120 生命(いのち)の価値(その3)
駅から数分もしない内に、かつては贔屓にしていた商店街へと、足を踏み入れていた。
義足ではあるものの、丈の長いカーゴパンツを履いていた為か、上手く周囲に溶け込めているらしい。もっとも、対面した上でならまだしも、通りすがりの人間の
周囲には興味を持たれず、気付かれてすらいない。むしろ、善悪を問わず無意味に関わってこられない分、かえって過ごしやすかった。
(にしても……俺の知っている店は、ほとんどなくなっちまってるな)
引退して以来、二十年以上も距離を置いていたこともあるが、それでも商店街の変わり様はすごかった。店舗の入れ替えや
(まったく、またこの
「ヴァッハハハ……!」
耳障りな叫び声と走行音が響いてくる。やっていることはただのスケボーだが、周囲の迷惑を考えずに騒いでいる若者達を見ていると、つい昔のことを思い出し……口元が緩んでしまう。
(風景は変わっても…………様相はそのままか)
『……あれ? お前生きてたの?』
『死ぬ程じゃなかっただけだ。勝手に殺すな』
ある仕事の後、憂さ晴らしに適当な居酒屋で飲んでいた時に、その『運び屋』と出会った。初対面ではない。仕事中に衝突し、相手が勝って自分が負けた。
もし
『工事現場に誘い込んで鉄骨流し込むとか、
『生き残れたんだから、お前も中々の手練れだよ。俺が知ってる限り、似たようなことができるのは……ほんの数人位だな』
『現実で数人
注文したてで、まだ料理どころかグラスも届いていない。まさか先に、『
『どうせならそいつ等のこと、飲みながら話すか? 連れが今日、都合悪くてな……こっちも退屈してたんだよ』
『……ただで手に入る情報程、ろくなものはない』
まだ開店したばかりで、人が少ない。今腰掛けているカウンターからテーブル席に移れるか、丁度ビールジョッキを運んできた店員に確認を取る。
店員から了承を得た『殺し屋』は『運び屋』に指を振り、テーブルを挟んで腰掛けた。
『
勝てば情報、負ければ何を支払わせられるのかは分からない。それでも、ただ酒を酌み交わすだけで済ませるには、仕事でできた憂さを晴らしきるのは困難だった。
だからテーブル席に移動し、『運び屋』の提案に乗ることにしたのだ。
『……乗った』
もう一つ、運ばれてきたビールジョッキを持った『運び屋』に向けて、黙って自らのものをぶつけた。
結果二人して、酔った勢いで喧嘩してしまった。だが何故か、相手は近くで迷惑行為に励んでいたチンピラ集団だったが。
『……なあ』
『何だよ?』
自動販売機でミネラルウォーターを二本買い、片方を投げ渡してきた『運び屋』は、どこか不思議そうに首を傾げてきた。
『俺達……何やってたんだ?』
『知るか。こっちも驚いてんだよ』
互いに素手、相手はナイフや鉄パイプを持っていた。おまけに酒が入っている状態だったが……相手が弱すぎて、話にならなかった。
得物を持ち合わせていなかった自分もそうだが、『運び屋』もまた裏社会の住人に恥じない実力を見せてきた。
『『運び屋』、お前……いったい何者だ? どう見ても我流じゃねえだろ?』
『これでも『
『……どこまで知ってる?』
偶々手に入れた
それこそ……仕事の仲介を請け負ってくれた『情報屋』にも、だ。
『あの『
『……やっぱり、偶然じゃなかったんだな』
『偶々近くに居た、ってのは本当だ。俺もあの『
互いに酔い覚ましも兼ねてか、水を体内に流し込む。けれども、その『運び屋』はどこかがおかしかった。
理性で持ち堪えているこちらとは違い、あまりにも……酒に溺れている印象がなさ過ぎたからだ。
『酒に強い、だけじゃないよな?』
『言ったろ?
『その辺り、やっぱり
相手の持っていた鉄パイプを杖代わりにして、残ったアルコールでふらつく足を支えてどうにか立ち上がる。その後、壁にもたれてペットボトルを傾けている『運び屋』に向き直った。
『運び屋』もまた、飲み口を放してからこちらを見返してくる。
『……で、お前は何がしたいんだよ?』
『何も。強いて挙げれば……
正直、当時はどういう意味なのか、分からなかった。
その言葉の意味を完全に理解できたのは、『運び屋』やその連れ達との付き合いが長くなり……右足を失った後のことだった。
『いったい、何があったよ? 足を無くす程の相手だったのか?』
『どちらかと言うと……運がなかっただけだ』
裏社会で用いられる診療所の病室に、不意の来客があった。
退屈なこともあって通してみれば、すでに顔馴染みとなっていた『運び屋』が、何故か果物片手に訪問してきたのだ。
『コンテナに押し潰された後での追撃だぞ? 足を斬り捨てなきゃ、とっくにくたばってたよ』
『らしいな……『剣客』から聞いた時は、さすがに驚いた』
『……どんだけ顔が広いんだよ、お前は』
『と言っても、知り合いの範疇だけどな。ここの『医者』と一緒で』
依頼料につられて、直接指名の仕事を請けたのが間違いだった。
相当数の裏社会の住人が呼び出されていたものの、依頼の内容どころか目的すら明かされないまま……襲撃された。
一人逃げ隠れする者、知り合い同士で組んで危機を脱しようとした者、直接依頼人を叩こうとして返り討ちに遭う者もいれば、取り入ろうとして甘言を叫ぶ者もいた。
結果として、右足を失いながらも……偶々利害が一致した『剣客』と組んで、招集された謎の大型船からはどうにか脱出できたのだ。
