121 生命(いのち)の価値(その4)
――カラン、カラン……
「いらっしゃい……随分とまた、懐かしい顔だね」
「……久し振りだな、『
和音は
「とりあえず座りな。
「ああ……助かる」
椅子を引き寄せ、腰掛ける義足の男の前で、和音は新しい刻み煙草を詰めていく。
「秀吉の小僧の……
「とはいえ、『殺し屋』の
「……そうかい」
「
「そうだな……」
カーゴパンツ越しに手を乗せ、作り物と化した右足を擦る男を、和音は静かに見つめる。やがて、言葉を纏められたのか、その口から自身の考えが吐き出された。
「……結局、やりたいようにやった奴が、人生の勝ち組なんだろうさ」
職業も経歴も、功罪の有無も関係ない。ただ己のやりたいように生き……後悔しない生涯を歩めれば、人は満足できる。
物事の善悪や生み出した成果の大小ではなく……自らが選び、進んだ
「そういう意味では……
「何なら、調べるかい?
「……それを決めるのは、あいつ自身だ」
『廣田佳奈』という名前は、彼女自身の本名だ。養子縁組等の細工をする際、
その真意は不明だが……
――カラン、カラン……
「酷くない、酷くない? 姫香ちゃん私と別れてから、そのまま放置してたんだよ酷くないっ!?」
「分かったからもう静かにしてくれっ! さっきから姫香が指で
「っ! っ……!」
「お前等が一番うるせえよ。近所迷惑考えろよな……」
「…………あ、
女子高生の制服を着た少女とミディアムヘアの少女、それぞれに挟まれて詰め寄られている
「ごめん、また負けちゃった~」
「……そうか」
無表情を装ってはいるものの、そこは年の功とでもいうべきか、どこか安心している雰囲気が出ているのを感じ取れる。他の誰かが気付く前にと、和音は煙管から口を放し、後ろに声を飛ばした。
「智春。茶ぁ持ってきな!」
裏で事務仕事をしている店員の返事を待つ前に、乗り込んできた
「……あれ? 智春ん、眼鏡に替えたの?」
「この前、ようやく気に入った
さすがに部外者寄りの二人には少し離れて貰ってから、睦月は改めて、
「ええと、初めまして。私は、」
「自己紹介の必要はないし、そこまで行儀良くしなくていい……どうせ引退した身だ。うちの
「じゃあ、遠慮なく……『運び屋』、荻野秀吉の息子、睦月だ」
睦月の手が、ショルダーホルスターに残されていた最後の
「うちの馬鹿親父が何考えて、おたくの娘
「悪いが、俺が引退した
そこまでは、佳奈と同じ回答だった。けれども、睦月にはさらに踏み込める要素が一つ、残っている。だから次は、
「その女……『スミレ』って名前じゃないか?」
『…………』
一瞬、店内に不穏な空気が流れたかもしれない。けれども、睦月は気にせず話を続けた。
「いや、女の名前までは聞かなかった。というより……聞けなかったな」
「そうか……」
そう答えるや、何故か男は首を傾げてから、指を立ててくる。
「そこの『
「口止めされてるのか、料金吹っかけようとしてるのか……俺が確信に至った範囲でしか、親父のやってることを話してくれないんでね」
「……そうなのか? 婆さん」
今度は男自身が、和音の方を向いて問い掛け出した。しかし、『情報屋』はただ
「少しは、答えてやればいいものを……」
しかし男は、和音に対して非難することなく、顔を戻してきた。
「……で、睦月君はどこまで知ってるんだ?」
「親父が拉致事件の関係者で……
ふと、睦月は『非合法な手段を用いた、拉致被害者全員の救出』について、あえて伏せて答えてしまった。現状では根拠のない憶測だということもあるが、不意に……妙な勘が働いてしまったからだ。
「そう、か……」
周囲の誰も、睦月の話を蒸し返そうとはしてこない。どこまで理解しているのか、その把握度合いを探られるかとも思っていたのだが……今は誰も、会話に混ざろうとはしてこなかった。
「
「……ちょっと待ってくれ」
だから睦月は、眼前に腰掛ける男の言葉を脳裏で反芻する内に、その裏の妙な違和感に気付くことができた。
「それは……どういう、意味だ?」
「言葉通りだ。あいつ……
感情的に、右手で
「……根拠は?」
「こいつは、俺が引退した理由でもあるんだが……
カーゴパンツの上から、男は右足を摩り出す。次いで、足首にまで伸ばした手で裾を捲り上げ、自らの義足を睦月達に曝け出してきた。
「ある依頼を請けた。
どの業界でも、直接指名した上で仕事を依頼されることは、一種の
睦月もまた、最初こそ代理の側面もあったが……個人的に依頼された時は、自分が認められたと思えて嬉しくなったものだ。もっとも、少ししてすぐに、責任感に押し潰されそうになってしまったが。
