069 運び屋達の休日(その4)
女三人寄れば姦しい、という言葉はあれど、必ずしも騒々しくなるわけではない。
同じ席に三人の少女が着いている状況にも関わらず、食事の席には不釣り合いな精神的重圧が圧し掛かっている。その為か、彩未の舌は味覚を感じる機能が停止してしまったらしく、味のない
「え、あ、お……美味しいね?」
それでもなお、無理して食事の感想を言うものの、帰ってくるのはつれない返事のみ。
「ん」
「はい、そうですね……」
姫香が彩未に冷淡な態度を取るのはいつものことなので、いまさら気にも留めなかった。彼女は元々、特殊な環境下で育った緘黙症持ちで、人付き合いに関してはコミュニケーションの
由希奈の場合もまた、
そして厄介なことに……二人は彩未と違い、一人で活動することになっても、まったく苦にしていなかった。無言の
「ごめん……私が耐えられないから、話振っていい?」
幸か不幸か、『ブギーマン』を立ち上げる程には
「好きにすれば?」
「あ……じゃあ、お願いします」
ほぼ流すようにして、面倒事を押し付けてきた。
(これ……もしかして怒っていいやつ?)
集団行動の際、やる気のない人間が他者に丸投げすることはよくある話だが、投げられた側からしたら堪ったものじゃない。場合によってはいない方がましだというのに、状況が
話し合いを円滑に進める為にあえて口を閉ざす者もいるが、大抵の場合は何を話していいのかが分からず、自身の考えも纏まっていない状態にいることが大半だ。それだけであれば、相手に考える時間と検討材料をある程度与えれば、大体何とかなる。
しかし、彩未の目の前にいる二人は違う。それぞれが傲慢と嫉妬の感情に支配され、思考と共に言葉が固まってしまっている。いつ衝動に駆られるかが予想できない分、下手な痴話喧嘩よりも厄介だった。おまけに口だけでなく、一挙一動だけでも状況が動きかねない。
その為、彩未は逃げる選択肢を取ることができなかった。
「とりあえず……一度、話を整理させて」
もう
(今度睦月君に会ったら、思いっきり引っ叩こう……)
心の中でそう決意し、彩未はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「どうせ遅かれ早かれだからぶっちゃけるけど……由希奈ちゃん、睦月君を映画に誘おうとしているの」
「ふぅん……」
「…………っ」
手に持っていたカトラリーを一度皿の上に置き、軽く頬杖を突きつつ、興味なさげな眼差しを向ける姫香。まるで相手にされていないと思い、由希奈の手に力が込められていくのが、雰囲気だけで伝わってくる。
「なのに姫香ちゃんが余裕綽々な態度取っちゃうから、
「……そういうあんたは、どうなのよ?」
そこでようやく、姫香の視線が彩未の方に向けられた。しかしその問い掛けに対しては、諸手を挙げるに留めるしかない。
「私は中立。というか……身体の関係手前までなら、
「適当ね……まあ、『
「一言余計っ!」
思わず立ち上がりかけた彩未だったが、周囲の視線に晒されたことで冷静になり、再度腰を降ろした。
「とにかく……姫香ちゃんは睦月君の女ではあっても、別に恋人とかじゃないんでしょう? だから睦月君が他の女の子とデートしてても気にしていない、っていうのが私の認識。それで合ってる?」
「失礼な……普通に嫉妬はするわよ」
でも止めないんでしょう、と彩未はもう知らないとばかりに姫香から由希奈に視線を移し、説明を続けた。
「そして由希奈ちゃん、先に聞いときたいんだけど……睦月君と、どこまでいきたいの?」
「えっと……駅前のショッピングモールにある映画館に行こうと思っています」
「……由希奈ちゃん。天然でも照れ隠しでもいいけど、その返しはベタ過ぎるからね」
しゃべり過ぎたので一度水を飲んでから、彩未は由希奈に改めて問い掛けた。
「要するに……由希奈ちゃんは、睦月君とどうなりたいわけ?」
少しの間、机上に沈黙が流れた。
どう返せばいいのか、由希奈は内心で考えているのだろう。彩未もまた急かしてしまわないよう、静かに返答を待つ。できるできないに関わらず、無理に相手に何かを強要させれば、問答無用で『できない』に変わりかねない。
実際、『
なので今の内に、少しだけ料理を口に運ぶ彩未。
落ち着く為に、当初の目的である食事を行うことにした。決して、待ってる間は暇だった上に、冷めてしまう前に食べてしまいたいと思っての行動ではない……と、彩未は誰にするでもなく、内心で言い訳を重ねていく。ちなみに姫香は由希奈の方を一切気にせず、興味を無くしたと言わんばかりに、パクパクと食事を再開していたが。
やがて、考えが纏まったのか……由希奈はゆっくりと、自らの考えを、
「私は…………睦月さんを
