った道を指差した。

「私が来た世界のこと?」

 ハーロットは頷く。

「そのためにはカラダが必要なの」

「現世に魂だけで行くと消滅してしまうから」

 ハーロットは受肉がしたい。現世に行きたいから。

 だから十羽を生き返らせる。

「十羽は本当に助かるんだよね」

「...信じてくれるの?」

  内心、半信半疑だ。けれど、動かなきゃ十羽と絶対に会えない。だから当たって砕けるような覚悟でここまで進んで来たんだ。

「私の体、共有するって形なら使っていいよ」

「素敵」少女はゴクリと喉を鳴らす。

 期待通りというような含み笑い。

「やっぱり里紗は思った通りの人だ!」

 マザーハーロットが私に飛びかかって来て、抱きつく。ドレスのスカートがふわりふわりと舞ってゆく。それは妹ができたかのように嬉しくも思えるが、彼女は私より年上みたいだ。

「契約をしましょう。私の家に契約の手筈は用意してるわ。

 終わったら、貴方の体と魂を現代あちらまで送る」

 勿論、私も乗せてと、右腕の人差し指をハーロットは自身の唇に置いた。

「じゃあ付いてきて」とハーロットに私は右腕を引っ張られた。



 ハーロットはさも愉快気にベッドに足組みをしている。挑戦的な姿勢で少女と言えど、私はついそれに気圧されてしまう。

「始めよう」契約のことだ。

 部屋中にはバニラエッセンスや薔薇の香水の香りが部屋一帯を包み込んでる。クラクラとする強い香りだ。私はそれにひどく緊張でした。

「意識はある?」と聞かれたので頷いた。ハーロットは遊び慣れてそうで、さも平然としている。やっぱり普通じゃないな、この子。

「ええ、それは良かった。冥界で魂を落としたら、本当に困りますものね」嬉しそうにハーロットが言う。初めての現界なので、とハーロットはクスリと笑った。


 けれどそれ以上に胸が踊っていることには変わりは無かった。十羽に会いたい。朝も夜もずっと一緒に居たい。そういう気持ちが霧島里紗を駆り立たせる。原動力になる。

 夜がまだ長い。この子の言うことを素直に信じ込んでる自分が莫迦みたいだ。でも十羽を助けられないことはもっと惨めだから、私は十羽以外の人間とじゃ、きっと満足できない人生を送るから。

「緊張してる?」気遣ったのか少女はそう言った。顔がクスっと笑っている。なのに、手つきは正確で契約の手筈を速やかに順調に整えていく。

「来てよ。契約するよ?」

 ハーロットは近寄り難いような雰囲気をまとっている。それは他でもない薔薇の匂いであった。

「始めよっか」

 ハーロットに接近する。私とハーロットの距離は近い。濃厚に密着しているほどだ。私は少し薔薇の匂いや、彼女の顔の端麗さに、気圧されている。将来は誰もが羨むほどの大人になると思うと、ほんの少しだけドキドキする。

「じゃあ、行くよ...」

 彼女がそう言うと鋭い痛みが走った。

「痛い」ズキリと腕に鋭い針が刺さる。これは注射?

「麻酔」呟き様、ハーロットは続けた。

「誰かに見られると私も緊張するの」

「な、なんだ〜」

 張り詰めた空気のせいで、思考が追いつかなかったのだけれど、さっきのハーロットの言葉に少し安心した。

「すぐ終わるから待っててねー」

 ハーロットの白くて細い指が里紗の手を包み込んだ。薄れゆく視界の中、彼女は『大丈夫』と何度も子供を諭すように優しく言い聞かせた。

 気が抜けるし、マイペースだし、リードされるし、それら全て癪だったが、麻酔を入れられたせいで、急速に倦怠感が襲ってくる。

 ハーロットの金髪が揺れる、柔らかい唇が肌に触れる。その鮮やかな色彩とくすぐったい感触だけが。目眩が意識を奪い、眠りに就くまでずっと残り続けていた。

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