128 嫌いではないが苦手な分野(その3)

 地元に居た頃にも、野球をしたこと位はある。

 社会の表裏問わず、競技スポーツを嗜む人間は多い。それはかつての地元に住んでいた者達とて、例外ではなかった。

(とはいえ……精々が人数の少ない簡易版な上に、死球デッドボール有りのイカレローカル仕様ルールだもんな)

 敬遠が面倒臭かったのか、『避けられない奴が悪い』とばかりに、平気でボールを打者バッターにぶつける習慣がいつの間にか生まれていた。

 それがまともじゃないと知ったのは、パ○プロゲームで遊んでいた時だった。プレイ中に死球デッドボールの選択ができないので何故かと調べた結果、ようやく地元の方がおかしいと理解できたのだ。

(まあ……ボールが頭に飛んでこないだけ、まだ気楽マシな方か)

 しかも理由が『銃弾より遅いから』という、反銃社会日本ではまずあり得ないようなものなのだ。膂力を出す理屈が違い過ぎるので、投球ピッチングと比べるだけ時間の無駄だと思ったのは、正しいルールを把握した後の睦月だけではないだろう。

(問題は……当てられるかどうか、だよな)

 銃弾を避けるのとバットをボールに当てるのとでは、行動原理が違い過ぎる。現に、格好付けようとして初めて行ったバッティングセンターにも関わらずホームランを狙い、結局全部空振ってしまったことがあった。その時の連れの女性を呆れさせた黒歴史は、今でも睦月の脳裏にこびり付いている。

 おかげでしばらくの間、ホームランを狙おうとバッティングセンター通いに嵌っていた程だ。

(さて、と……)


「――プレイボール!」


 球審の合図と共に、相手の捕手キャッチャーも立ち上がると、自身のチームに向けて叫び出していた。

「いつも通り、しまっていこう!」

『応っ!』

(……良いチームだな)

 相手に応じて、態度を変えずに物事に取り組められるのは、ある意味美徳ともとれる振る舞いだ。

 仕事ビジネスだろうと競技スポーツだろうと、自分達が掲げる目標に対して、常に必要な努力を考え、こなしていかなければならない。だからこそ、その匙加減を相手に抱く印象イメージに委ねていては、簡単に足元を掬われてしまう。

 逆に言えば……即席チームが相手でも態度を変えてこない時点で、簡単に勝つことは難しい。少なくとも、容易に油断を誘えるとは思わない方が良いだろう。

(……やっぱり、洋一さんの作戦通りでいくか)

 相手投手ピッチャーが腕を振りかぶるその間際、睦月はバットを短く持ち直しながら、バッターボックスの端に身を寄せた。




「……で、勝算はあるのかい?」

「地力も有る上に、誰であっても真摯に取り組める相手だからな……奇抜な作戦は真っ先に諦めた」

 ベンチ席から出て、洋一にそう問い掛けた和音に返されたのは、ある意味一番潔い返答だった。

「そもそも、野球経験者がほとんどいないからな。正直晶が居なかったら、俺が投手ピッチャーやろうかと思ってたんだぞ。本来は一塁手ファーストなのに」

 力任せの直球しかなくても、捕手キャッチャーのミット目掛けて投げられれば十分役割を果たせられる。下手な未経験者に任せるよりはましだと思っていたが、そこはソフトだが投手ピッチャー経験のある晶が加わってくれたのは、ある意味幸運でもあった。

「だからとにかく、出塁を優先させる打順にした。チームの中で強打者スラッガーは贔屓目抜きにしても俺だけだからな。とにかく出塁した打者ランナー溜めて、無理矢理押し出すしかないだろ」

「まあ、即席チームならそんなもんかね……」

 球場内は禁煙の為、普段咥えている煙管キセルを持ち込めないからか、和音はスコアブックに書き込む為のボールペンを手慰みに弄び出す。そうこうしている内に、相手投手ピッチャーが投球の構えを取り始めていた。

「そういえば……睦月あいつを一番打者にしたのは何故だい?」

「そればっかりは単純な理由でな……」

 和音達が話す中、放たれた投球が捕手キャッチャーのミットへと向かっていく。そのボールに対して、睦月が取った行動は一つ。

 ――カン!

