090 案件No.006_旅行バスの運転代行(その4)

 状況は最悪。すぐに出なければ間に合わなくなるかもしれない。

 バスジャックの犯人を手引きした者の目的が分からないのは厄介だが、それを考えている余裕はない。今はただ、狙われているであろう睦月の下へと駆けつけるのが最優先だ。

 だと、言うのに……


「……何で助手席に乗ってるのよ、あんた」


 引っ張り出してきた武装を積み終え、運転席でエンジンを点火させようとした姫香だったが、同時に助手席に乗り込んできた由希奈の方を見て、一度その手を止めた。

「え、でも私……」

「手伝いならもういいわよ」

 実際、他に手を借りられなかった分、姫香の助けになっていた。いつもなら車に詳しい弥生や京子、後は作業パシリ慣れしている彩未に頼むところだが、誰もがすぐに呼び出せるわけではない。

 だから今回だけ・・は、由希奈の手を借りた。けれども、これ以上彼女に頼ることはない。

 何より……

「たしかに、少しは助かったけど……ここから先は社会の裏こっち側の領分。表側の住人あんたはもう帰りなさい」

 ……由希奈は、ただの一般人だ。

 たとえ睦月と交流があろうと、普通の少女にできることはもうない。むしろ危険な目に遭わせない為にも、由希奈にはもう帰って貰うべきだ。

 それ以前に……『足手纏い』、ということもあるが。

「もう大丈夫。これ以上は邪魔だから帰って。後は私が、」

「……できません」

 しかし、姫香に拒絶されたにも関わらず……由希奈は首を、に振ってきた。




 自分でも、内心驚いていた。

 以前は銃声を聞いただけで身が竦む思いをしていたにも関わらず、今回だけは姫香の意に反して、由希奈は頑なに降車を拒んだ。

「元々は、私の方から持って来た話です。それに……」

 言葉にするのは難しい。

 いや、そもそも、人間の気持ち自体が不定形だ。それに名前という形を、与えること自体が難しかった。ただ、これだけははっきり分かっている。

(私、一人だけ…………待つのは嫌だ!)

 これがただの我儘エゴだとしても、由希奈は駆け付けたかった。何としても……睦月の下へ。

「…………はあ、」

 一瞬、姫香の手が動いた気がしたが、すぐに元の位置へと戻されている。だが、由希奈の眼にはすでに、銃器らしきものが手首から顔を出したのが見えていた。

 おそらくは脅してでも、由希奈を引き摺り下ろそうと考えたのだろう。けれども姫香は、手間を惜しんだんだと思えた。

 車から降ろして由希奈の安全を確保するよりも、一刻も早く駆け付けて睦月を助けることを選んだのだと、思えた。

「私はあんたを助けないし、邪魔したらすぐ殺す・・わよ」

 由希奈は、その言葉を簡単に受け入れてしまった。

「構いません……お願いします」

 そこからは早かった。

 ――ヒュッ!

「あっ、と……」

「ちょっと持ってて。手元にあると弄りたくなるから」

 最後に睦月の現在位置を確認した後、姫香は自分のスマホを由希奈の膝元に投げ渡してくる。

 スマホを持ち上げたのを確認した後はもう、由希奈の存在を意識から外した姫香は前を向き、エンジンを点火させていた。

「シートベルト。後……」

 ――ブォン!

 唸るエンジン音を最後に、慌ててシートベルトを締める由希奈に姫香は吐き捨ててくる。


「運転の荒さに関して……苦情は一切、受け付けないから」


 睦月が姫香に運転させないのは道路交通法違反ながらスマホが理由だとは聞いていた由希奈だが……言葉にできない運転技術の荒さに、それ以外の理由があるのではとつい思ってしまった。




(う~ん……やっぱり、車の運転は睦月に任せるのが一番ね)

