115 廣田佳奈(その1)
物心が付いた時、初めて見たのは……一組の男女が、宙に浮かんでいる光景だった。
原因は今でも分からないが、家庭環境が崩壊する出来事でもあったのかとは思っている。けれども、自分が付き合う義理はないと考えてか、もしくは単なる生存本能からか、佳奈は手近な鞄を持って家を出た。
街と呼べる程人は居ないが、田舎と呼ぶには助け合う為の人付き合いの深さはない。だから、手近な山へ向かう幼子を見かけても、声を掛ける者は誰一人として存在しなかった。
記憶に残っているテレビの中では、山の中で生活する人達も居た。だからこそ自分にもできると、経験のない子供ならではの怖いもの知らずで、一人生きようとしていた。
実際にはそうなっていないので、本当に生きられたかは今でも分からない。
『…………何やってんだ、お前?』
何故なら、後に師匠となる養父と出会い、そのまま拾われたからだ。
『ねえ、
『……何だ?』
拾われた山の奥に建てられた小屋の前。ようやく二桁の年齢に達した佳奈は木の棒を振り回させられている。そんな中、『師匠』と呼ばれた養父は年季が入り始めた作り物の右足を摩りながら、鍛錬の様子を眺めていた。
『何で私を拾ったの?』
『簡単に言えば……暇潰しみたいなもんだ』
『ふ~ん……』
互いに淡泊な関係だったと、我ながら思ってしまう。どんな手を使ったのか、一応学校には通わせて貰っていたものの、家ではひたすら木の棒を振り回す日々。生活自体に不満はなかったが、満足もしていなかった。だからこそ、そんな疑問が浮かんでしまったのかもしれない。
『……そんなことを言われても、気にしないんだな』
『別に……』
血も繋がっていないのに、実の娘のように接してくれている。もしかしたら理想の女にでも育て上げようとしているのかもしれないが、学校に行っている間に女遊びをしていることは佳奈も知っていた。それどころか、偶に『家政婦』と称して毎回違う女に家事をやらせているので、隠す気すらないのだろう。
『まともに育ててくれるなら、それに甘えさせて貰うだけだし』
少なくとも、源氏物語のように時間を掛けて理想の女を作る程、異性関係に困ってはいないはずだ。だからこそ、佳奈も危機感を抱くことなく、身を任せることができていた。
『それに……何だかんだ、不満はないしね』
『そうか……』
付き合いこそ淡泊かもしれないが、槍術を叩き込まれる以外は過不足なく師として、親として接してくれている。それだけでも、佳奈には十分すぎる程の贅沢だと、学校生活で様々な家庭と触れあう内に理解できていた。
『でも何で、槍術を叩き込もうとしているの?』
『仕方ないだろう……』
師匠と呼ばれた義足の男は、手近な椅子に腰掛けた後で答えてくる。
『……
それなら仕方ないか、と納得した佳奈は再び、木の棒を振り回し始めた。
高校卒業後、佳奈は進学も就職もしなかった。
『進学しなくていいのか? 学費位出すぞ?』
『う~ん……やりたいことがないんだよね』
すでに、高校までの学費を出して貰ったものの、それ以上を求める気にはなれずにいる。今は
『正直、高校まで行けば、やりたいことの一つでも見つかるかと思ってたんだけどさ~……』
『……そんなもんだよ、人生なんて』
最初に槍術を叩き込まれた時は、ただ闇雲に突いたり振り払ったりすることが精一杯だった。けれども、年齢を重ねることにつれて巧みな技術へと昇華している。
もっとも、目の前の義足の男には未だに通用していないが。
『俺だって昔、偶々
『へぇ……どこで手に入れたの?』
『外国の
それが何故、銃器ではなく骨董品に該当しかねない
分かっているのは、目の前の男は中年かつ義足であるにも関わらず、佳奈を上回る実力を有していることだけだ。
『それなのに、その
『その為に努力も苦労もした、ってのもあるが……ある意味、周囲に恵まれた結果だな』
棒を巻き取られ、体勢を崩されてしまう。流れるままに足払いを受けて地面を転がる中、男は佳奈に対して見下ろしていた視線を逸らし、遠くを眺めながら話してきた。おそらく景色ではなく、過去の情景を見つめているのかもしれない。
『商売敵に気の合う奴等が居てな。仕事でぶつかった後に居酒屋で管巻きながら、反省点言い合ってたからこそ……足失くすまで続けられたんだよ』
『ふ~ん……そういえば、すごくいまさらだけどさ、』
この時点でようやく、佳奈は自身を育ててくれた養父の仕事について、興味を持った。
『
『本当に、すごくいまさらだな……』
差し出された棒の端を握り、引き起こされた佳奈は義足の男の職業を、ようやく知ることとなった。
『ありきたりだが…………早い話、『殺し屋』だよ』
勝手に家を出て数ヶ月後、佳奈は養父の元へと帰ってきた。というより、連れ戻されてしまった。
『勝手に
『……見ないでよ。今、すっごい恥ずかしいんだから』
治療を受けた後だからこそ、その怪我具合が尋常でないことが分かる。ガウン型の病衣(下着無)だけの格好であることも相まって、佳奈の心中は羞恥と惨めな感情に苛まれていた。