自らの気持ちを、告げた。彩未と……
「そういえば睦月~……」
「ん……?」
コインランドリーでの洗濯が終わり、弥生を伴って帰宅した睦月が、スッポンの『グザイ』を水槽からバケツに移している時だった。そう声を掛けられたのは。
「……勇太から連絡あった?」
「ぶっ!?」
思わず吹き出してしまう睦月。
無理もない。記憶から抹消してしまいたい相手の名前が、弥生の口から急に飛び出してきたのだから。
「……あいつが何だって?」
「だから~……」
取り外した換気扇にキッチンペーパーを巻き付けながら、弥生は睦月の方を向かずに口を開いた。
「……勇太から仕事の依頼があったか? って聞いてるの」
「いや、今のところないけど……」
噛み付かれないよう、睦月はバケツからすぐに手を抜いてから首を振る。しかし弥生は振り返らないまま、納戸に仕舞っていた洗剤入れの箱から重曹を取り出し、沸騰したお湯の入った別のバケツに中身を入れていた。
お湯と重曹を掻き混ぜながらにはなるものの、ただ黙々とやるには退屈過ぎたのか、弥生の話は途切れずに続く。
「この前
「また
「要望通りの
守秘義務なんてないのか、そもそも口止めすらされていないのか……弥生は
「てっきり、また組むんじゃないかと思ってさ……ほら、丁度ボクが留学していた時に、勇太や
「ああ……『走り屋』のことか?」
睦月にとっては、大した話ではない。
弥生と別れた後の睦月は成人する頃まで、『運び屋』になる為の修業をしながら、
最初は一人で、人気のない公道を走り回っていただけだったが……免許証の偽造を依頼した『
活動こそ、それぞれが本格的に家業に関わるまでだったので短かったが、未だにその
限界という数多の
――『NO BORDER』の異名は。
由希奈にとっての睦月は
恋人という異性交遊が盛んになる思春期に入る頃には、すでに
そして事故に遭い、特待生として入学した高校を退学し、リハビリを経て現在に至る。男性と関わる機会自体は幾つかあったものの……過去にも
「多分、私は……まだ、子供なんだと思います」
姫香のような覚悟もなく、彩未のような潔さもない。
自分を理解しきれず、自身の気持ちすら分からないまま、生き続けるのは辛かった。たとえ相手が、法の外側を歩く裏社会の住人でも、複数の女性と関係を持つ
相手が誰であろうと、どんな立場に居ようと……結局は、自分で決めなくてはならなかった。
その為にも、由希奈には必要なのだ。
睦月のことを、そして……自身の想いを知る為に。
「それなのに……姫香さんは、嫌じゃないんですか? 睦月さんが、他の
だからこそ、由希奈は知りたかった。
おそらくは、一番近い場所にいるであろう……姫香の気持ちを。
弥生の工房も存在する、地方都市から北の方にある工場地帯内に、一つの工場があった。より正確に言えば、経営不振で潰れていたところを、ある男によって買い叩かれたのだが。
「…………」
工場内の人員は今、男を除いて出払っている。休日ということもあるが、住み込みで働かせている作業員達に紙幣を掴ませ、しばらくは戻ってこないように厳命したからだった。
「どうにか……間に合いそうだな」
平均以上の巨体と引き締まった筋肉に、遠目からでも目立つドレッドヘアの風貌。しかし、その指先は力を籠めないように加減して、工場内の中心に鎮座している車に触れていた。
「にしても……面倒な
実際、注文が細かかった。
技術の発展や用途が限られる理由で、今ではほとんど出回っていない
しかし、その代償は大きい。
ただでさえエンジンを二基搭載している上に、さらに『魔改造』を加えられたこの
もっとも、車自体が
「とりあえず、
それが
そして、空いた手に取り出したスマホを握り……どこか女々しく、指を彷徨わせていた。
(……無理しちゃって)
近年の研究でようやく判明したことだが、自閉症の人間が他者と視線を合わせないのは、脳の一部が過剰反応してしまうかららしい。視線を合わせた際に不快感を覚え、ストレスを抱え込んでしまうのだ。だから健常者と違い、ただ顔を合わせることすら苦痛に感じてしまうこともある。
それは
こればかりは、本人でないと程度が分からない。しかし、
不快感からか、微かではあるが眉間を顰めている。そんな彼女を見ていると、覚悟や真剣さが伝わってくるように思えるから不思議だ。
はっきり言って、由希奈の想いに応える義務はない。それでも姫香は、自らの
「もちろん嫌よ。でも、仕方ないでしょう……」
頬杖を外し、顔を上げて……真っ直ぐに見つめ返す。
「私が愛しているのは……
そして姫香は、自らの気持ちを堂々と告げた。
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