130 嫌いではないが苦手な分野(その5)

 結論として、試合は続行されることになったらしい。

「しかし……改めて見ても、本当に濃い面子だな」

「無駄口叩いでないで、ちゃんと見張ってなさいよね。郁哉君」

 ベンチのメンバーや運営とのやりとりが終わったらしく、守備や走者達が再び配置につく様子を眺めていた際に漏れた声に、一喝をぶつけられてしまう。

 野球場を一望できる事務所の屋上にて、身を伏せたまま双眼鏡を覗き込む『喧嘩屋郁哉』にそう告げながら、『医者有里』はレーザーポインターで目が眩んでいる佳奈の診察をおこなっていた。

 無論、事務所のある建物は平らな屋根とはいえ屋上自体がないので、(物理的に)不法侵入するしかなかったが。

「あなた……大会で私と戦った時の方が強くなかった?」

「そこまで戦闘経験がないだけだって~……不意打ちとかされると本当に弱いんだよ、私」

 屋上に居るのは五人。有里が佳奈を診察しているのを眺めている美里に、唯一の男性の為に肩身が狭い思いをしている郁哉。


「ふぅ~……」


 そして、この場にいる者達を呼びつけた和音だった。

「……治療中なんで、煙管キセルは止めて貰えませんか」

「これ以上我慢させんじゃないよ。風下で吸う分には見逃しとくれな」

 公園の敷地内は指定場所以外、全面禁煙だった反動だろうか。人目のない屋上に乗り込んだ途端、和音は早々に煙管キセルを咥え、堂々と火を点けだしていた。

「というか婆さん、何でここに居るのが『傭兵英治』じゃなくて俺なんだよ? 俺野球に出して、あいつか『鍵師朔夜』の方を呼べば良かったのに。『最期の世代俺達』の観測手スポッター役だっただろうが」

「朔夜さんなら、今は海外よ。学会の研究発表聞きに行ってるわ」

「……あいつ昔っから、間が悪いところないか?」

 そんな郁哉の疑問に、明確な回答が返ってくることはなかった。その代わりとしてか、和音が紫煙と共に言葉を吐き出してくる。

「あんたが大人しく野球やってくれるなら、別に構わなかったんだけどね……目を離した途端、睦月に喧嘩を売らないって誓えるのかい?」

「あ~……そりゃ無理だな。状況次第で一戦かまそうとして、次から睦月が来なくなる光景が目に浮かぶ」

「あなた達……いいかげん少しは、成長してくれない?」

 腰の収納ポーチに眼球検査用の単眼鏡を片付けた有里は、自身の目元を揉みほぐしながらそうぼやいてきた。

「というか……それこそ『剣客――さん』呼びなさいよ。打者に関しては『最期の世代私達』の中で、一番の適任じゃない」

「『気が乗らない』ってさ。丁度用事もあってか、あいつもどっか行ったよ」

「そもそも、英治よりも先に声掛けてたんだよ。その時点で手遅れだったからね……」

 そんな裏話を交えつつ、試合が動く様子を眺めていた郁哉は、打席に立つを見て、思わず首を傾げてしまう。

「……あれ? 今打席に立ってるのって、たしか投手ピッチャーじゃないか?」

 メンバーは事前に確認していたので、その違和感にすぐ気付く郁哉。その疑問に目をシバシバさせながら、佳奈が答えてきた。

「私の代わりじゃない? 指名打者DH解除して、打順に入ることもできるみたいだし」

「たしかに、規則ルール上は可能だけど……一度解除したら、もう戻せないんだぞ? 睦月の女も居たのに、わざわざ解除する理由あるか?」

 数的余裕がなくなるとはいえ、何故控え選手を使わないのだろうか?

 そんな郁哉の疑問に和音は、紫煙を吐き出しつつ黙らせてくる。

「……いいから仕事しな。さっきのレーザーポインターを使った奴は見逃してないだろうね?」

「まあ、相手は特定しているから大丈夫だけど……ただ、」

『ただ?』

 何人かが同時に疑問符を浮かべる中、双眼鏡から目を離した郁哉は、少し離れた場所を指差した。

「それとは別に、あそこにいる男。ずっと試合を見ているみたいでさ……誰かの知り合いか?」

「向こうのお仲間じゃないの~?」

 すぐに思い付く結論を口にする佳奈に、郁哉は否定するように首を振った。


「その割には……試合が始まってからずっと、誰とも連絡を取っている様子がないんだよ」


 むしろ、試合に出ている内の誰か・・にしか目に入っていない程に、観戦に集中している。少なくとも、郁哉の目にはそう映っていた。




 郁哉達が屋上で話している少し前に戻る。

「野球賭ば――っ!?」

「静かに」

相手チーム向こうは関係なさそうです。おそらくは運営の一部が、勝手にやってることだと……」

 レーザーポインターの件は『外部の悪戯』の為、妨害行為に当たらないというのが運営側の回答だった。一応、スタッフが見回りをおこなってくれることで決着は付き、試合続行となってしまったが……顔馴染みの相手チーム共々、洋一はどこか納得できていない。

