065 その手で守れるもの

「……どうした?」

「いや、さすがに緊張してきて……」

 待ち合わせ場所である駅まで、あと少しの所に来た時だった。

 ハンドルを握る睦月の横に座る英治が、妙にそわそわしだしたのだ。運転中なのでつい気になり、思わず口を開いてしまう。

「いまさら気にすることか? 言っておくが仇討ちの件は、多分もう伝わってるぞ」

「お前な……もしかして、案内人ガイドにまで話したのか?」

 そういえばまだ、姫香と英治は顔を合わせてすらいないことに、睦月はいまさら気付いた。

「言ってなかったっけ? 案内人そいつ俺の女だって」

カリーナあいつに伝わってるならどっちでもいいわっ!」

 そう叫んでから英治は顔を背け、どこか拗ねるように頬杖を突き出した。とはいえ睦月の運転も、もうすぐ目的地に到着する。

「そいつ……口は堅いんだろうな?」

 そう、英治は視線を向けないまま聞いてきた。これ以上、余計な話を漏らされたくないからだろう。それに関して睦月はただ一言、


「堅いよ……同じ地元の奴俺達が絡むと、誰よりもな」


 本当・・のことを、告げるだけに留めた。




 ――ブォン!

「危ねっ!?」

 駅近くの駐車場に車を停め、睦月を伴って待ち合わせ場所についた英治の脳天に、ジュラルミンのケースが襲い掛かってきた。

 辛うじて回避するものの、次いで胴体を狙う一撃にはさすがに、勢いがつく前に手を伸ばさざるを得なかったが。

「おっ!? いきなり何すんだ、」

ドイツ語でDeutsch話しなさいっsprechen!」

「…………おっとHoppla

 直前まで日本語で話していた為か、咄嗟に出た言葉もそれだった。

 指摘された英治は慌てて日本語からドイツ語へと脳内言語を切り替える。その間も、暴れるケースを両手で抑え込んでいたが。

「改めて……ちょっと二人で話がしたい。いいか?」

 そう問われて襲撃した少女、カリーナはケースに込めた力を緩めていく。そして英治もまた、ようやく手を放すことができた。

「ちょっと待っててくれ……悪い睦月、ちょっと席外してくれるか?」

 一度はドイツ語に替えたが、睦月と話す為に再度日本語へと戻す英治。

「……で、どれくらい掛かりそうだ?」

 そこで英治は、自らのスマホを取り出して時間を確認する。丁度早めの夕食時で、そろそろ店が混みだす頃合いだった。その為か、考える間もなく睦月の言葉が差し込まれてしまう。

「というか……俺達、もう帰っていいか?」

「いやちょっと待っててくれないか。俺達も送ってってくれよ!」

 これ以上付き合う義務はないものの、昔馴染みへの義理ともいうべきか、睦月は一度後ろ頭を掻いてから、ミディアムヘアの少女の肩を抱き寄せていた。いつの間にか隣にいたことに驚くものの、今は彼女のことを詮索している場合ではない。

「じゃあ……俺達はこれから飯食ってくる。三時間後に車でな」

 そう言って睦月は、少女と共に英治達に背を向けてくる。それを見送ってから、改めてカリーナと向き合った。

「……言い訳は?」

ないnicht


 ――……バチィン!


 駅前に、肉を打つ高い音が響いた。

 ドイツ語に戻して返事をした途端、カリーナに引っ叩かれたからだ。

「人目があるから……ちょっと場所移すぞ」

「……Sche――」

 英治の手はカリーナの口元へと伸び、顎を掴んで言葉を遮る。

「たとえここが日本でも、さすがに訴えるからな」

 一言警告を発し、黙った瞬間を見計らってから英治は手を降ろすと、カリーナのそれを引いた。

 向かう先は駅前の広場、日暮れの中薄暗い街灯のみで待ち合わせ等にも不向きだからか、人も居なければ遊具もない。唯一あるベンチの一つに、英治はカリーナと共に、並んで腰掛けた。

