131 嫌いではないが苦手な分野(その6)

 野球には『公認野球規則』という、公式規則ルールが存在する。基本はアメリカのMLBメジャーリーグと同様だが、日本でのそれは、国民性に合わせて微調整されたものだ。

 特に理由がなければ、草野球でも公認野球規則に記載された規則ルールを適用していることが多い。


 無論……球審による打ち切りコールドゲームの基準についても、例外ではなかった。


『基本は公式とほとんど変わらない。5回終了時に十点差か、7回終了時に七点差以上を叩き出せれば、その時点で試合終了だ。他にも、天候や照明設備、事故とかで試合続行が困難な事情ができれば、その時点で打ち切られることもあるが……今日の天気と開始時間じゃ、そっちは期待できそうにないな』

 一度、午前中の晴天下を見上げてから、洋一は顔に難しい表情を浮かべながら降ろしてきた。

『試合を早めに片付けよう、って話なら賛成だ。大会とはいえ草野球だからな。早めに点差を広げてしまえば、5回を待たずに打ち切らせられるかもしれない。ただ……肝心の十点・・以上・・もの・・点差・・を、どうやってつけるつもりだ?』

『そればっかりは、正直賭けなんですけど……』

 一区切りつけてから、睦月は訝し気な眼差しを向けてくる洋一に答えた。


『……過集中状態ゾーンについて、ご存じですか?』


 野球で培って得たわけではない、異形の鬼札ジョーカーの存在を。

過集中状態ゾーンを使います。俺以外にも使える奴は居るので、ゴリ押しで点差を広げましょう』




 元々、草野球の試合で過集中状態ゾーンを使うつもりはなかった。

 相手が使えるかどうか以前に、短期間での多用は身体への負担が大きくなる。そもそも、基礎能力は高いが野球の経験そのものが浅いので、全体解放による底上げ以外では転用自体が難しい。むしろ、一時的に能力を底上げした反動が残る分、長期戦には不向きな面もあるので、試合を最後まで・・・・楽しむ・・・上では、邪魔にしかならなかった。

 だが……目的を試合の打ち切りコールドゲームに切り替えるのであれば、話は別だ。

「……『全部撃ち抜いてやる』」

 ただでさえ、タイミング良くバットをボールにぶつけるのは難しい。普段とは道具得物が違う分、確実性は薄れるが……『傭兵英治』には、銃弾に銃弾を当てる技能スキルがある。

 投球の速度は平均120km/h前後、プロ野球選手のごく一握りでようやく160km/hを超えられるかどうかだが……秒速に換算すれば大体33から45m/sを超えるかどうか。一般的な9㎜口径弾の十分の一に届く程でしかない。

 ――キィィン!

「……うっし、入ったな」

 ゆえに、タイミングさえ合わせてバットを当てられるならば……過集中状態ゾーンに入った英治がホームランを打つこと等、造作もなかった。

(とりあえず、これで半分か……)

 本塁ホームベースへと戻った人数は、英治を含めると五人。十点差の半分を、これで稼いだことになる。とはいえ、すでにツーアウトを取られて後がない以上、この回で攻め切ることは難しいだろう。

「お疲れ~」

「……本当にな」

 本塁ホームベースからベンチへと戻る際、眼前で待っていた洋一達にハイタッチを交わした英治に声を掛けてきた睦月に、本当に疲れたという表情を返した。

「後は下位打線だから、この回では決めきれないだろ? 次の守備大丈夫なのか?」

「こればっかりは、七瀬ピッチャー次第だな……どうだ?」

 睦月からの問い掛けに、投手用のピッチャーグローブを取り出して投球練習に入ろうとする晶は一度振り返ると、溜息と共に肩を竦めてきた。

「……ソフトの変化球で、騙し騙しやるしかねえよ」

 野球とソフトボールでは、規則ルール自体が近いようで噛み合っていない。本来なら問題ない常識が通用しなくなる可能性もあった。

 練習の間に可能な限り、野球に合わせて投げられるようにしていたものの……直球ストレートに関してだけは、ソフトボールの経験では分が悪い。その為、変化球を中心にして配球を組み立てるしかなかった。

 だが、逆に言えば……相手が変化球に慣れない内に戸惑わせ、打ち取ることは可能である。

「相手が慣れるまでは、できるだけ抑えてみるよ。それで無理なら打たせて転がせるから……後は任せた」

「……だ、そうだぞ。内野手セカンド

「そこまで器用じゃないんだけどな……」

 そう言い、頭を掻く英治の前で、睦月の視線は打席へと逸れていく。

「ゃっ!」

 ――キンっ!