 そんな中、ベンチに戻ってきて続行の旨を伝えた途端に、睦月と拓雄から返ってきたのが『野球賭博』の疑惑であった。すでに晶と愼治にはベンチ裏での会話を伝えているので、残る洋一を連れた二人は、端の方へと移動して向かい合ったまましゃがみ込み、先程の内容を(裏社会の事情は伏せられた上で、)大まかに説明してきた。

「強引に試合を進めさせようとした件といい、早計でも廣田にレーザーポインター目潰しかましてきた件といい……『試合をした上でこちらの負け』に八百長込みで、物事が動いているとしか思えないんですよ」

「それにたしか、『事故に遭ったのは商店街側・・・・の面子だけ』と試合前に話してなかったか? もしかして……元々は、人数的にギリギリの状態で出ようとしていたんじゃないのか?」

「……その通りだ」

 実際、代役を求められた時の理由は、『元のチームメンバーの一部が事故に見舞われた』からではなかった。そう考えれば自ずと、『ギリギリでも最初は人数が足りていた』という推測が成り立つ。

「しかし、そうなるとますます続けるわけには……」

「……それは止めた方がいい」

 頭を抱える洋一に、拓雄は静かに首を振って否定してきた。

「下手に刺激すると、後でどのような報復が来るかは分からない。さっき話した投資話通りに、『試合中止の場合は全選択肢が的中扱い』となるなら、規模次第では相当の損害が生まれてしまう。おまけに慣れない胴元をやっているのが新興団体なら、どんな無茶をしてくるか、」

「なら黙って続けろ、ってのか!?」

 思わず声を荒げてしまい、そのまま立ち上がろうとする洋一を、拓雄は両肩に手を置いて強引に押し留めてきた。そこにすかさず、睦月の言葉が耳に飛び込んでくる。

「落ち着いて下さい。もし、その通りなら……大人しく試合をする分には、向こうも何もしてきません。八百長目潰しを仕掛けてきた犯人だって、胴元側とグルとは限らないんですよ。つまり、さっきの一回だけで終わる可能性もあるんです」

「……だが、まだ続く可能性もあるんだろ?」

 徐々に冷静さを取り戻しながら、洋一は睦月を睨むとそう告げた。

「こっちはただでさえ、助っ人をお願い・・・した・・なんだ。これ以上の迷惑は掛けられない」

「いや……もう全員、逃げられない可能性が高い。運営側に個人情報をメンバー登録した状態で試合が始まった以上、逆に最後まで続けた方がまだ安全だ」

 いくら胴元でも、当初の予定通り『試合の勝敗』で賭博の結果を決めるのであれば、注目するのは試合結果だけ・・だ。八百長がただの賭博者の暴走ならばもちろんのこと、胴元側がグルだとしても、無暗な報復行為は『妨害目的の介入』を露呈させかねない。しかもその場合、悪印象を受けた客が離れていく可能性もあるのだ。次の商売賭博へと繋げたいのであれば、報復は決して手を出してはいけない愚策となる。

 だから妨害を気にせず、最後まで試合を続けた方が、平穏無事に終わる可能性が高かった。

「……話は分かった。つまり手を・・抜いて・・・、負ければいいんだな?」


普通なら・・・・、その方がいいでしょうね」


 事情を理解した上で、苦渋の決断をする洋一に対して、睦月はさらに提案を重ねてきた。

「さっきも言った通り、レーザーポインターのような妨害行為がまたあるかどうかは分かりません。ですが……相手の思い通りになるのも嫌でしょう?」

「……睦月?」

 職業柄、人と接する機会が多い為か、雰囲気の変化に聡い洋一は……ここにきてようやく、睦月が感情的になっていることに気付いた。

「うまくすれば妨害を受ける前に、相手の・・・思惑を・・・超えた・・・状態で・・・、勝てる可能性があります。『止める』や『手を抜く』選択肢は、その手を試してからでもいいんじゃないですか?」