「……殺したの?」

「ただの駆除・・だ。別に、殺した・・・わけじゃ、」

 英治の言葉は遮られる。伸びてきたカリーナの手に顔を掴まれたと思えば、ゆっくりと身体を倒され、膝の上に頭を載せられていた。

「カリー……あぐっ、」

 その頭の上に、さらにカリーナの肘が突き刺さる。しかも軽く膝を持ち上げてきたので、英治の頬に深く突き刺さってきていた。

「私が殺すつもりだったのに……」

「だから、」


「……英治に・・・、殺させたくなかったのに」


「…………」

 僅かな時間、沈黙が流れた。

 英治が黙ったのを見計らってから、カリーナは溜息と共に、ゆっくりと膝を降ろしてくる。

「まったく……私の・・仇なんだから、気を使わなくてもいいのに」

「……人を殺したこともない癖に、よく言うよ」

 だから、英治が先に決着ケリを着けようとしたのだ。

 人殺しは、同じ人殺しに任せればいい。そう考えていたのに、カリーナは髪を梳くようにして、英治の頭を撫でてくる。

「俺の手はもう、汚れてるんだよ……」

「うん……」

 そうしなければ、助からなかった。

「何人も殺した。命を守るだけじゃない、」

 そうしなければ、助けられなかった。

「自分の都合で何人も、何人も殺した……」

「……知ってる」

 銃を、武器を取る限り、そんな状況は何度でも続く。

「それでも……英治は何で、銃を握るの?」

 だからまず、カリーナは英治に聞いた。今でもなお、銃を握る理由を。

「大した、話じゃねえよ……」

 英治は持ち上げた腕で目元を多い、ぽつぽつと話し始めた。

「ドイツに渡ってからも、『傭兵』の仕事を続けた。だが最初の仕事が……楽勝過ぎた」

 実際、相手は弱かった。

 殺し屋としては素人に毛が生えた程度の、ただ武器を持っていきがっているだけの小者。ほんのチンピラに過ぎない。

 だからあっさりと英治に捕まり……あっさりと使い捨てられてしまったのだ。

「護衛の仕事は全うできた。黒幕というか、そのチンピラを雇った依頼主は俺の依頼人が伝手を使ってあっさり潰してのけた。残るはそのチンピラの扱いだが……俺が簡単に捕まえたもんだから、『好きにしろ』って言われたんだよ」

 初めての仕事で、印象深かったこともあったのだろう。

 その光景を、英治は未だに覚えていた。

「殺しても、生かしても良かった。俺にはどっちが正しいかなんて分からない。俺は『傭兵』であって……神様なんてものじゃない」

「……それで、どうしたの?」

 カリーナの手が止まることはない。その間も、英治の過去語りは止まらなかった。


「殺さなかった。だけどな…………俺はそいつを、駆除・・した」


 カリーナの中で、『殺さなかった』と『駆除した』の二言が咀嚼されていく。そして理解した途端、英治の言いたいことが理解できたようだ。

「……殺したのね?」

「ああ……そう、なるな」

 別に、『殺人』と『駆除』を言い分ける必要はない。事実としては、同じことだろう。

 しかし、英治はその時以来、あえて二つの言葉にして言い分けるようにしてきた。

「そいつがまだ、理性のある人間なら殺さないことにした。警告を発して、二度と関わらないなら逃がすことにした。そして……」

「……警告を無視したから、殺したの?」

「理解できないなら、そいつは人間じゃない……ただの害獣だ」

 奇遇にも、生まれ育った環境で、英治は学んだ。

 人は全てが違い、互いを理解できず……中には共存を拒む者もいることを。

「そいつが警告を無視して襲い掛かってきた時から、俺は相手を『駆除する』と、自分に言い聞かせてきた。それから何人も駆除して……殺して、きた」

「そう…………」

 そして、英治もまた、経験から理解していた。

略奪者プレデター』、リーヌス・ゼルゲもまた……『共存できない人種』であることを。

「自分の中で殺しのルールを作っておけば、心的外傷後ストレス障害の一種シェルショックの影響も少ない。殺さなければ、そもそも気負うこともない。だから俺は……その生き方を選んだ」

