116 廣田佳奈(その2)

『『過集中状態ゾーンの部分解放』か……たしかに、相性次第だがそのやり方なら、汎用性をかなり高くできるな』

『ふ~ん、そうなんだ……っ!』

 訓練法の一つである、感情の起伏を意図的に引き起こす一環として、消毒済みの針を自らに刺す佳奈の横で、養父は資料のコピー・・・を読み込んでいた。内容自体は槍術でおこなっていた修行法に通ずる部分もあるので指導は可能だが、未経験の分野の為、同じく勉強している状況なのだろう。

『う~……ねえ、養父師匠。もっと他の方法ないの? 映画観るとかさ~』

『映画館連れてっても寝落ちしてるくせに、何言ってやがる』

『え~、じっと観てるの性に合わな……ぃっ!』

『……だったら、最初から提案するな』

 放映アニメ一話分でもギリギリ、しかもじっと観ていられない性分の養女弟子相手では意味がないと分かっている為か、佳奈に課す訓練としては認めることができなかったらしい。こればかりは血筋ではなく、長年の付き合いからくる経験の為か、どう足掻いても反論することができなかった。

『本や映画が駄目なら、後は稽古中の雑談位だが……もう大概話しただろ?』

『『殺し屋』やってたことは、結構後に聞かされたけどね』

『よく言うよ……その時のお前、普通に興味なさそうな顔してたよな?』

 その結果、佳奈に残された感情の起伏を起こす数少ない方法の一つとして、痛覚に頼る他なかった。

『しょうがないじゃん。物心付いて初めて見たのが、両親の首吊り死体だったんだし』

『だからって、人の死に興味なさ過ぎだ。せめて両親の墓参り位、自発的に行け』

養父師匠って親代わりが居るのに? ……あっ!』

 薄情なことに対する躾か、それとも単なる照れ隠しか。

 軽く頭を叩かれた結果、少し深めに針を刺してしまった佳奈が呻くのを無視し、養父は紙束を一枚捲り、ある部分に指を這わせ出した。


『…………『最初から、過集中状態ゾーンに深く入る必要はない』?』


 若干涙目になりつつ、深めに刺さってしまった針を引き抜く佳奈を無視したまま、男は横倒しの義足に肘を乗せ、視線をさらに落とした。

『『一定の動作のみに特化した部分解放とは違い、全体的な解放には肉体的・精神的負荷が高い為、事前に習熟度を高めておく必要がある』、か……』

『ふぅ、ふぅ……つまり、どういうこと?』

『要するに……過集中状態ゾーンに入る下地・・を作っておく必要があるんだと』

 多少の相性や必要となる経験量は人によって異なるものの、大抵は反復行動を繰り返すことで慣れ、熟達するものだ。その度合いを習熟度と言うのだが……過集中状態ゾーンに入る方法もまた、『数多の技術と変わらない』と書かれていたらしい。

過集中状態ゾーンに入ること自体を、普段何気なく行っている動作と同様に当たり前・・・・だと思えなければ、意味がないとさ』

『ふ~ん……いつつ』

『この手の話は、漫画か何かで読んだことがあるな……』

 軽く指を咥え、漏れ出る血を吸いながら、佳奈は養父の話に耳を傾けた。

『偶然入ったからって、二度目以降もまた簡単にできるわけじゃない。必要なのは入りたい意思じゃなくて、何をきっかけにして入るのかを自覚すること。その為に……最初から・・・・身体を慣らしておかなければならない、だとさ』

『う~ん……斧槍ハルバートの刃を当てる時に、無意識でも真っ直ぐ振れるようになるようなもの?』

『……そうだな。お前の場合は、そっちの方が早いか』

 資料を置き、義足に力を入れて立ち上がった男は空いた手を伸ばし、佳奈も立たせてくる。二人して家の外に出て、訓練用に作成した木製の斧槍ハルバートを、それぞれ手に取った。

『訓練している時は、体力が続く限り集中できているんだ。後は、どんな状況でも斧槍ハルバートを手に、過集中状態ゾーンに入るきっかけさえ見つけられれば、』

『……私も過集中状態ゾーンに入れる、ってこと?』

『と、いうより……下地はもう・・できて・・・いる・・と思うぞ?』

 カン、と木槍同士がぶつかる音を合図に、対人稽古が始まる。

『実際……修行中に何度か、似たような状態になっているのを見たことがある。後は過集中状態それを自覚して、入ること自体に慣れていけばいい』

『集中、ね……』

 ――カッ、カカ……カンッ!

