133 嫌いではないが苦手な分野(その8)
一通り(何故か)睦月をしばき終えた姫香と由希奈は、いつ取り決めたのか
(こいつ等……いつの間にこんなの覚えたんだよ?)
若干呆れつつ、転がっていた地面の上から起き上がった睦月は改めて、姫香に問い掛けた。
「とりあえず……任せていいんだよな? 姫香」
彼女の首は縦に振られ、そのまますぐに弥生の下へと向かい、道具を身に着け始めていた。その様子を眺めていると、いつの間にか由希奈が横に立ち、睦月に話し掛けてくる。
「でも……大丈夫ですか? 姫香、試合どころか練習にすら参加してなかったですよね?」
由希奈の言葉通り、姫香はほとんど見学で過ごしていた。動く時も大抵は(ほぼ睦月専属の)マネージャー業のみ。辛うじて、不意打ちをかまそうとした理沙を返り討ちにしていた程度だった(それも野球ではなく組手、もしくはプロレスだったが)。
身体能力に関しては疑うべくもないが、普段とは違う動作を要求された際、瞬時に対応できる人間はそういない。少しでも経験があればいいのだが、姫香が野球をやっていたという話は、少なくとも睦月達は一切知らない。
単純な暴力とは違い、野球をはじめとした
世間で『一回教えたんだからもう聞くな』、『一度に全部覚えられるわけがない』云々言い合った結果、以降は指導ではなく
しかも、由希奈はまだ動かない的を用意できても、姫香が狙う白球は銃弾より遅いとはいえ動いている。睦月のようにバントで当てて足を進める手もあるが、それではまた、英治の打順で申告敬遠をされかねない。
「…………ま、大丈夫だろ」
しかし睦月は、由希奈の心配等どこ吹く風で、肩を竦めるだけだった。
「むしろ問題は……あ、戻ってきた」
姫香が準備を終えると同時に、洋一達がベンチへと戻ってきていた。
「言われた通り……『十点差がついた時点で
洋一が抗議に向かう際、拓雄もついて行こうとしていたので、睦月はある提案を頼んでいた。それが
「どうなりましたか?」
「強引に試合を進める方針に変わりはなかったが……そのおかげで、簡単に承諾させられた」
未だに野球賭博とその試合に干渉してきた者達が同一犯かは不明だが、少なくとも、運営側の人間は『試合を最後まで続行させる』方針で一貫しているらしい。もし共通の人間に指示されていたとしても、役割は完全に分断されていると考えていいだろう。
つまり……その隙に付け込んで、
「その代わり……大会とは別に、試合することになったけどな」
全員に試合の続行と
「さすがに干渉され過ぎだし……いろいろやらかしちまったからな。向こうの監督にもスマホでこっそり話をつけて、後日正式なメンバーで再試合することにした。だから……もう、存分にやってくれ」
今回ばかりは洋一も、結果に納得していないのだろう。それに運営側に対する不信感やほぼ全員が代理
「……と、言ったところで、向こうは手を抜く気はないぞ。それに、ちょっとでも粗があれば、運営側がまた騒いでくるかもしれない。正直
「まあ、博打にはなりますが……大丈夫ですよ」
それだけは、睦月は確信をもって宣言できる。
「もう小細工は済みました。後は悪辣さをもって……試合を終わらせましょう」
そう堂々と宣言する睦月だが、実際に打席に立つのは姫香であることを、忘れてはならない。現に聞こえていたのか、遠くからジトりとした視線をぶつけてきているのだから。
試合は再開され、走者である理沙、拓雄、洋一はそれぞれの塁に、そして姫香は打席へと移動していた。その様子を
「そういえば……おい、睦月」
「ん?」
ある意味では佳境でもある為、ベンチにいる全員が立ち上がって打席の姫香を見守る中、英治が睦月に話し掛けてきた。
「お前、あの
「一応、してはいたんだが……
腰に手を当て、睦月は溜息交じりに答えた。
「俺達が
「
「場面緘黙症だからな。
緘黙症の細かい条件は不明だが、睦月は『姫香の主観』だと考えている。
姫香が『
つまり、『姫香の存在を認識している
この状況ではどう足掻いても、姫香が緘黙症を抑えることは難しかった。
「おまけに緘黙症の影響か、どうしても感覚が引っ張られるらしくてな。無言で入れるようになるか、症状が治まればワンチャン狙えるかもしれないが……少なくとも、今は
「……その時点で積んでね?」
英治がそう考えてしまうのも、無理はない。
そんな人間が『
「ま、大丈夫だろ」
そう…………
「何でそう思うんだよ?」
「まあ、見てろって」
そう言われ、英治が打席の方を向くのと同時に、睦月も振り返る。そうすると丁度、第一球が投げられるところだった。
(よしよし、ちゃんと狙ってるな……)
白球が飛び、姫香がバットを振るう。
――ブン、パァン!