 上手くヒットを当て、一塁へと出塁した由希奈が小さくガッツポーズをするのを英治も、睦月に遅れて確認した。

「お、出塁してる」

「さすが、荻野を・・・引っ叩いた・・・・・だけはあるな~」

 その晶の発言に、英治は思わず睦月の方を振り返った。

「……本気マジ?」

「『詐欺師月偉』が馬鹿やったせいでな。その件はもう解決してるけど」

「へ~……」

 九番打者である愼治が打席へと立つ中、英治は久し振りに・・・・・珍しいものを見たとばかりに、睦月を見つめた。

「……何だよ?」

「いや、お前って……昔から結構、女に甘いよな?」

「女絡みの面倒事トラブルで、碌な目に合ってないだけだ。ほっとけ」

 その後、睦月は口を噤み、そっぽを向いた。




(ふぅ……新規の商談より、緊張するかもしれない)

 睦月に誘われた時は少し迷ったが、丁度閑散期で時間がある上に、妹に兄らしい姿を見せられる。そう考えて参加したのだが……チーム内での運動能力は、その打順が物語っていた。

 はっきり言おう。ジム通いはしているものの……あくまで健康目的の為、愼治の運動能力はチーム内最下位である。

(休みの内に、絶対身体を動かそう……そして、)

 チラリ、と一目見るは腹違いの妹、姫香。

 今はベンチに座っているのか、姿は見えないが……睦月からの方針変更を聞かされるまでもなく、今日の愼治は本気で野球に取り組むつもりだった。

 ――…………ン

(別に禁断の関係は求めていないが……こっちも男だ。せめて兄らしく格好付けたいっ!)

 ――……ン

 だからこそ、愼治は改めてバットを握る手に力を籠め……すでに腕を振りかぶっている投手ピッチャーを見据えた。

「え?」

 慌ててバットを構え、振ろうとするよりも早く、白球が相手捕手キャッチャーのミットへと飛び込んでいく。

 ――パン

「ストライク、バッターアウト! チェンジ!」

 時すでに遅し。愼治がぼさっとしている間にボールは三回、すでに投げられてしまっていた。




「せっかく進塁したのに……」

「いや、良くやった方だって。経験ないのにヒット打つとか、結構難しいからな。現に俺なんて、早々に諦めたからバントを選んだわけだし」

 一回裏へと移る前、ベンチに戻ってきた由希奈を慰めながら、同じ外野手である睦月はグローブを取り出した。

 睦月が中堅手センターに選ばれたのはチーム内で『一番足が速い』ので、『他の守備位置ポジションをカバーできる』ようにする為だ。

 本来であれば、外野手には本塁への返球バックホームおこなう為の肩の力、投擲力が必要となってくるが、今回ばかりは人選の都合により検討されていない。

 ゆえに、飛球フライからのアウトを稼ぐことが、睦月達の役割である。もし失敗したとしても、素早くボールを追い駆けて拾い、投げ戻せれば十分だった。

「むしろ今のは、愼治の馬鹿が悪いだろう。もう始まってたのにボーっとしやがって……」

 現在、諸悪の根源である愼治は、姫香の足によるケツに蹴りキックを受けていた。

「酒入ってなくても、妹に対する執着シスコンだけは抜けないからな。あいつ……」

「おい、止めなくていいのか?」

 由希奈と共に守備につく準備をしていた睦月は、晶から声を掛けられて振り返った。

「たしかに……そろそろ止めないと試合に支障が、」

「……いや、そうじゃなくて」

 晶が指差した先には、愼治の顔がある。

 しかし、その顔は先程まで、失態による無念が浮かんでいたはずだが……今はその頬に、若干の赤みが浮かび上がっていた。

「あいつとうとう、久芳に蹴られて悦に入ってるぞ」

「おい! 仮にも社長が被虐趣味そっちに走るなっ!」

 さすがにまずいと、睦月は姫香を止めようとして返り討ちに遭っている理沙に加勢し、仲裁する為に間に入った。

「きっさまぁああああ……」

「そこまでにしろ姫香! 社長が寝取られNTR属性に目覚めちまったら、最悪会社が傾いて社員全員路頭に迷うぞっ!」

「……心配するところ、そこなの?」

 理沙にバックドロップをかます姫香に、正気に戻させようと愼治の頬を叩く睦月。その阿鼻叫喚の図を横で眺めていた弥生は、『会社経営は難しいのか』と一人、首を傾げていた。




「……しまっていこう!」

『応っ!』

 自陣内でのみ発生していた乱闘騒ぎなんてなかったと言わんばかりに、拓雄の声がフィールドに響き渡ってくる。

(そう簡単に、飛んでこないとは思うけどな……)

 先日、(ソフトを含めた)経験者三人での打撃バッティング練習をおこなった際には、あまり強い打球が外野にまで飛んでくることはなかった。比較対象が少ない為に不安を覚えてしまうが、現状では晶の投球に懸けるしかない。

 現に、内野手は反射神経の良い面子を揃えている。本来であれば一塁手ファーストに佳奈がつき、ベンチから洋一が守備に関して指示を飛ばす算段だったが、今は仕方がない。むしろ、元の守備位置ポジションからの方が、より適切な判断ができる可能性もあった。

 ……そうチームのメンバー全員、前向きに捉えるしかなかった。

 ――バンっ!