「俺はそれを請けて……結果、ただ連中から襲撃されるだけで終わってしまった。この足も、その時逃げ出す為に、自分から斬ったんだ」
「……蜥蜴の尻尾切り?」
口を挟んでくる佳奈の声を聞き流し、睦月は顎を振って続きを促した。
「その依頼人……いや黒幕の連中は、仲間内では韓国語を話していた。俺も少しは知っていたから、すぐに分かったよ。で、
「韓国と…………暁連邦共和国」
睦月の回答に、
「当時のあいつは、それを聞いても特に取り乱さなかった。それどころか、
つまり、金銭以外の目的があったのだろう。目の前の『殺し屋』も、未だに当時の思惑を掴めていないのか、それ以上仮説を述べるようなことはしてこなかった。
「俺はその時点で『やばい』と思って、そのまま引退した。当時を含めて、
今……この店に弥生達が居なかったことは、ある意味幸運だったかもしれない。
「『技術屋』と『鍵師』……付き合いはあるか?」
「ああ……あいつ等とも、よく
二人の結末は、どうやら知らなかったらしい。
「一人は自首して刑務所に居る。後は、話に聞いただけだけど……自殺したらしい」
睦月からの言葉に、義足の男は無意識に天を仰いでいた。父親以外の顔馴染み達に思いを馳せているのだろうが、こちらも脳裏で、時系列を整理することに意識が向いてしまっている。
(また、確率
現時点で分かるのは、『スミレ』という女性と出会った後の秀吉が、何らかの形で暁連邦共和国との接点を持ってしまったことだけだ。けれども、未だに可能性が高まっただけで、明確な根拠には届いていない。
「自殺した方は、『スミレ』って人の件を親父に謝罪していたらしい。自首したもう一人も、何らかの形で関わってると思う。ただ……未だに憶測の域を出ていない」
「……根拠がない、ってことか。憶測で物事を語らないのは、良い心掛けだ」
「苦手なんだよ、昔から……憶測に憶測を重ねかねない考え方をするのは」
一つの物事に集中し過ぎると、それしか目に入らなくなってしまう。もしそれで、
だから睦月は、証拠を楔にして思考する癖を付けるようにした。
もう二度と、決して……目的を見失わない為に。
「で、婆さん……答えは?」
「…………」
未だに、和音から明確な返事は出てこない。おそらくは、報酬の問題ではないのだろう。でなければ、すぐに金額を口にするはずだ。そして言葉の代わりに、
「まあ、いい。後は『
「後は……おたくの娘の処遇とかもあるな」
金属音が聞こえてくる。ただし、鳴らしたのは睦月ではない。この場で銃を持っているのは、後は姫香位だろう。
他にも持っている者が居る可能性もあるが……佳奈に銃口を向ける理由があるのは現状、睦月と姫香だけだ。
「正直、いちいち仕事の邪魔をされるのも迷惑なんだよ。それに……毎回
実際、睦月は殺すのを可能な限り、最後の手段にしている。それは昔馴染み達に対しても、決して例外ではない。感情的な面があるのもたしかだが、結果的に
そして今、睦月達が佳奈を殺せば……必ず、目の前の男が動き出す。
「今回の件も含めて、ちょっと落としどころに困っている……どうすれば良いと思う?」
安易な結果を求めれば、逆に多大な対価を支払うことになる。それは人殺しとて、例外ではない。
特に、
「仕事の邪魔をしてくる『
「……
「余計な口挟むな馬鹿、今度から寸止め止めるぞ」
「
睦月の背後から、郁哉の声が飛んでくる。それに振り返ることなく、手振りだけで答えた。直後、義足の男もまた、自らの弟子の方へと問い掛けていた。
「……おい、馬鹿弟子」
「なぁに~?
拘束されたまま腰掛け、姫香がいつ
「次も、
「うん、
もはや、打つ手はない。とでも言わんばかりに、盛大に溜息を吐いてから……佳奈の
「船上からは、『剣客』と一緒に逃げた。
「……次は、殺すかもしれない。それでもいいのか?」
「俺達だって、普段は酒飲んで騒いでるくせに、仕事でかちあう度に殺し合ってたんだ。
その言葉に、睦月の背後から郁哉の声が漏れ聞こえてくる。
「親の代でも、やってること一緒なのかよ……成長がないな」
「俺も思ったけど、いちいち口にするな。そこらの(人見下すしか能のない)馬鹿思い出して、余計に頭が痛くなってくる……」
郁哉にそうツッコんだ睦月は、もう馬鹿馬鹿しいとばかりに、後ろの姫香達に指示した。
「もういい…………そいつの拘束を解いてやってくれ」
そして佳奈の拘束は、郁哉の手によって解かれ……てすぐに姫香が蹴り飛ばしたので、そのまま男の傍へと転がっていった。
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