 別に、車の運転自体は苦に思わない。普段は側車付二輪車サイドカーを乗り回しているので、道路交通法を忘れて間違える等の問題はなかった。

 ただ、睦月が普段『加減を間違えやすいから』とAT車にあまり乗らないように、『手間が掛かり過ぎるから』とMT車の運転にどうしても苦手意識が芽生えてしまう。

 それでも、睦月の下に一番早く駆け付けられるのが仕事用の国産スポーツカーだった。

 車体のカラーを赤にし、『久芳98』の含まれたナンバープレートに替えたので、気付く者が居れば必ず連絡を入れてくる。それが『ブギーマン彩未』からであれば、睦月の正確な位置を調べさせて、把握した所在地へと駆け付けられるのだ。スマホで事前に経路の履歴を見た限りでは、目的地は山間部の奥深くだが、それもいつ変わるかは分からない。

 時折、信号等で停車した時に由希奈から(強引に)スマホを取り返して操作しつつ、姫香は目的地に向けてハンドルを切った。

(というか……運転し辛いっ!)

 多少の汎用性を残しているとはいえ、基本は睦月専用の車なのだ。それ以外の人間に該当する姫香には、なかなか堪える仕様になっている。そもそも、体格差が違い過ぎた。

(これ、着いた時には体力、削れてないわよね……)

 隣で揺れる身体(と不愉快な乳袋)に構わず、むしろ吐かないだけましだと思いながら、姫香はまた一段、ギアを上げた。

「ぅぅ…………っ!?!?」

 助手席で自身のスマホを握り締めている由希奈の小さな叫び声を、完全に無視して。




 ――キィ……ッ

「着いたぞ……ここでいいか?」

 目的地に到着した睦月は、そこでようやくバスを停め、雅人の方へと振り返った。

「エンジンも止めろ」

「はいはい……」

 もう取り繕うのも面倒なので、素で返した睦月はバスのエンジンを切った。

「別に戦うやるのは良いが……一人でやる気か?」

「もうすぐ仲間、……他に雇われた人達が来る。その時には僕達全員で襲わせてもらう」

「その割には、あまり計画的じゃないな……」

 仲間が居るなら、待ち伏せしている場所を指定すればいいはずだ。しかし、目の前のバスジャック犯が指定したのは『人気のない場所』という、睦月がある程度・・・・選べる場所だった。

 仲間が待ち伏せ、もしくは不意討ちしやすい位置を陣取れる保証もないどころか、場所を知り尽くしている睦月が状況を有利に動かしてくる可能性を考えなかったのだろうか。

(なのに、指定したのは俺に有利な状況……いや、)

 何も考えていない、と睦月は最初そう思っていたが、すぐに認識を改めた。


(まさか、俺のことを調べた上で……?)


 目の前の男ではない。そのバスジャック犯を雇い入れた『立案者プランナー』という存在を警戒し、睦月は目を細めた。




発達障害持ち睦月に限らず……人間、有利な状況に追い込まれると大体それに従うってこと、ない?」

「えっと……ありますね」

 停車した車の車体にもたれた姫香は、その隣に座り込む由希奈に向けて、そう話した。

「ただでさえ、人間ってのは偏見を持つ生き物なのよ。しかも、常人とは違う価値観を持ちやすい発達障害ASDなら、周囲の空気を変に感じ取ってなおさらね。だから、不利な状況なら打開しようと考えられるけど……元々・・有利な・・・状況・・なら、それに乗っかりやすいのよ」

 人間が、楽な道を行きたがるのと同じ理屈だ。

 どれだけの数があれど、好きな時に『楽』になる道を選べるのは、人間の特権だ。これが野生であれば目の前の欲望に忠実に従うのだろうが、理性があれば程度の差はあれ、先の行動を予想して予定を立てられる。