『お前、何に巻き込まれたんだよ? お前等が乗ったとかいう船、調べた時にはもう沈められてたぞ』
『分からない。ただ……依頼人の中に、韓国語を話している奴がいたのは間違いない』
『
手近な椅子を引き寄せて腰掛ける『運び屋』に合わせて、腕だけで身体を起こして振り向いた。
『となると、
『依頼人が何を考えているのかはもう、どうでもいいさ……俺はもう、
さすがに足を失えば、もう仕事を続けることはできない。幸いにも蓄えはあるので、義足代と老後までの生活資金は十分にある。続けていたのだって、他にやることが思いつかなかったからに過ぎない。
『……依頼人連中に、報復しないのか?』
『規模が分からない上に、相手にするのも面倒だ。
少なくとも、こちらが動けば何かしらの反応を示すだろうが、目立たず生きる分には問題ないはずだ。それに、一個人で敵に回すには……相手が強大過ぎた。
『田舎で適当な土地でも買って、のんびり暮らすよ。しばらく女遊びはできないだろうが……どうせ足を調達しないとならないしな。それ位我慢するさ』
『まあ、お前がそれでいいなら……いいんじゃねえか』
ここまで長い付き合いになると
普段であれば薄情だと思われるようなセリフだが、実際は、相手の気持ちを尊重した上で言っているのだと、理解できる程に。
『じゃあ、俺もそろそろ帰るか。退院するまでに暇だったら、あいつ等連れてまた来るよ』
そう言って立ち上がり、『運び屋』は病室の外へと歩き出した。
『それにしても……』
そして扉の前で立ち止まると、何故か顔だけをこちらに向け、一言だけ残していった。
『やっぱりお前……『殺し屋』ってより、『傭兵』の方が向いてたんじゃないか?』
……また、理解するのに時間の掛かりそうな言葉を残されたと、当時は思ったものだ。
きっかけ自体は、些細なものだった。
義足生活にもようやく慣れ、現役の時よりは劣るが、
その時に、偶然出会ったのだ……
『…………何やってんだ、お前?』
……後に、弟子となる少女に。
しかし徐々に……その少女が、周囲の他者どころか自分とも
『熊が出るようになった、とは聞いていたが……』
大方、山中に食べられる物が無くなってしまい、餌を求めて人里へと降りてきたのだろう。下手に小賢しい人間よりは、力任せの動物の方が御しやすい時もある。通じる手段さえあれば、『殺し屋』にとっては依頼された
問題なのは……養子として引き取った少女が、訓練用の木槍を構えていたことだ。
『……お前、逃げなかったのか?』
『何で?』
普通なら、恐怖に対して逃げ出していただろう。多少の心得があれば、無意識に普段、訓練した動作を繰り返していたかもしれない。
だが、その少女は木槍の先端を構え、石突の部分を
『生きたいから、相手を殺そうとした
『みたい、だな……』
生き残る手段を模索し、すぐに選んで実行する。本来であれば、経験則でしか身に付かないそれができるのは、一種の才能だ。
けれども……その中で、即座に『命を奪う』手段を選べるのは、一種の狂気でもあった。
(そういう、ことかよ……)
熊を殺すのに用いた、
(たしかに……こいつは、生粋の『殺し屋』だな)
以前、酒の席で『運び屋』から、『
『『殺し屋』には、三種類の人間がいる』
目の前にいる少女は、合理性を越えて……『
(どう生き足掻いても、未知を知ることの連続だな……)
かつて、『運び屋』に言われた言葉の意味を、ここにきてようやく理解した。
(俺ならまず、適当に追っ払う。命を奪うのは、その後だ……いちいち殺してたら、
自分が『殺し屋』ではなく、本当は『傭兵』のような生き方をしていたのだと、ようやく気付いた瞬間だった。
「ったく、うるさいな……っ!」
「…………ん?」
少し、過去に思いを馳せている間に、誰かがスケボー集団の間に割り込んでいた。
人目を避ける為か、顔を隠してはいるものの……その動きは間違いなく、
「……ああ、疲れた」
正確な目的までは分からなかったが……少なくとも、周囲を騒がせている者達を
(殺せただろうに……
おそらくは、前に聞いた『運び屋』の息子と同年代だろう。しかも、ただの青年ではない。
そして、この場から去ろうとする青年と、たまたま目が合ってしまった。
「あれ……?」
「……早く行け。
「聞きたかったら商店街の輸入雑貨店に行け。
「……ああ。後で、聞きに行かせて貰うよ」
お互い、裏社会の住人だとは理解しても……無暗に
(『傭兵』、だな……お互いに)
そして再び足を動かし、人だかりができて騒がしくなっている惨状を背に……目的の店へと向かった。
(やっ、べえな……ありゃ)
仕事用に着ている薄手の黒いコートを脱ぎ、覆面代わりに巻いていたスカーフを外しながら……少し離れたビル群の隙間道に入り込んでいた『
(
自らの動きを追ってきた視線もそうだが、状況に応じて微調整されていた体幹や不自由な足……おそらくは、義足か何かを装着した上で、である。
そんな細かい動きができるのは、元が格闘技の有段者か凄腕の軍人……もしくは、戦闘経験の厚い
(後で聞きに行かないとな……予算、足りればいいけど)
また
(また、面倒事か? ……『
「ハァ……」
英治はコート類の入った鞄を担ぐと、厄介事は御免だとばかりに、盛大に溜息を吐くのだった。
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