121 生命(いのち)の価値(その4)

 ――カラン、カラン……

「いらっしゃい……随分とまた、懐かしい顔だね」

「……久し振りだな、『情報屋婆さん』」

 和音は煙管キセルを振り、雁首火皿から灰を落としてからそのまま、近くの椅子を指した。

「とりあえず座りな。義足の・・・まま・・、立ってるのは辛いんじゃないかい?」

「ああ……助かる」

 椅子を引き寄せ、腰掛ける義足の男の前で、和音は新しい刻み煙草を詰めていく。

「秀吉の小僧の……提案仕込みに乗ったんだって?」

「とはいえ、『殺し屋』の将来を選んだのはあいつの意思だ。さすがにリハビリと称して、無理矢理進学させはしたが……結局、秀吉ひでの息子を殺さずにはいられないんだとさ」

「……そうかい」

 煙管キセルの先端に火を点けた和音は、静かに煙を吐きながら、かつて『殺し屋』だった男に話し掛けた。

分から・・・なくも・・・ない・・……って、ところかい?」

「そうだな……」

 カーゴパンツ越しに手を乗せ、作り物と化した右足を擦る男を、和音は静かに見つめる。やがて、言葉を纏められたのか、その口から自身の考えが吐き出された。


「……結局、やりたいようにやった奴が、人生の勝ち組なんだろうさ」


 職業も経歴も、功罪の有無も関係ない。ただ己のやりたいように生き……後悔しない生涯を歩めれば、人は満足できる。

 物事の善悪や生み出した成果の大小ではなく……自らが選び、進んだ過程生き様で、だ。

「そういう意味では……佳奈あいつは最初から、欲望に忠実だったよ。殺しに染まった理由までは、未だに分からないけどな」

「何なら、調べるかい? 名前は・・・そのまま・・・・なんだろう?」

「……それを決めるのは、あいつ自身だ」

『廣田佳奈』という名前は、彼女自身の本名だ。養子縁組等の細工をする際、養父と・・・なった・・・男の・・方が・・自らの戸籍を偽装し、親戚の振りをして引き取れるようにしていた。相手の年齢を考え、面倒を避けた可能性もあるが……もしかしたら、本人が望めば、自分で出自を調べられるようにしたかったのかもしれない。

 その真意は不明だが……


 ――カラン、カラン……

「酷くない、酷くない? 姫香ちゃん私と別れてから、そのまま放置してたんだよ酷くないっ!?」

「分かったからもう静かにしてくれっ! さっきから姫香が指でつねるどころか俺の腕を捻じり上げててっ!?」

「っ! っ……!」

「お前等が一番うるせえよ。近所迷惑考えろよな……」

「…………あ、養父師匠~」


 女子高生の制服を着た少女とミディアムヘアの少女、それぞれに挟まれて詰め寄られている好敵手旧友の息子。そして、今回依頼した『喧嘩屋』の青年に担がれた『殺し屋』の養女弟子が、騒がしく入店してきた。

「ごめん、また負けちゃった~」

「……そうか」

 無表情を装ってはいるものの、そこは年の功とでもいうべきか、どこか安心している雰囲気が出ているのを感じ取れる。他の誰かが気付く前にと、和音は煙管から口を放し、後ろに声を飛ばした。

「智春。茶ぁ持ってきな!」

 裏で事務仕事をしている店員の返事を待つ前に、乗り込んできた次世代達は各々適当な席に着いていった。




「……あれ? 智春ん、眼鏡に替えたの?」

「この前、ようやく気に入った眼鏡の本体フレーム見つけたから、つい買っちゃった。元々ドライアイ気味だし、今の内に治しとかないと将来余計にお金が掛かりそうで……」

 さすがに部外者寄りの二人には少し離れて貰ってから、睦月は改めて、秀吉父親好敵手旧友へと向き合った。

「ええと、初めまして。私は、」

「自己紹介の必要はないし、そこまで行儀良くしなくていい……どうせ引退した身だ。うちの養女弟子を引き取らせてくれれば、多少は目を瞑る」

「じゃあ、遠慮なく……『運び屋』、荻野秀吉の息子、睦月だ」

 睦月の手が、ショルダーホルスターに残されていた最後の自動拳銃ストライカーへと伸びる。円盤型パン弾倉マガジンを撃ち尽くした物でも、秀樹との決闘擬きで使った訓練用でもない、正真正銘最後の手持ち一丁だ。