 徐々に多く、強くぶつかる訓練用の木槍を意識する度に、佳奈の意識が段々と、目の前の養父に集中するようになってくる。

『……単なる視野狭窄だと思うんだけどな~』

『多分、それは……失敗して・・・・覚えた時の弱点だろうな。そうか、その為の『部分解放』か』

 一定の動作に絞り、解放する瞬間だけ・・潜在能力ポテンシャルを引き出す。下手に解放するということは、制御装置でもある理性すら捨て去るということに繋がる。

 だから、一部の動作に特化した『部分解放』と、意識的な範囲で潜在能力ポテンシャルを解放する『全体解放』の二種類に分類して、使い分けさせていたらしい。

『逆に言えば、だ。集中してかつ、視野狭窄にならない範囲で意識を保てる領域を広げられれば自然と……『全体解放』を身に付けられる、らしい』

『ふ~ん……『部分解放』の方は?』

『あれはただの基本動作で十分だ。調子の良し悪しで振る時の感触も変わるだろ? だから意図的に過集中状態ゾーンに入り、より高い潜在能力ポテンシャルを発揮できるようにして行動に移る、という絡繰りみたいだな』

 カカン、という衝撃音と共に数歩、たたらを踏む佳奈。

『それに……『部分解放』の方も、必ずしも100%とは限らないらしい。ようは普段、抑えている能力ちからを解放しているだけみたいだな』

 どうにか体勢を立て直してから一度、手を止めて養父を見つめた。

『だからだと思うが……あいつに・・・・聞いた・・・限りでは、例の『運び屋』は『部分解放』を多用しているらしいな。運転中に加速装置ニトロを使う時と、蹴りを繰り出す時に』

『と、いうことは……』

 顎に空いた手を当て、視線を上げて考え込む佳奈。やがて、思考が纏まったのか、その瞳は再び眼前の男へと向けられる。


『…………戦闘状態同じ条件に持ち込んで『全体解放』を使えば、勝てるかもしれないってこと?』


 例の『運び屋』が『全体解放』を使えるかは関係ない。

 だが、たとえ使えたとしても、接近戦では戦闘職である佳奈の方が有利だ。後はどれだけ過集中状態ゾーンに深く入り、自らの潜在能力ポテンシャルを引き出せるかに懸かっているが。

まともに・・・・ぶつかるなら、それしかないだろうな……』

 再び木槍が構えられ、対人稽古が再開された。

『残る問題は、相手が『全体解放』を使えるのか? そして……』

『……使えたとして、どれだけ深く入れるのか、っ!?』

 木槍の奏でる音が大きく、重くなってくる。

 眼前の稽古相手養父を見つめながら、佳奈は先程の資料から読み上げられた一文を思い出していた。

(『最初から、過集中状態ゾーンに深く入る必要はない』……つまり、っ!)

 少しずつ、深く入れるように身体を慣らしていく。


 意識的に入れるように、そして…………身体がその負荷に耐えられる程、慣れるように。


『後は、きっかけだな。自分が・・・過集中状態ゾーンに入った状態を連想できる言葉を選んで、叫ぶのが一番簡単らしいぞ。その辺りは空想上の物語ファンタジーで言う、魔法の呪文とかと同じ理屈だな』

『言葉、か……』

 木槍とはいえ、地面すれすれで刀身を振るった途端に、生えていた雑草の一部が舞い散っていく。それを見た佳奈は、何となくだが、ある言葉が脳裏を過ぎっていた。




「さぁて…………『全部刈り取ろうか』っ!」

 よくて三割、制御から外れて向上された身体機能と共に、佳奈は睦月へと飛び込んでいく。

「ちっ!?」

 咄嗟に持ち上げられた、両方・・自動拳銃ストライカーの銃口が、佳奈自身に向けられた。


 ――カチチッ、ダラララ……!!


 向こうも、近付かれてしまうとまずいと感じたのだろう。自動連射フルオートで放たれた5.7mm小口径高速弾の雨が、自らへと降り注いてくる。

(うん…………ちゃんと追い付く・・・・

 ただ、脳によって普段抑制されている状態から三割程解放された佳奈の動体視力・・・・は、睦月の小口径高速弾をしっかりと捉えていた。

 真正面なのも相まって、銃弾に合わせて斧槍ハルバートを構えることで銃弾を弾き飛ばせている。そのまま佳奈は足を止めず、睦月の前へと駆け寄って行った。


 ――…………カチチッ、カシュシュッ!