「アウト!」

 とはいえ、現状は何とかアウトを重ねられている。このまま無失点で抑えられれば、作戦通り試合の打ち切りコールドゲームに持ち込むことも可能だろう。

(とりあえずこの回は、無事に終わりそうだな……)

 一、二塁に進塁されてしまったものの、どうにか内野守備のみでツーアウトまで追い込めている。


 ――カキィン!


 このまま外野にまでボールが飛んでこないことを内心で祈っていた睦月だったが、無情にも白球が、低い弾道と化して襲い掛かってくる。

『睦月(さん)っ!』

「くそっ!?」

 ボールはすでに地面を叩いているので、捕球キャッチによるアウトは期待できない。

 誰が名前を呼んだのかまでは気にしている余裕がない睦月は、急いで白球へと向かっていく。けれども、自身の肩力ではおそらく間に合わない。

 そう判断した睦月は、一度後ろを向いてから白球に右手を向けて、さらに指していた人差し指と中指を下に伸ばして足に見立てると、開いた状態から前方で・・・揃えるような仕草をした。




「ちょっ、本気なの!?」

「あの馬鹿っ!」

 片手がグローブの為、右手だけで不完全な形となってしまっていたが、遊撃手ショート二塁手セカンドについていた弥生と英治には手話として・・・・・、十分に通用した。すでに入っている動作から見ても、睦月が伝えてきた合図に間違いはないだろう。

「ボクが一度落とす・・・から、英治投げてっ!」

高く・・なってもいいから、思いっきりやれ!」

 グローブを外した弥生と共に、本塁ホームベースへの軌道上に走り込む英治。そこに、睦月のシュート・・・・が飛んできた。

「ホントに打ってきた!」

「少しは容赦しろよ、おいっ!」

 守備ミスの振りをして蹴り返してきた睦月の白球は、下手をすれば先程の打球以上の威力を秘めていた。明らかにシュートのタイミングで、過集中状態ゾーンを使ったとしか思えない。

(こんなもん、グローブ越しでも無理だっつの!)

 英治ですら受け止めた手が壊れそうになるボールを、小柄な弥生が受け止めるのは不可能に近い。このまま本塁ホームベースへ向かうのであれば飛距離により、多少威力が落ちた状態で届くので問題ないのだが……咄嗟の打球返しシュートに精密さを期待する方がどうかしている。ずれた軌道を修正する為に、二人がかりで中継プレイを挟まなければならなかった。

「『全部いじくわしてやる』っ!」

 弥生はグローブを両手で握ると振り降ろし、直接ボールに叩きつけた。その為、白球はグラウンドに落ち、空中へと高く跳ね上がっていく。

「『全部撃ち抜いてやる』っ!」

 威力が落ちたボールを空中で掴み、そのまま本塁ホームベースにいる捕手キャッチャーの拓雄へと、直接投げつけた。

 結果、ボールは拓雄のミットの中へと吸い込まれ、二塁から走り込んできた走者をアウトにする刺すことができた。

「いろんな意味で危ね~……」

「……どうなったの?」

 グラウンドに寝そべる弥生に手を貸し、立ち上がらせながら英治は答えた。

「どうにかアウトだ。ベンチに戻るぞ」

 そして戻ってきた睦月に対して、英治と弥生は同時に蹴りを入れるのだった。




「とりあえず守備側だし、ボールを止める為に身体を使うのは規則ルール上問題がないとはいえ……結構ギリギリだぞ。さすがに球審から何か言われたら、俺も庇いきれないからな」

「はい。すみませんでした……」

 そう(一見)殊勝な態度で謝罪する睦月だが、完全に故意だということは、チーム全員が理解していた。

「こうなったら、是が非でもこの回で点差を広げるしかないな……そうじゃないと今後、この辺りで野球ができなくなっちまう」

「そればっかりは、本当にすみません……」

 姫香と愼治の兄妹を止めた時のように、相手にも立場というものがある。こればかりは誠に申し訳ないと、睦月は静かに頭を下げるのだった。

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