「ストライク!」
……そして普通に、空振っていた。
「おい……」
「いや、
すると姫香が何故か、バットを脇に挟んだ状態で『タイム』のサインを出してきた。
「何かあったのか? ちょっと行ってくる」
英治にそう声を掛けた睦月と一塁走者の洋一が、姫香の下へと募っていく。
「どうしたんだ?」
洋一がそう声を掛けるものの、緘黙症で話せないこともあってか、姫香は睦月に右手を伸ばし、曲げた指で何かを掴むようにした形で自身の足元から隣の打席へと動かした。
「【移動する】」
「……洋一さん。打席を移したいらしいんですけど、できますか?」
「基本は大丈夫だ。ちょっと待ってろ」
あまりする程ではなかったが、姫香の手話を翻訳した睦月が代わりに洋一へと要望を伝え、球審に確認を取って貰う。
結果は問題なく、姫香は無事、打席を移動することができた。
「だけど、これ以上はなるべく控えてくれよ? 何年か前の甲子園で、一球ごとに
「だ、そうだけど……大丈夫か? 姫香」
無言で
「狙撃の時の利き目に合わせてなかったのか? それとも……逆にした方が振りやすいのか、あいつ」
「……そんな問題かよ、おい」
そもそも自分に合う構え方すら把握してない時点で、かなり不安になってきたのだろう。狙撃に置き換えれば、変な体勢で撃った為に反動を逃がせず、狙いが逸れた上に身体まで痛めてしまうような話だ。
そんな不信感が駄々洩れなのが睦月にも理解できてしまう中、英治は先程の話の続きを始めてきた。
「本当に大丈夫か? この調子だと普通に三振だろうが」
「……
しかし睦月は、未だに自信を崩すことなく英治にそう返した。
「最初から
「……いや、そうじゃなくて」
そもそも、打てなければ話にならない。そう言おうとしていたらしい英治の前で、二球目が投げられ、
――ブン、パァン!
「ストライク、ツー!」
……あっさりと空振りになっていた。
「ほら見ろ! あっさり、」
「
「…………は?」
こちらを向いていたので、英治は今の打席を見ていなかった。けれども、視線を逸らさなかった睦月は、今の姫香の空振りに対して、無意識にそんな感想を漏らしていた。
「お前、何言ってんだ?」
「何って……英治、さっきの打席、見てなかったのか?」
睦月は英治の方を向くが、持ち上げた指の先は、打席に立つ姫香の方を指していた。
「野球の空振りって、大体はボールの
空振りとなってしまう原因は、投球とのタイミングが合わないだけではない。たとえ
「なのに姫香は、ボールの
つまり、予測した軌道よりも
「いくら銃弾を撃ち落とす技術を持ち合わせているからって……慣れない
それを姫香は一球目で打席や体勢を調整し、二球目で
――キィィ……ン!
……三球目できっちりと、
白球が場外へと消えていくその光景に、さすがの英治も唖然としてしまっている。
「……
「だから言ったろ、化け物だって。鵜飼が嫉妬して、姫香を嫌うわけだよな……」
指を降ろした睦月は、視線を曇らせながら言葉を繋げた。
「簡単に言うと…………才能の塊なんだよ。あいつ」
天は二物を与えず、という言葉はあれど……その
さらに厄介なのは……その才能の上限が、睦月どころか姫香本人にも分かっていないということだった。
「
偶々緘黙症や異常な環境下で育てられた経歴があり、その繋がりで睦月と出会ったものの……もしその過去がなければ、たとえどんな道だとしても、
(俺……本当にあいつと釣り合ってるのガホッ!?」
理沙と同じ
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