 そして、銃器全般の大きな弱点……弾切れへと追い込むことに成功したのだ。

「ははっ!」

 もう再装填リロードする暇はないと諦めてか、自動拳銃ストライカーを手放した睦月は右手の順手、左の逆手でそれぞれ小太刀を引き抜き、佳奈の斧槍ハルバートを防いできた。

「ぐっ!」

 けれども、左右で異なる力の入れ方を要求される構えの為、受け止めきれなかったのだろう。睦月もすぐに流そうとしてきたが、佳奈の猛攻に耐え切れなかったらしい。左手側の小太刀が斧槍ハルバートの一撃で弾かれ、地面の上を転がっていく。

「これでっ!」

 振り下ろされる斧槍ハルバート、そして真っ直ぐに振り下ろされる斧刃に合わせて、小太刀の刀身が間に割り込んでくる。

 右手で柄を、左掌で刀身を押さえた状態で防がれてしまうが、過集中状態ゾーンに入った佳奈に力比べを行うのはリスクでしかない。


「……『全部振り切ってやる』っ!」


 だから睦月が、『全体解放・・・・』の手札カードがあれば切ってくることは、容易に想像できた。

「ほらほらっ! そんなもんなの!?」

「ああ……くそっ!?」

 繰り出される蹴りを、咄嗟にずらした斧槍ハルバートの柄で防いだ佳奈は勢いを殺すことなく、後ろへと少し下がった。

(さっきより軽い……『部分解放』よりは、あまり深く入れないのかな?)

 むしろ、下手に『全体解放』をすれば、その反動で身体全体に負荷を掛けてしまうおそれがある。そうなる位であれば、別の手段を取る方が楽だと考えてもおかしくない。

(荻野君に残っている武器は、銃が一丁に小太刀が一本。隠し武器仕込みの可能性を考えても……うん、勝てる)

 その証拠に、互いに『全体解放』の過集中状態ゾーンに入っているにも関わらず、お互いの能力に差が生まれてしまっている。

(ざっと見た感じ、大体二割位かな? これなら力押しでっ!)

 姫香との取引で、『睦月が致命傷を負う』直前に・・・なるまでは、彼女が割り込んでくることはない。斧槍ハルバートに銃弾をぶつけるなんて離れ業をやってのけそうだとは思うものの……何故か未だに、動く気配はなかった。


「――…………『動力伝達clutch』、」


 だからこそ、佳奈は視野狭窄になりかけながらも、睦月への攻撃に集中した。陽動技フェイント無しの直線攻撃、現状の二人にはもはや、男女の力量差すら存在していない。


「――……『変速操作shift up』、」


 解放差三割と二割、戦闘職と『運び屋それ以外』、選択肢としての扱いの違い。

 それらを踏まえて、佳奈はとうとう、睦月に勝てると思った。


「――『二速second』っ!」


 だからこそ、睦月の叫びと同時に跳ね上がった、割解放の小太刀の一撃を受けた斧槍ハルバートを握っていた腕に、痺れが走る。

 そこに間髪入れず、睦月が大きく踏み込んできた。そして、左手に握った最後の小太刀の柄頭を、鳩尾に思い切り叩き込まれてしまう。

「が、は……っ!」

 四割解放に、剥き出しとなった本来の・・・刀身が輝く小太刀の一撃。

 斧槍ハルバートを手放し、地面に転がる佳奈は一瞬、意識を手放してしまう。

 視界が暗転する直前に辛うじて見えたのは、右手に二尺程の肉厚を持つ小太刀。そして左手に、その刃が潰れた刀身から・・・・引き抜かれたのであろう、鍔無しの・・・・小太刀の柄頭を突き出した状態で身を屈めている、睦月の姿だった。




「あ~……負けちゃったか」

 鞘と潰れた刀身という重りを外し、軽くなった小太刀の柄頭の一撃に加え、過集中状態ゾーンの反動でまともに身動きが取れなくなっているらしい。ゴロリ、という鈍い音と共に、仰向けに転がっただろう・・・佳奈が、そう口を開いてくる。

「……で、今の何?」

「何で当たり前みたいに、答えてくれると思ってんだよ?」

「え? だって私可愛いじゃん。それ位サービスしてよ~」

 おそらくは主観でなく、客観的に把握しているのだろう。そう堂々と答えられてしまえば、さすがに納得せざるを得ない。少なくとも、容姿だけでも十分魅力的なのは、睦月も出会った当初から知っていたので、否定できなかった。

「そもそもの話、私を殺させない・・・・・のってさ……私を生かして強姦手込めにする為だと思ってたんだけど」

「まあ、普段ならそうしていたかもしれないが……今回は・・・姫香が段取り組んだしな」

 こればかりは己の信念だけでなく、姫香の眼が光っている点も踏まえて、睦月は佳奈にこう言葉を返す。


「力任せの獣様と違って……人の獲物を横取りする程、恥知らずじゃねえよ」


 同じ牙を持とうとも、睦月は獣ではない。だから、自らの成果でなければ、眼前の獲物に手を出す真似はしなかった。


「それ……私と同じ・・ように・・・仰向けで倒れてなければ、普通に格好良いと思ったんだけどね」

「ほっとけ……」


 そう否定する睦月だったが、同じく仰向けに倒れたまま身動きが取れず、傍に寄ってきた姫香にいいようにされるのであった。

「……おい、姫香止めろこらっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る