堕ちる②(5月上旬)

「なに、惚れた?」

「うざ」

瀬奈は背負っていたリュックを床に投げ出して、机の上に無造作に腰を下ろす。

「ふーん、人間失格読んでるんだ」

「あー、まあね」

気まずさと気恥ずかしさで若干声が上ずる。人気のない教室にわざわざ居残って人間失格を読む私の姿は、瀬奈の目にどう映っているのだろうか。心の触れられたくない部分がざわざわと疼く。

「私も好きだよ」

「え」

「太宰治作品」

視線を本の表紙に落としたまま、瀬奈が呟いた。その瞳は確かに悲哀と翳を含んでいて、私はそこに初めて瀬奈の心を見た気がした。バスケが得意で、女の子を扱うのが上手くて、飄々とした人気者。北條瀬奈。女子校の王子様の背景には、底知れぬ何かが潜んでいるのかも知れない。そう思うと、途端に心臓が絞られたように苦しくなって、私は瀬奈から目を逸らした。

「あ、外に綾音待たせてるんだった。じゃ、また明日」

瀬奈はおもむろに腰を上げると、おそらく彼女のものと思われる机の中から課題のプリントを乱暴に引っ張り出し、足早に教室を出て行った。

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