「銃を……置く道は、なかったの?」

「そうするには、長く持ち過ぎたからな……」

 英治が手放したく思った時にはもう、銃を知り過ぎてしまっていた。

 銃の頼もしさや恐ろしさも。所詮はただの道具であることも。そして……他人ひとが持ち、その脅威が自分に向くかもしれない可能性があることも。

 ガキ大将彼女のような天賦の才能もなければ、『運び屋睦月』のような小賢しい悪辣さもない。

 そんな英治が唯一出来る手段は、『傭兵』としての戦い方であり……銃器の扱いだけだった。

「実はさ……パン屋の給料、結構良かったんだよ。わざわざ傭兵仕事しなくてもいい位にな」

 もしかしたらだが、パン屋の店員として生きる選択肢もあったかもしれない。それでもなお、英治は銃器を手に取り……『傭兵』としての道を選んだ。

 選んで、しまった。

「戦場に出て、ってのは周囲が敵だらけだから病気でもう無理だが……護衛仕事ならできる」


 ――手が汚れている。


 物理的な意味ではない。罪の意識のある者が、人には言えない手段に手を染めてしまう意味で、よく使われている言葉だ。

 その意味で言えば、英治の手はもう汚れてしまっている。

「どうせ汚れているなら……せめてその手で、誰かを守れるように」

 だが……カリーナの手は、未だに綺麗なままだ。

「いい機会だ……決めろよ、カリーナ」

「何を?」


「これから、どう生きるのかを……」


 英治はゆっくりと頭を上げ、カリーナの膝から、ベンチから……傍から遠ざかった。

「俺はこれからも、『傭兵』として生きる。人間は殺さないが、害獣は駆除する。その為に……俺は、銃を握り続ける」

 英治はあえて、懐からカリーナの作った銃アンチノミーを少しだけ抜き、銃身を露わにした。

 万が一、誰かが通りかかって見られたりしないよう、カリーナが確認したのを見計らってすぐに仕舞い込んだが。

「選択肢は無数にある。時間は掛かるが田舎ドイツに帰って『銃器職人ガンスミス』をやるのも、日本ここや他の国に行って、別の人生を歩むのも。だが、今回の件でお前も分かっただろう? ……『銃』が何なのか、を」

「…………うん」

 本来ならば、ここで別れるのが得策なのだろう。しかし、未だにカリーナが狙われる可能性もある。ましてや、英治が原因で襲われることだって考えられた。

 このまま放置するには、長く付き合い過ぎたのだ。

「いつか、お前をドイツあの町かえす。落ち着くまでは日本この国で暮らして貰うけどな……その後は好きにすればいい。その代わり、ちゃんと考えてくれよ」


 ――お前はまだ、手を汚してないんだから。


 英治はそう言い、カリーナに向けて公園の出口を指した。

「……晩飯、食いに行こうぜ」

 カリーナはベンチから立ち上がり、英治の傍へと寄る。そして一息吸い、大きく口を開いた。




「『あんたが私の作った銃それで人を殺した時点で、私の手も汚れているのよ。責任取りなさい!』って言われてさ……それ言い出したら銃器メーカーとか全滅じゃね? どう思うよ?」

「知らねえよ……」

 合流した英治から助手席でそんな話を聞かされ、睦月はハンドルを握る手を、もう少しで緩めそうになってしまった。

 誰がどう罪に問われようとも、直接的に関係がなければ意味がない。睦月にとっては、正直どうでも良かった。運転手という役割を放棄できるのであれば、後部座席に並んで寝ている女子二人に混ざりたいと思えてしまえる位に。

「お前の女だろ? 勝手によろしくやってろよ」

「いや……カリーナは別に、恋人でも何でもないけど?」

 ガタン、と睦月の心の中で、障害物に乗り上げたような音が鳴り響いた。

「……そんな奴の為に、仇討ち代行したと?」

「いや、好意はあるんだけどさ……実際異性として見れるか、って考えると未だに悩んじゃってさぁ~」

タマ賭けてる時点でかなり高ぇよ!」

 一瞬だけ英治の方を向き、睦月は思わず叫んでしまう。

 カリーナが起きてしまう可能性も、姫香が半分だけ意識を覚醒させた状態で盗み聞きしていることも厭わずに。

「たく。これだから童貞は……」

「……いや、さすがに経験あるから」

「じゃあもっと、まともな恋愛しろよ」

「仕方ねえだろ。相手ただの娼婦だぞ?」

 英治は、ただの素人童貞だった。

「……未だに童貞だろうが、それ」

「経験したのは事実なんだけどな……それに、結構エロかったぞ? 大型売春宿FKKとか、遊女屋ビルエロスセンターとか」

「さすが外国ドイツと言うべきか……にしても本当か? そんなまんまな名前の施設」

「あるぞ。仕事・・帰りによく行ってたからな」

 だから進展しないんだよ、と睦月(と狸寝入り中の姫香)は内心毒突いた。

「本当、地元の連中でまともなのが一人もいないな……」

睦月お前含めて、な。にしても……」

 後ろにいる姫香を尻目にしてから、英治は視線を正面に戻した。

「……今も昔も、女とつるんでるのは変わらないな」

「ほっとけ……」

 そろそろ、英治達が今日泊まるホテルが見えてくる。

 そこで英治達を降ろせば、それで睦月の仕事は終了だ。ようやく姫香と二人、自宅に帰ることができる。


「こっちはちゃんと責任取る為に……真面目に働いているんだからな」


 仕事も女も、甲斐性は欠かさないようにする。それが睦月の守る、ルールの一つだった。




「というか睦月……お前、何か妙にさっぱりしてね?」

「……ああ。レストランの予約まで時間有ったから、先にラブホでよろしくやってた」

「マジかよ……この近くにソープあったっけ?」

「繁華街にしかない。しかもこの辺のは近場に競合店なくて客に嘗め腐った態度取ってるらしいから、(病気とは)別の意味で止めとけ」

 そして車を降りた後、英治は(途中から目を覚ましていた)カリーナに、その背中を蹴り飛ばされたのだった。

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