 だから、『楽』に目的を果たせるのであれば、たとえ最後に選ばずとも大なり小なり検討してしまう。

「でも、だとしても……睦月さんなら大丈夫じゃないんですか?」

「むしろ逆よ」

 たとえるなら、試験対策で先に出題内容を知っているかどうか、という話だ。

 知る知らないを問わず、試験の範囲全てを勉強している者と、事前に知ったからと、出題内容しか・・勉強しない者では、明確な差が生まれてしまう。

 自身の努力の成果が、その試験以外でも・・・・通用するかどうかという、明確な差が。

 それに、あえて間違った内容を知らされる可能性もある。常に示される道が正しいとは限らない以上、人は自ら考え、前へ進まなければならない。しかし、その『目的』に対する意欲や本人の資質如何では……

「わざと有利な状況を用意して、余計な・・・情報を頭に流し込む。考える内容が多ければ多い程、相手の思う壺よ。罠だと知りつつも結果を優先して思考を放棄し、用意・・された・・・選択肢を選びやすくなってしまうから」

 それを避ける為に、普段の睦月は一度逃げ・・、状況を理解し・・・直す・・ように振る舞っている。だが、『あえて有利な状況に追い込まれる』中、その場を振り切る間もなく戦闘が始まってしまえば……相手が格下でない限り、必ずどこかでボロが出る。

 しかも今、肝心の睦月は武装をしていないのだ。

「今の睦月の状況が分からないと、何とも言えないけど……相手の戦闘能力銃の腕次第では、どうなるか分からないわね」

 いくら新しく出て来た.327口径とて、所詮は回転式拳銃リボルバー用の拳銃弾だ。

 たしかに性能は多少改善され、かつ回転式拳銃リボルバーの装弾数を一発でも追加できる程に口径を絞られてはいるが、威力自体は他の拳銃弾と大差ない。しかも睦月は、拳銃弾を回避する術を地元での戦闘訓練体育の授業で叩き込まれている。

 運転席から立つ間もなく撃たれる、もしくは別に用意された人質とかを盾にして、動きを止められない限りは大丈夫だ。

 だが、逆に……それ等が行われない保証は、何もなかった。

煙幕スモーク手榴弾グレネードの一本でも、持たせておけば……ああ、もうっ!」

 これ以上『たら・れば』を言ったところで、状況は変わらない。

 姫香は思考を切り替え、降車すると同時に持ち出した7.62mm口径の狙撃銃ライフルを構えた。

睦月の銃・・・・、手放すんじゃないわよ」

「は、はいっ!」

 改めて、姫香は自身の・・・状況の把握に努めた。

 撃ち抜かれた車のタイヤ、車体を挟んで向けられているだろう相手の銃口、辛うじて持ち出せた睦月の自動拳銃ストライカーが収められた鞄と、ケースから取り出したばかりで剥き出しの狙撃銃ライフル。事前に身体に仕込んだ武器を合わせても、心許ないことこの上なかった。

「こんな道でも待ち伏せされてたなんて……いや、違う」

 どちらかと言えば、向こうも仲間・・の下へと駆け付けようとして、偶然姫香達に遭遇したと考えるべきだろう。しかし、相手に逸早く気付かれてしまい、こうして待ち伏せされて狙撃されたのだ。

 タイヤを撃たれはしたがどうにか二人して車外へ逃げ出し、こうして車を盾にすることしかできずにいた。

(せめてコンバットタイヤなら……いや、銃声からして対物狙撃弾アンチマテリアルっぽいから、どっちにしても無理か)

 性能を優先させていた為、普段は側面のゴムを強化したタイプのランフラットタイヤを装備している。なので多少の空気漏れにも対応可能だが、肝心の横側を破壊されてしまえば支えきれず、簡単に破損パンクしてしまう。

 本来であれば自衛隊も装備するような、内側にもタイヤを仕込む中子構造のコンバットタイヤを使用し、銃撃戦にも備えるべきなのだろうが……悲しいかな、ここは反銃社会日本。その発想自体が欠けやすくなる。

 しかも、駄目押しでの対物狙撃銃アンチマテリアルライフルだ。その威力はタイヤどころか、並の戦車装甲すら撃ち抜いてしまう。追撃がない理由は不明だが、銃声から予想できる銃弾の候補は全て、背中を預けている車体ボディーを端切れのごとく破り捨てられるものばかりだ。さすがに一発で貫通されはしないだろうが、もし燃料タンクや加速装置ニトロに着弾でもしたら、別の死因で終わってしまう。

 しかし、この状況で追撃がないのは、あまりにもちぐはぐな話だった。

(向こうも扱いきれなくて……反動リコイルの強さで連射できない?)