「お前……何考えてる?」

「幸いにも、最初の・・・作戦から大きく方針を変える必要はありません。だから……」

 内心、燻る程度とはいえ……かすかな恐怖を覚える洋一に、睦月はある提案をしてきた。


「絶対に勝ちましょう……短期決戦・・・・で」




 かくして、試合は再開された。

 塁に出ている睦月、理沙、洋一と打順の為に席を立った晶と弥生。そして、英治が軽く素振りをする(振りをして周囲の様子を確認してくる)為に少し離れたので、残っている面子的に問題ないのではと、由希奈は姫香をベンチの端に呼び寄せた。

「ねえ、姫香……今話せる?」

「話せない」

「……また乱闘する? 今度は私達だけで」

 ベタな返しをしてくる姫香に、由希奈は三塁に居る睦月の方を一瞥してから、ゆっくりと話し始めた。

「今の睦月さん、ちょっと怖いんだけど……理由、分かる?」

「……由希奈と同じ理由じゃないの?」

 一瞬、冗談で返されたのではと訝しむ由希奈を見てか、姫香は一つ溜息を吐くと、本気・・だと静かに返してくる。

「『人からされて嫌なことはやるな』って、普通は子供の頃に、よく言われるんでしょう? 私は『やられる前にれ』って教えられてたけど」

「それが一体、どうしたって言うの?」

「……本当の個人主義っていうのは、『周囲にいちいちマウントを取らない人間』だって話よ」

 睦月に視線を移して腕を組みつつも、姫香は由希奈に向けて、話を続けてきた。

「努力の過程も結果も、結局はした本人の責任であり成果でもある。迷惑を掛けられたならまだしも、無関係な人間がとやかく言う方がどうかしているのは分かるでしょう?」

「それは……うん。まあ、分かる」

 それ自体は、由希奈も理解できた。

 陸上でも練習すればするだけ、自分を鍛えることができる。競技大会で通用すれば嬉しくもなるし、結果に納得できなくてもおこなった努力自体を後悔したことはない。たとえ『上には上』がいたとしても、それが目標の為に足掻かない理由にはならなかった。

 むしろ、人によっては『目標を超えようと意欲を高め出す』場面を、由希奈は何度も見てきた。

「でも、人類全員がそれを理解しているわけじゃないし、無意識に相手を否定してしまうこともある。だから発達障害ASDでコミュ障だと思ってる睦月は昔っから、内心でどう思おうとも『人の努力は否定しない』ようにしてたらしいのよ……無駄に敵を増やさない為に」

 相手から喧嘩を売ってくるなら買う。それ以外は『どうでもいい』からと関わらないようにする。当たり前のように見えて、誰もがやっているとは限らない処世術だった。


「だから、あんた・・・と一緒で嫌いなんじゃない? 裏でこそこそ賭けの道具にしたり、規則ルールを無視したりして……他人ひとの努力を踏み躙ってくるような連中が」


 それを聞いて、かつて出会ったばかりの頃の彩未と話した内容が、ふと思い出されてしまう。

 そして、ある結論へと思い至り……思わず口に出してしまった。


「それって、つまり…………同族嫌悪な上に、好き勝手やってる理性のない人間への嫉妬?」

「正解」


 唯一の救いは、睦月自身が無差別に敵を作ろうとしない性格だったことだろうか。

 由希奈もまた腕を組み、二人並んで溜息を吐く中、外野ライトフライでアウトになった晶がベンチへと帰ってくる。




(あんまり手、痛めたくないんだけどな~……)

 とはいえ、先程のレーザーポインター騒動を鑑みれば、睦月の提案はある意味理に適っていた。だからさっさと片付けようと、弥生はバッティンググローブを履いたてのひらをグッ、パと軽く動かした上で、バットを握って構える。

(……ま、その為にさっさと片付けよっか)

 相手投手ピッチャーが腕を振りかぶり、白球を放ってくる。

 そのタイミングで……


「…………『全部いじくわしてやる』」


 ……弥生は過集中状態ゾーンに入り、普段は発揮できない剛力をもって、打球を外野へと大きく飛ばした。




「マジかよ……」

 試合前までの練習では、手を抜いた様子は一切なかった。

(本当にあるんだな……過集中状態ゾーンって)

 だからこそ、睦月の提案が実現できてしまうのではないかと、三塁で足を止めて振り返った洋一は、二塁に立つ小柄な少女の方を向いた。

 続いて、ホームベースからベンチへと戻っていく睦月と理沙を見送ってから、新たにバッターボックスへと立った英治の様子を窺い出す。

(たしかに、これならいけるかもしれない……)

『その為に一つ、確認させて下さい』

 睦月が挙げた提案は至極単純だが、達成は難しいと思っていた。

 けれども……これならいけると、洋一は確信した。




『この大会での…………コールド・・・・ゲーム・・・の条件は何ですか?』

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