「うちの馬鹿親父が何考えて、おたくの娘を手助けしにちょっかいかけたのかは知らないが……何か、大元の原因に心当たりは?」

「悪いが、俺が引退したの話だからな。秀吉あいつに何があったのかまでは分からん。本人も……『女が一人、死んだ』、としか言わなかったしな」

 そこまでは、佳奈と同じ回答だった。けれども、睦月にはさらに踏み込める要素が一つ、残っている。だから次は、それ・・について問い掛けた。


「その女……『スミレ』って名前じゃないか?」


『…………』

 一瞬、店内に不穏な空気が流れたかもしれない。けれども、睦月は気にせず話を続けた。

「いや、女の名前までは聞かなかった。というより……聞けなかったな」

「そうか……」

 そう答えるや、何故か男は首を傾げてから、指を立ててくる。

「そこの『情報屋婆さん』に聞こうとは、思わなかったのか?」

「口止めされてるのか、料金吹っかけようとしてるのか……俺が確信に至った範囲でしか、親父のやってることを話してくれないんでね」

「……そうなのか? 婆さん」

 今度は男自身が、和音の方を向いて問い掛け出した。しかし、『情報屋』はただ煙管キセルを吹かすだけで、何も答えようとはしてこない。

「少しは、答えてやればいいものを……」

 しかし男は、和音に対して非難することなく、顔を戻してきた。

「……で、睦月君はどこまで知ってるんだ?」

「親父が拉致事件の関係者で……暁連邦共和あの国に対して、何かを企んでること位しか」

 ふと、睦月は『非合法な手段を用いた、拉致被害者全員の救出』について、あえて伏せて答えてしまった。現状では根拠のない憶測だということもあるが、不意に……妙な勘が働いてしまったからだ。

「そう、か……」

 周囲の誰も、睦月の話を蒸し返そうとはしてこない。どこまで理解しているのか、その把握度合いを探られるかとも思っていたのだが……今は誰も、会話に混ざろうとはしてこなかった。


関わっち・・・・まった・・・のか・・、あいつ……暁連邦共和あの国に」


「……ちょっと待ってくれ」

 だから睦月は、眼前に腰掛ける男の言葉を脳裏で反芻する内に、その裏の妙な違和感に気付くことができた。

「それは……どういう、意味だ?」

「言葉通りだ。あいつ……秀吉ひでは元々、拉致事件の・・・・・関係者・・・じゃない・・・・

 感情的に、右手で自動拳銃ストライカーを抜き出さなかったのは、我ながら褒めたくなってしまう。理性的に情報を得なければならない場面で、冷静さを欠くわけにはいかないからだ。

「……根拠は?」

「こいつは、俺が引退した理由でもあるんだが……韓国語・・・を話す連中に、嵌められたんだよ」

 カーゴパンツの上から、男は右足を摩り出す。次いで、足首にまで伸ばした手で裾を捲り上げ、自らの義足を睦月達に曝け出してきた。

「ある依頼を請けた。秀吉達あいつ等競合してつるんでる内に、俺の名も売れてきてたんだろうな……仲介人を介さず、直接俺に依頼が来た」

 どの業界でも、直接指名した上で仕事を依頼されることは、一種の認められた存在ステータスとして周知されることと同義だ。無論、それは裏社会でも変わりはない。

 睦月もまた、最初こそ代理の側面もあったが……個人的に依頼された時は、自分が認められたと思えて嬉しくなったものだ。もっとも、少ししてすぐに、責任感に押し潰されそうになってしまったが。

「俺はそれを請けて……結果、ただ連中から襲撃されるだけで終わってしまった。この足も、その時逃げ出す為に、自分から斬ったんだ」

「……蜥蜴の尻尾切り?」

 口を挟んでくる佳奈の声を聞き流し、睦月は顎を振って続きを促した。

「その依頼人……いや黒幕の連中は、仲間内では韓国語を話していた。俺も少しは知っていたから、すぐに分かったよ。で、韓国語それで話す主な国は二つしかない」


「韓国と…………暁連邦共和国」


 睦月の回答に、秀吉父親好敵手旧友は一度だけ深く、静かに頷いた。

「当時のあいつは、それを聞いても特に取り乱さなかった。それどころか、韓国コリアンマフィアの可能性すら視野に入れていた。だけどな……呼び出されたのは、普通じゃ手に入らない大型船・・・の上・・で、しかも最後にはあっさり沈めたんだぞ? たとえ商売だとしても、あの規模では一介のマフィアじゃ、金を溝に捨てるようなものだ」

 つまり、金銭以外の目的があったのだろう。目の前の『殺し屋』も、未だに当時の思惑を掴めていないのか、それ以上仮説を述べるようなことはしてこなかった。

「俺はその時点で『やばい』と思って、そのまま引退した。当時を含めて、秀吉あいつは特に何も言ってこなかったが……俺が引退し抜けた後に何かが起きたのは、間違いない」

 今……この店に弥生達が居なかったことは、ある意味幸運だったかもしれない。

「『技術屋』と『鍵師』……付き合いはあるか?」

「ああ……あいつ等とも、よく競合してつるんでたよ。今も・・元気で・・・やってる・・・・のか・・?」

 二人の結末は、どうやら知らなかったらしい。輸入雑貨店ここを訪れたのも、佳奈の件とは別に依頼し調べようとしていたかもしれないが……睦月は、自分の知っている範囲で正直に話した。

「一人は自首して刑務所に居る。後は、話に聞いただけだけど……自殺したらしい」

 睦月からの言葉に、義足の男は無意識に天を仰いでいた。父親以外の顔馴染み達に思いを馳せているのだろうが、こちらも脳裏で、時系列を整理することに意識が向いてしまっている。