 走行中の車のタイヤを狙えるのに、狙撃銃ライフルそのものを御しきれていない腕前。まるで攻撃のみを意識して、防御等それ以外を捨てるような所業だ。銃を手に入れたばかりの素人ならまだしも、狙撃の技術がある人間がそれを考えないなんて……

(まさか……ね)

 姫香は発達障害者由希奈を一瞥し、軽く頭を振って思考を放棄してから、次善策の検討に入った。

 とはいえ、手っ取り早い手段は一つしかない。

「ちょっと、スマホ返して」

「あ、はい」

 由希奈から受け取った自らのスマホを操作し、再び電話を掛ける姫香。しかし電波が繋がらないのか、電話そのものが拒絶されてしまう。

 スマホの画面を見て、電波状態を確認した姫香は、諦めて懐へと仕舞った。

「そっちのスマホ、繋がる?」

「……繋がる?」

 主語の抜けた会話の為か、一瞬、反応が遅れる由希奈に、姫香は天空を指差しながら答えた。

「電波よ。あんたの方は電話できるか? って聞いてるの」

「あ、えっと、ちょっと待って下さい……あれ? さっきまで繋がってたのに……」

 スマホの画面を見て、由希奈がそう呟くのを聞いた姫香は、軽く息を吐いた。

電波妨害ジャミングか他の何か、もしくは場所が悪くていまさら電波が届かなくなったのか……どれにしても、彩未と繋がらないのは痛いわね)

 せめて狙撃時の手順スナイプ・プロトコルが使えれば、と思う姫香だったが、ない物ねだりをしても仕方がない。相手が撃ってこないのであれば、その間にこちらも、手短に対処法を考えようと、思考を巡らせるのだった。




 ちなみに現在、当の彩未は叫んでいた。

「あれも駄目、これも駄目、それも駄目……どれも駄目じゃ~ん!?」

 早朝より連絡が来て叩き起こされたかと思えば、何故か『ブギーマン・ネットワーク仕事道具』が絶賛サイバー攻撃を受けているので、対処するのに手一杯な状況だった。

過剰データの一斉送信DDoS攻撃に……総当たりブルートフォース? ちょっとこれ、サーバ内部への攻撃バッファオーバーフローも狙ってないっ!?」

 普段、自分達がやるような外部攻撃を受ける中、彩未はとにかく不正アクセスクラッキングを防ぎつつ、助っ人を探して電話を掛けまくっていた。

 そして現在繋がっているのは、睦月の昔馴染みこと『技術屋』の弥生だったりする。

「弥生ちゃん、助けてっ!?」

『いや~……ソフトウェア方面はボク、そこまで詳しくないから。先に勉強していい?』

「無理~っ!」

 ひたすらキーボードを、周囲に人が居れば明らかに不快感を振り撒く勢いで叩きながら、彩未は弥生に助っ人を頼んだ。

 けれども、他の『ブギーマン』のシステム管理担当全員で当たってもこれなのだ。いくら頭が良くても、俄仕込みでどうにかなる問題ではない。それどころか、弥生の勉強中に彩未の手が追い付かずにサーバダウンし間に合わなくなってしまう可能性の方が高かった。

『しょうがない、か……ちょっと待ってて。駄目元で聞いてみるから』

「誰にっ!?」

 思わず叫んでしまう彩未に、弥生は電話越しにこう答えてきた。


ねえちゃん』

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