『さっきお前を運んできた、
『相手の邪魔をすればいいだけの、簡単な仕事だと思ってたんだけどね……』
実際、適当な殺しの依頼は簡単にこなせた。
誰かを殺すことに抵抗はなく、もう何人も手に掛けてきた。余計な恨みを抱かれても面倒だからと、脛に傷を持つ相手の依頼しか受けてなかった分、警察関係には邪魔されることなく成功させられた。
そして今回も、殺しの依頼ではないとはいえ、相手は警察を呼ぶ手合いではない。
そう思って請け負ったのだが……結果は惨敗だった。
『
『相手が目的の為に、手段を選ばなかっただけだろ? よく有ることだよ……
結果、いくつもの屍を生み出してきたにも関わらず……最後は、たった一人の人間に敗北を喫してしまった。
『だから、って……あそこまで真正面から戦わないのも有りなの、って思うけどね』
『人質とかなら分かるが……どんな状況で負けたんだ?』
『……誘い込まれた廃ビルを爆破されて、その瓦礫に押し潰された』
『さすがに……それは初めて聞いたな』
そこまでされたことはないと苦笑いしながら、養父は布団の上で寝かされた佳奈の横に腰掛けた。戻ってきた
けれども、意識が視線の先にある天井へ向けられることはなかった。
『……で、これからどうするんだ?』
『う~ん……とりあえず、怪我を治してからだけど』
口にすることではっきりと、自分のやりたいことを明確に、形へと変えていく。
『…………
佳奈は視線を、天井から再び養父の背中へと戻しながら告げる。
『ねえ、
『別に構わないぞ。どうせ、暇な隠居生活だしな……』
とはいえ、まずは治療を優先させるべきだと、しばらくはリハビリを含めた修行内容について、話し合う日々が続くわけだが。
『……ああ、そうだ』
『ん? どうしたの?』
『昔馴染みから
愛用していた
『まずはその……例の『運び屋』を知ることから始めないか』
どうやらその昔馴染みから、色々と聞いてきていたらしい。身体が動くようになるまでの間、佳奈も暇だからと、養父の話に耳を傾けた。
『まず、その手口からだが……』
身を屈め、
(選択肢を増やしているのは、相手に合わせて対応する為ともう一つ……)
静を貫く佳奈に対し、睦月は動で返してきた。
手元の武器を
「……『全部振り切ってやる』っ!」
(あまり知られていない……
「あ、っぶな……っ!?」
来ると分かっていても、やはり実際に受けてみないことには、その威力を推し量ることはできなかった。情報が少なかったことも有るが、それでも想定以上の威力をぶつけられ、
(…………でも、っ!)
数秒もすれば痺れも取れるだろうが、その間に相手からの反撃を受けるのが怖い。けれども、佳奈は肩掛けにして抱いた
「ちっ……」
睦月もまた、
だが、動かせないのは足だけだったらしい。睦月は無事な腕でウエストホルスターから
――カチッ、ダラララ……!
「甘いねっ!」
放たれる5.7mm小口径高速弾の弾速は秒速700mに近く、音速を軽く超えていた。にも関わらず、佳奈は痺れの取れた手を動かし、睦月からの銃撃を
「くそっ!?」
「ひゅっ!」
右手の
「、っぶな!?」
「これも駄目か……」
ただの蹴りな上に、柄で受け止めたので大した影響はない。すぐに武器を構えたまま、警戒を解かない睦月をそのままににして佳奈は一度、肩の力を抜いて自然体となる。
「ふぅ……」
呼吸を整えて
「……本当、最初から普通に戦えばいいのに」
「肉弾戦は八つ当たりか夜の格闘技にしか、興味がなくてね……」
佳奈が素直な感想を述べるも、睦月の暴言(セクハラ込)にすぐ叩き落とされてしまう。
「大事なのは仕事の達成条件だけだ。戦闘能力も武器の性能も、俺にとっては
「それ……
「……他人事だからな。正直どうでもいい」
話している間に、睦月の左手は小太刀から、もう一丁の
(もしくは、それに見せかけてすぐに持ち換える……とかかな?)
弾幕を防ぐ術がなければ、先手を打って未然に行使させないのが
(しょうがない、か…………
呼吸を浅く、反対に意識を深く落とし、目元を細めてから口角を下ろす。
(…………本気になった、ってところか?)
佳奈の予想通り、睦月は相手の選択に応じて、手段を合わせる算段だった。
もし距離を開けるようであれば弾幕を、詰めてくるのであれば
(まったく、姫香がとっ捕まえといてくれていれば……いや、それ以上は甘えだな)
他人に
(世の親も、子供を育てる時はこんな感じなのかね…………っと、)
佳奈の足が、
どうやら、弾幕を展開される前に妨害する方を選んだらしい。睦月はいつでも意識を切り替えられるよう、
その瞬間……佳奈が、動いた。
予想通り、一気に距離を詰めようと前のめりになってくる。しかし、
「さぁて…………『全部刈り取ろうか』っ!」
……佳奈もまた、
その誤算の為に、睦月は小太刀に切り換える暇もなく、両手に
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