117 廣田佳奈(その3)
ようやく、『運び屋』から受けた傷も癒え、身体を動かせるようになった頃だったと思う。
夜中に目が覚めてしまい、少し夜風に当たろうと、佳奈は寝床から起き上がった。髪を
突如、賑やかな話し声が耳に飛び込んできたのは。
『にしても……『殺し屋』だったお前が、子供拾って育ててるなんてな』
『……言うなよ。こっちもこっちで驚いてんだ』
わずかだが、養父である男の声が弾んでいるように聞こえる。酒の力もあるのだろうが、もしかしたら、昔馴染みとの旧交を温めるのに夢中になっているのかもしれない。
佳奈が近くに居るのに気付いているのかどうかは知らないが、二人の会話が止むことはなかった。
『最初は、単なる暇潰しだったんだけどな。まさか、勝手に出てった後に帰ってきて……あそこまで
『そんなもんさ。俺も可愛げのない
血縁の有無を問わず、子育ての楽しさでも共有しているのか……漂ってくる匂いから、養父が珍しく深酒を楽しんでいるのが窺い知れる。佳奈は手近な壁に背を預け、そのまま、ゆっくりと腰を降ろした。
(……心配、してくれてたんだ)
割と、淡泊な関係だと思っていた。
そう考えていた為に、養父のその返答に思わず、佳奈の身体の力は自然と抜けてしまう。
『……それで、お前は
『そうだな……』
養父の問い掛けに、その昔馴染みはゴクリと音を立てるようにして、酒を一度に流し込んでから、こう告げてきた。
『お前んところの
『壁、か……』
昔馴染みからそう言われても、養父は気にせず、盃に酒を注いでいるようだった。
『……まるで、
『
風が、紙束を飛ばそうとしてきたのか、それを抑えようとする強めの音が響いてくる。
『その為に……
『実際、必要だろ? 出足は遅れているが……もし本人にやる気があったら、教えてやってくれ』
『……とっくに答えを出してるよ。『
昔馴染みが、笑っているのが聞こえてきた。ただし、それは嘲笑の類ではなく……どこか、愉悦に満ちていた。
『もう
『…………言わねえよ』
少し、空気が重くなったように感じた。
『もう、必要なことは
『……その為に、
『ま、理想としちゃ……』
縁側から一人、立ち上がる気配がする。紙束が風に靡く音がするところを見ると、どうやら昔馴染みが、帰ろうとしているらしい。
『……後は自分の足で、
声だけだが、佳奈はなんとなく……その昔馴染みが、悲しげに笑ったように思えてならなかった。
『じゃあ、そろそろ行くよ……』
『…………待て』
キィン、と金属音が響いた。
『お前……いや、お前
その時になってようやく、佳奈が持ち出した
『俺が引退した
足音が止まる。佳奈の身体はわずかだが、震え出していた。どうやら、養父と暮らして初めて受ける本気の殺気に、無意識に怯えてしまったようだ。
『別に……大した話じゃない』
その昔馴染みが、養父に振り返ったのかどうかまでは分からない。ただ言葉だけが、佳奈の耳にも届いてくる。
『女が一人、死んだ…………ただ、それだけだよ』
その『女』が、昔馴染みにとって、どういう存在なのかまでは分からない。それに、わざわざ自分の息子の為に、『命懸けの障壁』を作り出そうとする気持ちも理解できなかった。
未熟な部分が残る佳奈にも分かることはただ一つ。昔馴染みの男にとって……それは、
その事実、だけだった。
『随分、本気だったんだな……散々、女遊びしてたくせに』
『ああ……
今度こそ、立ち去っていく昔馴染みの背中に、養父は一言だけ、言葉を掛けた。
『また、機会があれば飲もう…………『
その言葉に、返事はなかった。少なくとも……離れた場所に居る佳奈の耳には、届かなかった。
「お前を生かした理由だけどな……聞きたいことがあるからだよ」
「聞きたいこと~?」
抵抗できないまま姫香に散々弄ばれた後、簡易的な
佳奈の方は今、(姫香の手により、)逆に俯せにさせられている。
「そもそもお前……何で生きてるんだよ?」
「え~……何、その言い草? こんな可愛い
「
こればかりは、爆破解体へと追い込んだ時点で、すでに意識の外へと飛ばしていた。精々反撃を受けないよう、保険を掛けていたはずなのだが……結果襲われたのだから、確認せざるを得ないのだ。
「問題なのは……どうやって情報屋の目を盗んで、今まで逃げ延びられたか、だよ」
「あ~、そっちか……」
ようやく納得できたのか、特に言い澱むことなく答えてくる。
「
「そう、か……」
佳奈を正面に見据える位置に腰掛け、膝を立てる睦月。姫香は背後に立ったまま、右手に
「……それで、その昔馴染みってのは、誰だ?」
「さあ?