 バットを振らずに寝かせて打つ、バントと呼ばれる打撃方法だった。

 しかも、睦月が取ったのはセーフティバントと呼ばれる、スイングと見せかけてバントをおこなう、相手の意表を突く手段である。それを初球でおこなった為に、相手側は咄嗟に反応できずにいた。

 とはいえ、不意を突かれたといえど、相手もまたベテランのチームである。睦月が三塁側にボールを転がした時には、すでに三塁手サードの選手が守備に動いていた。

 慣れた動作でボールを拾い、一塁手ファーストへと素早く送球しようと腕を振りかぶ……


 ――タンっ!


「セーフ!」

 ……ろうとするも、睦月が一塁ベースを危な気なく踏みしめる方が早かった。

「睦月の奴……俺含めたチームの中で、一番足が速いんだよ」

 洋一は睦月のことを『個人経営の運送業者』としか見ていなかったので、内心意外だと思っているのかもしれない。けれども、『運び屋』としての青年を知っている和音からすれば、特に驚くことではなかった。

「さすがに、初球で当てるかどうかは睦月に任せていたが……まさかあそこまで、簡単に当ててくれるとは」

「……昔っから、足の速い子だったからね」

 思わず咥えそうになるペンを腕ごと降ろしながら、和音は再びベンチへと戻った。




(とりあえずは、上手くいったが……どうするかな?)

 野球では『グリーンライト』と呼ばれる、試合中に選手自身が判断して行動できる許可を与えられる者達が居る。基本的には走者が盗塁するかを自由に決められるものだが、チームメイトのほとんどが野球初心者なので、今回は助っ人全員が逆に許可を得ていなかった。

 素人判断で動くよりも数テンポ遅れるが、ベテランの洋一が指揮した方が確実性は高い。下手な賭けに出るよりも、安定して点を稼ぐことができる。守備にも不安がある以上、攻撃力でカバーしなければ、即席チームでの勝算は低いからだ。

(一先ず……盗塁の指示はなさそうだな)

 二番打者である理沙がバッターボックスへと移動する間に洋一の方を向いたが、特にサインを出してくる様子はない。今は盗塁を考える必要はないと考えた睦月は視線を戻し、打球の行く末を見守ることにした。

 ――パァン!

 理沙はただ構えるだけで、初球は『見』に徹していた。しかし、次は当てようとしているらしく、ゆっくりとバットを振りかぶっている。

(よし……)

 もし次に当ててくれば、打球の行方次第で走り出さなければならない。基本は洋一の判断任せだが、『もしヒットなら、止めない限りは即走り出せ』と事前に言われているので、睦月は少しだけ、静かに身を屈めた。

 そして二球目が投げられ、捕手キャッチャーの下へと白球が飛んでいく。その投球に対して割り込むように、理沙はバットを振りかぶった。


「死ぃねぇえええ……っ!」

 ――カキィン!


 バットに限らず、ゴルフのクラブ等を振る際に何かを叫ぶことは良くある話だが……殺意丸出しでおこなう者はかえって珍しい。しかもその打球は、何故か真っ直ぐに睦月の方へと飛んでくる。

「危なっ!?」

 けれども、バットが当たると同時に走り出していた睦月は辛うじて、その打球を躱すことができた。

 おまけに、その打球は睦月の後頭部ギリギリを通り過ぎた為に、相手の一塁手ファースト選手は反応が遅れてしまい、後方にいる右翼手ライトが急いでカバーに回っている。だが、跳ねたボールを掴んで返送するよりも早く、理沙は一塁ベースに辿り着いていた。

「あいつ、まだ恨んでんのかよ……」

 二塁ベースで足を止めた睦月は腕を持ち上げ、額に浮かぶ嫌な汗を拭い取ろうとする。

「兄ちゃん……あのに何かしたのか?」

 二塁手セカンドが一塁側のカバーに回っている為、代わりに守備についていた相手の遊撃手ショートに、そう聞かれてしまう睦月。その間も、『セーフ』となったにも関わらず、理沙はこちらへと向けて聞こえそうになる位、舌打ちを鳴らしてきていた。

「昔……仕事・・で競合した時に出し抜いたことがあるんですよ。ちゃんと決まりルールは守ってたんですけどね」

「……それは兄ちゃんだけ・・の話じゃないのか?」

 そこは年の功とでもいうべきか、自分は良くても相手からすれば駄目だったという事態もあると察せられてしまう。それに気付かない振りをする為にと、睦月は思わずという態で肩を竦めた。

「……相手の頭が固すぎるだけですよ」

 そして三番打者である拓雄が次打者席ネクストバッターズサークルから打席へと歩いて行き……金属バット片手に飛び出そうとする少女二名を取り押さえる為に発生した、ベンチ内での乱闘手前の騒動を眺めていた。

 その間にも飛んでくる理沙からの殺気を、一切無視しながら。




 ベンチ内での騒ぎが収まる頃には、拓雄の打球は右中間を転がっていた。打力としては低い方だが、確実性という面では経験者だけあり、チーム内で一番安定している。しかし前者二人とは違い、走力はそこまで高くはない。ゆえに結果は、睦月と理沙を進塁させるだけで終わってしまう。

「随分腕の良い打者だな……終わったら勧誘してみるか?」

「先に洋一さんが声掛けるんじゃないですか? まあ、野球自体は嫌いじゃなさそうですけど……」

 今度は三塁ベースにて、相手の三塁手サードと軽く話しながら、四番に立つ洋一の様子を窺う。けれども、三塁側のベンチから出て来た監督が球審に何かを言うと、バットを振ることなく一塁へと歩かされていく。

「あれ、って……敬遠ですか?」

「いや、明らかに申告敬遠だろ? ……ああ、そっか。最近できた規則ルールだから、もしかして知らないのか?」

 睦月が思う敬遠は、わざとボールを外して投げ、強引に出塁させるものだった。しかし、相手の三塁手サードの話によると、数年前から故意に四球を与える際には、投手側の監督が球審に申告する決まりになったらしい。

「試合時間の短縮とか、いろいろ理由はあるんだろうが……俺としては、少し情緒がない気もするんだよな。ボール球を無理矢理安打にしようとするのも、結構浪漫だと思うし」

「その辺りは経験ないんで、何とも言えないですけど……まあ、しっくりこないのは同意見ですね」

 野球自体はそこまで経験がないとはいえ、覚えていた規則ルールとは明らかに違ってしまっている。その光景を見せられた睦月は内心、少し落ち着かなくなっていた。

(やっぱり、普段関わらない分野とはいえ……いきなり考えを変えるのは難しいな)

 とはいえ、今回はまだついていた。

 周囲は無知を責めずに、指導してくれる者ばかり。もし少しでも軋轢を生むような行為をされてしまえば、睦月は精神的に荒みかねなかった。

(本当、厄介な特性を持っちまったよな……)

 あえて走者を溜めて、アウトを取りやすくする満塁策はまだ理解できる。だが、慣れない申告敬遠に対してむず痒いものを感じながら、五番打者である佳奈が打席に立つのを眺めた。




(思ったよりできるな。あの連中……面倒臭い)

 最初は単なる即席チームだと高を括っていたが、まさか序盤から、満塁策を取られる程の実力を見せつけられるとは思っていなかった。本来であれば間引き・・・だけ・・で済ませられたはずなのに、このままでは予定が狂ってしまう。

(まだ一回表だが……仕方ない、か)

 野球場の外側、辛うじて内部の状況が見える場所に居た男はゆっくりと、ある物を取り出して構えた。




(野球、か……悪くはないけど、やっぱり趣味じゃないかな~)

 体育の授業や育ての親である養父師匠から、野球について学ぶ機会はあった。特に打撃練習バッティングに関しては、『銃弾を弾ける』ようにと訓練用の木槍で、飛んでくる球を打ち返す練習をさせられたこともある。練習時も長さは違うものの、バットにボールを当てられていたので、足を引っ張ることはないと思っていた。

 だから佳奈自身、野球は『あまり趣味の合わない競技スポーツ』としか捉えていない。そもそもここにいること自体、『人数合わせ』で強引に拉致されてきたからなのだ。

 とはいえ、ここまで来てしまった以上、楽しまなければ損だと考えられるのが佳奈である。

(にしても……鵜飼ちゃんも、直接狙うかな~? どうせ荻野君、あっさり避けちゃうんだし)

 全員の背景を把握しているわけではないが、何人かは同じ『裏社会の住人』な上に、お互いに揉めた過去のある者同士が一緒になってしまっている。こればかりは仕方がないと、佳奈は意外にも早い段階で割り切れていた。

 ……まあ、主に『運び屋睦月』が(色々な意味で)狙われているだけだったりするが。

 そんなことを考えている内に、投球の態勢フォームへと入る投手ピッチャーが白球を放ってきた。

(今日位、ゆっくり楽しめばいいの、に…………っ!?)

 それに合わせて、バットを振ろうとした瞬間だった。




 ……佳奈の視界が半分、赤い光に覆われてしまったのは。

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