(また、確率だけ・・が上がってしまったな……)

 現時点で分かるのは、『スミレ』という女性と出会った後の秀吉が、何らかの形で暁連邦共和国との接点を持ってしまったことだけだ。けれども、未だに可能性が高まっただけで、明確な根拠には届いていない。

「自殺した方は、『スミレ』って人の件を親父に謝罪していたらしい。自首したもう一人も、何らかの形で関わってると思う。ただ……未だに憶測の域を出ていない」

「……根拠がない、ってことか。憶測で物事を語らないのは、良い心掛けだ」

「苦手なんだよ、昔から……憶測に憶測を重ねかねない考え方をするのは」

 一つの物事に集中し過ぎると、それしか目に入らなくなってしまう。もしそれで、憶測を・・・根拠に・・・して・・考え込んでしまえば、間違った結果真実に辿り着くおそれがある。

 だから睦月は、証拠を楔にして思考する癖を付けるようにした。

 もう二度と、決して……目的を見失わない為に。

「で、婆さん……答えは?」

「…………」

 未だに、和音から明確な返事は出てこない。おそらくは、報酬の問題ではないのだろう。でなければ、すぐに金額を口にするはずだ。そして言葉の代わりに、煙管キセルから吐き出した紫煙を紡いでいる。

「まあ、いい。後は『情報屋婆さん』に聞いてくれ……他にはないか? 俺に聞きたいことは」

「後は……おたくの娘の処遇とかもあるな」

 金属音が聞こえてくる。ただし、鳴らしたのは睦月ではない。この場で銃を持っているのは、後は姫香位だろう。

 他にも持っている者が居る可能性もあるが……佳奈に銃口を向ける理由があるのは現状、睦月と姫香だけだ。

「正直、いちいち仕事の邪魔をされるのも迷惑なんだよ。それに……毎回見逃せる・・・・とは限らない」

 実際、睦月は殺すのを可能な限り、最後の手段にしている。それは昔馴染み達に対しても、決して例外ではない。感情的な面があるのもたしかだが、結果的に余計な・・・恨み・・を買わないようにすることも、この世界で生きていく上では重要だ。

 そして今、睦月達が佳奈を殺せば……必ず、目の前の男が動き出す。

「今回の件も含めて、ちょっと落としどころに困っている……どうすれば良いと思う?」

 安易な結果を求めれば、逆に多大な対価を支払うことになる。それは人殺しとて、例外ではない。

 特に、佳奈の師匠余計な敵の存在が、今回最大の難点ネックになっている。

「仕事の邪魔をしてくる『喧嘩屋郁哉』ですら、状況によっては殺すつもりなんだよ、こっちは。今後も関わってくるつもりなら……悪いが容赦はしない」

「……できない・・・・、じゃないのか?」

「余計な口挟むな馬鹿、今度から寸止め止めるぞ」

死ぬ負ける気はないし、たとえ死んだ負けたとしても……そんときゃあの世・・・雪辱戦リターンマッチだ。少なくとも、何の覚悟もなく『運び屋お前』に挑んだりしねえよ」

 睦月の背後から、郁哉の声が飛んでくる。それに振り返ることなく、手振りだけで答えた。直後、義足の男もまた、自らの弟子の方へと問い掛けていた。

「……おい、馬鹿弟子」

「なぁに~? 養父師匠

 拘束されたまま腰掛け、姫香がいつ自動拳銃ロータ・ガイストの引き金に指を掛けてもおかしくない状況にも関わらず、佳奈は気にすることなく養父師匠に応対し出した。


「次も、生命いのちがあるかは分からない。それでも、まだ……続ける・・・気か・・?」

「うん、続けるよ・・・・……『運び屋』に勝ちたいからね」


 もはや、打つ手はない。とでも言わんばかりに、盛大に溜息を吐いてから……佳奈の養父師匠は睦月に向けて、落としどころを提案した。

「船上からは、『剣客』と一緒に逃げた。秀吉ひではそいつと知り合いだと言っていた。もし俺が関わった件を調べたいなら、そいつからも聞いてみるといい……その情報で、今回だけ・・は見逃してくれないか?」

「……次は、殺すかもしれない。それでもいいのか?」

「俺達だって、普段は酒飲んで騒いでるくせに、仕事でかちあう度に殺し合ってたんだ。子供達ガキ共が同じことをやってても、文句の言える立場じゃねえよ」

 その言葉に、睦月の背後から郁哉の声が漏れ聞こえてくる。

「親の代でも、やってること一緒なのかよ……成長がないな」

「俺も思ったけど、いちいち口にするな。そこらの(人見下すしか能のない)馬鹿思い出して、余計に頭が痛くなってくる……」

 郁哉にそうツッコんだ睦月は、もう馬鹿馬鹿しいとばかりに、後ろの姫香達に指示した。


「もういい…………そいつの拘束を解いてやってくれ」


 そして佳奈の拘束は、郁哉の手によって解かれ……てすぐに姫香が蹴り飛ばしたので、そのまま男の傍へと転がっていった。

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