契約関係

服部零

プロローグ/過去の回想

 

 それは初恋の話。初めて好きな人ができた。

 その恋に詰まっていたのは『一生分』だったのか、今でも不思議なくらいにずっと彼のことを好きでいる。だからこのまま行ってしまえば、これは本当に『最初から最後まで』の想いになりそうだ。

 顔、声、優しさ、全てが私一人で独占するために存在する相手だと思ったし、それ以外『ありえないな』と思った。

『あの日々を愛している?』そう聞かれればイエスと答えよう。君と過ごした日々は、私にとって大切で仕方ない思い出。君と過ごした日々の記憶が脳裏から離れない。それは君がこの世から消えて居なくなってもそうだ。過去が好きで現在には無頓着。君と離れる程、触れたいという衝動に駆られ、その衝動を満たすため、今よりも昔を振り返ってしまう。

「...きっとそれは」今日も君が此処に居ない性だ。





 それは三年前のある日。昼下がりの陽気が窓から燦燦と溢れていた。だというのに。

「つらい」声が掠れていて、目が眩む。そして額から汗が。

 三月と二月の間。季節は冬から春へと変化を遂げる。

 あろうことか、その節の中で私は体調を崩した。

 さすがに私は普通の人間だから、風邪を治す方法なんて寝て休むくらいしか思い付かない。

 『早く寝よう』と何度も心の中で呟いた。

 けれど気怠さの中では、睡眠すらままならず、猛烈な倦怠感が白昼夢に拍車をかける。


 一向に時間が進まない。部屋に置いてある時計の針は進んでも、体内時計は異常だ。24周期を指す針が外れて、遂には、到頭とうとうイカれてる。

 昔は健康に過ごしてきて、昼夜の逆転は一度もなかった筈なのに、なぜ風邪を引いたのかは、どうしてこうなったのか、私は知らない。

 下がらない、熱いまま冷めない体温。それにずっと自分は浮かされている。

 気怠さのせいで、何も考えたくないことが続く。いつの間にか布団の中で眠っているのも億劫になった。

 ベッドから落ちて、床に転がりこむ。床は冷たく心地よく、仕舞いには床にぐったりと打ち拉がれた。

 ああ。「...私は死ぬのか」目眩のあまり、思ってる言葉がそのまま口から出てしまった。

 目眩の中で何を思ったのか、天井に手が届きそうなので伸ばしてみる。

 すると、「死ぬ訳ないだろ」という声と一緒に、私の手を、誰かの冷んやりとした手が包み込んだ。

「十羽!?」

「...大丈夫?」その声がいつもと変わらず、ぶっきらぼうすぎる。...そして病人に『大丈夫?』、なんて聞かないで欲しい。幼馴染の塚本十羽つかもととわは相変わらず、空気の読めないやつだ。

「...案外平気そう?」

「あ、頭冷えたからかも」そういえば冷んやりとした床に転がっていたからか、ちょっとはまともな判断ができるくらいになったみたい。

「ベッドに戻ってくれ」

 そう言われたら私は床が冷たいような気がした。

 それから三十分くらい十羽が付きっきりで看病してくれた。看病をして貰ったので、自分自身のコンディションに余裕があったので十羽と少し喋った。それは『好きなものは増えた?』とか『最近どう?』とか何気ないぎこちない会話だった。

「もう大丈夫」

「まだ眠ってろよ」

 男の前で眠れるか。私は十羽を信用してないわけじゃないけど、不覚にもそう思ってしまった。

「十羽は心配しなくていいよ」

「顔、まだ熱いけど」

 十羽の指がおでこに触れる。けどそれ以上に。

「...いや、十羽の手のほうが熱いんだけど」

 体が触れ合う。...恥ずかしいとかの次元を超える状況だ。

「ごめん」反射的に大きく後方にのけ反る。

「...いや。じゃないよ?」

 私は莫迦とか内心そればっかり連呼してる。





 そうして、私達はずっとその友達以上、恋人以下の関係が続いていて、少なからず私はそれに満足していた。

 春の柔らかい天気で気の抜けた吐息が漏れた。

「...チョコ要らない?」

 ...気を抜いていたので、危うく吹き出しそうになった。

「...?」今日はホワイトデーだけど潔くチョコを渡す塚本十羽という人間はこの世に存在しない。

 それは君がひどくずぼらで、ガサツで、ぶっきらぼうな人間だからだ。

「『...?』じゃねーよ」

 十羽のことを『素直じゃないな』と私はニヤニヤとして、思っていると、十羽は『笑うな』とせっかくの心地良さに水を差してくるのだ。

 『ふふ』と呼吸を抑え込む。笑い過ぎで死んでしまう。

 ...君がこんなことする理由を私は本当は知っている。それは単純に昨日、喧嘩したからだ。私は言い争いを、友人の君としていた、その理由は定かではないが、『私のせいじゃないこと』はこの場を借りて言っておこう。

「目閉じてて」

「え?」

「目を閉じてほしい」

「えーと?」

 なぜか。私はそれに莫迦真面目に従っていた。彼が何をするのかも予期せずに、苦笑いをしながら目を閉じていた。だから後から自分自身の行動に恥じらいを感じた。

 けれどそれは甘くて嬉しい瞬間サプライズに変わっていた。

「チョコ」そう言って、一口サイズのブラウニーを私の口に押し込んだ。

「...ベタすぎるよ。十羽」

 ブラウニーはひどいくらいに甘い。そして目を開けると頬を赤く染めた君がいるんだ。これからもずっと居てくれるみたいに。だから、それはアングレーズのように甘くて、ずっと記憶から離れない『夢のような思い出』だった。...それなのに。その数ヶ月後、君は突如この世から消えた。

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