「ぶっ!?」
その通り名を聞き、睦月は思わず噴き出した。
「まさかとは思ってたが、やっぱりか……」
「……つまり、そういうこと?」
「ああ……」
佳奈もようやく、その昔馴染みの正体に勘付き、睦月に問い掛けてくる。そして青年は、盛大に溜息を吐いた後に答えた。
「…………
和音に口出しでき、かつ佳奈に対して保険を掛けたこと自体を知っている人間に絞れば、おのずと答えは限られてくる。そして、『
「あの親父……今思い返せば、何か企んでるような顔付きだったが……そういうことかよ」
「というか……何で、『
「……ただ単に、仕事の時に銃を
元々は予備、そしてその予備と用意していた結果、三丁持ちが当たり前になったらしい。そのこともあり、
「それを見た周囲が、親父のことを『
「ふ~ん……
「さあな。ただ……俺
保険の件に関しては、事後報告も兼ねて和音に問い詰めることにして、睦月は次の質問を佳奈に発した。
「次だ……『スミレ』、って名前の女に心当たりは?」
「
「また、確信のない回答かよ……」
どこか疲労感も込めて、落胆する睦月。佳奈が一瞬、
「で、
「うん。
「…………ちょっと待て」
その
「それは、いったい……何のリストだ?」
「え? 『
佳奈の返答を聞いた途端、睦月は思わず天を仰いだ。
夏場ということもあり、すでに空が太陽光に照らされている。だが、今の睦月の気分は、夏の朝日程度で晴れるものではなかった。
「ずっと、疑問に思ってたんだよ……何でピンポイントで、
いくら『
しかも、その資料の中に原本か
「…………全部親父のせいじゃねえか!?」
思わず叫ぶ睦月は、後ろに控えていた姫香の方を向き、慌てて口を開く。
「姫香っ! 他の奴には絶対言うなよっ! 特に『
しかし、姫香は銃口を下げたまま……首を静かに、
「……え、何でだよ? ここにきてまさかの裏切り?」
しかし、(本人が緘黙症であることも含めて、)答えたのは今まで顔を出さなかった第三者だった。
「……
「ふ、郁哉……」
声のする方に振り向くと、そこにはいつの間にか、『
「お前……何で、ここに?」
「たしかに、競合依頼はなかったんだけどさ……」
突然の登場に、思わず言い澱む睦月を無視しながら、郁哉は佳奈の傍に寄って立ち止まり、そのまま見下ろしてくる。
「……
「
今から郁哉を殺して、口封じができる可能性について考える睦月。
だが、いくら姫香が対抗できたとしても確実性はなく、しかも睦月は
結果、郁哉に口止めを頼む方法はただ一つ。
「その女の身柄やるから……リストの件、黙っててくれないか?」
「諦めろよ。俺が黙ってても、どうせすぐばれるって」
そして睦月は、リストがばれることを覚悟するしかなくなってしまった
「そもそも俺もお前も、隠しごと苦手な方だろうが」
「一緒にするな。罪悪感と歩むことにはなるが、絶対に黙っていられる自信がある」
「……罪悪感抱く時点で諦めろよ。別に、親父さんのせいにすればいいだけの話だろうが」
呆れてそう返してくる郁哉に睦月は反論できず、黙る他なかった。
「何~? 面倒事?」
「別件でな……じゃあ、もう解散でいいだろ?」
拘束された状態の佳奈を担ぎ、郁哉はふと、睦月の方を向いて問い掛けてきた。
「そういえば、今仕事終わってフリーだよな……こいつ届ける依頼、請ける気有るか?」
「う~ん……そう、だな」
一度地面に手を突き、後ろに居る姫香と一度視線を合わせてから、睦月は『
「…………お前の依頼人次第だ」
それを聞き、郁哉が依頼人の正体を告げようとした。
けれども……その瞬間、それ以上の声量に言葉が遮られてしまう。
「…………見つけたぞっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます