066 運び屋達の休日(その1)
ある雨の日。通信制高校の登校日でもなければ『運び屋』の仕事もない、穏やかな休日だった。
「……なんだこれ?」
朝食を食べ終え、コーヒーを飲みながらテレビのニュース番組を眺めていた睦月の眼前に、一枚の紙が差し出された。紙上にはソファ越しに差し出してきた、姫香の字が躍っている。
その紙を受け取り、記載された家事のリストに一通り目を通した睦月は身体を倒し、ソファの後ろに立っている姫香を見上げた。
「これをやっとけってか?」
コクン、と姫香は軽く頷いてから、シーツの入った洗濯籠を運んでいった。その背中を見送った睦月は身体を起こし、再びテレビに視線を向けながらカップの残りを飲み干していく。
姫香は睦月の女でもあるが、それ以前に『運び屋』兼運送屋の従業員でもある。普段でこそなあなあなところはあるものの、仕事がない時は基本的に休日にしていた。無論、『家事を行う』義務は存在しない。
仕事量と体質の都合であまり参加できないだけで、睦月もまた普通に家事をこなしている。但し、一番家事をしている姫香から指示を受ける形になることの方が多い。
特に、彼女の休日は言わずもがな、だ。
「換気扇と水槽の掃除に、コインランドリーに行って
再びソファの背もたれに身体を乗せ、仰け反らせた状態で玄関近くにいる姫香に声を掛けた。
「お前今日、どこに行くんだ?」
睦月から呼び掛けられた姫香は振り返り、いつも通り
その返事は右手の指二本で作った輪っかを揺らしてから前に差し出し、入れ替えるようにして上に向けていた左掌を引き戻す仕草。
「【購入】」
「つまり、買い出しか……家事じゃないってことは私物か?」
頷く姫香に、睦月は納得したように同じく首肯した。
特段、珍しいことではない。実際、いつも似たようなVネックワンピースを着ているものの、
問題なのは、姫香の指定した時刻が夕方近くであることだ。何を買いに行くのかは知らないが、偶には
「一日中出掛けるのも珍しいな……晩飯どうする?」
どうせ買い出しに行くのであれば、姫香の予定次第では時間を合わせて食料品に取り掛かった方がいい。
その意味も込めて問い掛けた睦月だったが、当の姫香から返されたのは目元まで上げられた右手で、立てた人差し指と中指を突き出してくる動作だった。
「【見る】」
「よく見ろ、って…………これマジで?」
姫香から渡されたリストの買い出し品欄に、大量の生活用品が記載されていた。
しかもよく見ると、渡された紙はチラシで、その裏の白紙部分にリストが書かれていた。スマホ中毒の姫香がわざわざ紙に書き込んでいる時点で気付くべきだったと、睦月は思わず頭を抱えてしまう。
「お前……セールとか拘ってたっけ?」
その問い掛けに、姫香は右手の人差し指を鉤状に曲げた状態で左の掌に載せ、一緒に手前へと引き寄せた。
「【節約】」
「焼け石に水だと思うんだけどな……」
裏社会の住人が節約に拘り出したら終わりではないのか?
そう考えながらチラシの表面を眺める睦月を置いて、姫香はランドリーバッグに洗濯物を詰め込んでいく。一通りやり遂げた後スマホを取り出し、そのまま操作し始めた。
「…………ん?」
自身のスマホが着信を告げたので取り上げ、画面に視線を向ける。相手はスマホ片手にこちらを見つめてくる姫香だった。
内容を確認すると、あるレストランのアドレスと
「別に連れてくのは良いが、先に教えろよな……」
手際の良い姫香に呆れる睦月だったが、スマホ片手に一度指を差されてから、両手を広げて胸の前に持ち上げ、そのまま手首を返してきた。
「【睦月】、【暇】」
たしかに今日は姫香だけでなく、誰かと出掛ける予定はない。仕事もなく、高校の課題も片付けている。おまけに見たい映画の公開日はもう少し先で、他に出掛ける用事も何一つない。
結論として、本日の睦月は完全に暇だった。
「悪かったな……」
断る理由はないものの、勝手に予定を決められてしまうとさすがにムッと来る睦月。しかし残念なことに、それでも姫香の誘いを蹴る選択肢はなかった。
「……というか、この前の仕事の借り返すのはいいけど、ちょっと強引過ぎないか?」
普段なら周到に準備して念入りに楽しむのが姫香のやり方だが、今回は妙に慌ただしさが目立つ。
(浮気は……ないな。他の男がいいなら、とっくに出てってるだろうし)
大量の用事を押し付けて、しばらくの間身動きを取れなくしようと企んでるのでは、と邪推する睦月だった。けれども、深く突っ込むほどではないかと、今回は姫香の好きにさせることに決めた。
「借りを返すには……ちょっと足りないか。臨時ボーナスも付けるか?」
そう提案した睦月に、姫香は札束を一つ掲げて見せてきた。
「ちゃっかりしてるな……ちゃんと帳簿に付けとけよ」
もうその辺りはなあなあで信用しきってしまっている睦月。
しかし……それが間違いだった。
「……え、もう売り切れなんですか?」
「大変申し訳ございません。本日は朝早くからたくさんのお客様にお越しいただきまして……」
引越し後の買い出しに、英治は少し離れたスーパーへと来ていた。丁度オープニングセールの真っ最中だったらしく、節約にもなるかと来てみたのだが時すでに遅し。目当ての商品は全て、開店後一時間を待たずに完売したとのことだった。
「マジか……どうするかな?」
問い合わせた店員からの謝罪に軽く手を振ってから、英治は外に足を向けた。
今日中に商品が補充されないのであれば、ここにいる理由はない。
少し値は張るが、新居近くの大型スーパーに行くしかないと諦めた英治は、トボトボと店の外へと出て行く。今日は一日中雨が降るらしく、徒歩以外の移動手段がない為、安いビニール傘しか頼れるものがなかった。
「くそ、何で今日に限って降るかな……」
先に近場の百円ショップ等で、掃除道具や最低限の生活用品を揃えたのが間違いだったのかもしれない。今頃カリーナは商店街の中にある元ミリタリーショップの掃除に精を出していることだろう。
すでに居住区画の清掃は終えているものの、工房部分はそうもいかない。それ以前に、生活用品が極端に足りていなかった。百円ショップは身軽に買える分、買い置きを揃えるには不向きな面がある。
だから掃除をカリーナに任せて、自分は買い出しにと出掛けた英治だったが……日本にいない期間が長かったので、休日のセールがどういうものなのかを完全に失念していた。
「バスは路線上じゃないから遠回り、タクシーは余計な出費になるし、歩くしか……あ、」
そして英治は見つけてしまった。
買い出しを終え、ワゴン車に
「……おい、睦月」
「ん? ……ああ、英治か」
声を掛けられ、振り返っってくる睦月。そして傘を片手に呆然と立ち尽くしている英治を見て、疑問を返してきた。
「どうしたお前? こんな雨の中」
「その台詞、そっくりそのまま返してやるよ……」
未だに積み込みを続けている睦月の横に立った英治は、ワゴン車のフレームに腕を乗せながら話し続けた。
「天下の『運び屋』様が、こんな雨の中
「現実なんて、そんなもんだよ……」
荷物を詰め終えた睦月がワゴン車の扉を閉めようとするので、英治は仕方なく腕を退ける。
バタン、と音を立てて閉じた睦月は自らの傘を差してから肩に載せ、呆れた眼差しを英治に向けてきた。
「そういうお前はどうなんだよ? 『傭兵』のくせにこんなところほっつき歩いてて……」
「……お前が買い込んだ物目当てだよ。悪かったな」
仕方なく英治は両手を上げ、自らも同じ穴の狢だと自白した。
「なのにもう売り切れとか……他に安い店、知らないか?」
「この辺りは曜日ごとのセールとかがメインで、今日はあまり安くないぞ?」
やはり少し高くなろうとも、近場で済ませるしかないという
「諦めて、大手スーパーの会員登録で地道にポイント貯めとけよ……ますます現実を知る羽目になるけどな」
「そうだな……それで、睦月はこれからどこ行くんだ?」
「いや、家に帰るけど?」
目の前にある車に便乗させてほしい。
暗にそう告げる為に行き先を聞いたのだが、残念ながら睦月には伝わらなかったらしい。
「……途中まででいいから乗せてってくれないか? 正直もう歩きたくない」
仕方がないので、英治は素直に、睦月に頼み込むことにした。
「…………」
考え込んでいるのか、睦月は視線を英治から外してくる。しかし行き先は頭上の曇天ではなく、何故か車の中にある
「いや、さすがに集らねえよ。やれって言うなら運賃代わりに荷物運び位、手伝うけどさ……」
「……いや、今日は別の理由で、その辺りが疑り深くなってるだけだ。気にするな」
とりあえず駅近くまで送って貰うことになり、英治は睦月に続いて助手席に乗り込んだ。
「後、手伝いはいい。その代わり一つ貸しな」
「それは良いけど……何かあったのか?」
何気なく聞いた一言を、英治は少し後悔した。
「……連れの女に
その札束が睦月の
『……おい、姫香』
どうせ出掛けるのなら自分の買い物も、と現金を取り出そうとした時だった。
自分用に貯め込んでいた
睦月は慌てて玄関の方へと顔を出し、スニーカーの靴紐を結んでいる姫香を呼び止めたのだ。
今日は買い出しの為か、ワイドパンツに(睦月の)シンプルなTシャツ、そして上着を羽織っている。
『その金……まさか、俺のじゃないだろうな?』
腰を降ろしていた上がり
『【節約】』
『絶対に違う!』
しかし姫香は睦月に背を向け、半ば逃げるようにして玄関から飛び出していった。
『別に経費でいいだろ……』
姫香に持って行かれた
無論給料もきちんと払っているし、姫香自身にもそれなりの蓄えはあるはずだが……何故か偶に、睦月の
『……何でいつも、俺の
そして延々と聞かされる愚痴をBGMにして、ワゴン車は駅の方へと向かうのであった。唯一の救いは、目的地までそう距離がないこと位だろう。
睦月達の通い付けの武器屋は、別に老舗というわけではない。
オーナーである外国の武器商人こそ睦月どころか、廃村になった地元の人間達が贔屓にしていたものの、その販売窓口である武器屋は新しくできたばかりだった。とは言っても、カリーナ達のように中古物件のミリタリーショップを窓口としているのだが。
――カラン、カラン……
「いらっしゃいませ~」
棚に無数に飾られているモデルガンの山。衣服用のハンガーラックにはサバイバルゲーム用の衣装が並び、サークルのメンバー募集やフィールドの宣伝広告が所狭しと貼られている。
その中で店員は一人、武器商人に雇われている元社畜の女性店長だけだった。
「
「はいはい……ああ、『運び屋』さんところの」
そう言ってショートヘアを揺らしながら、雇われ店長の
「いらっしゃいませ。少し前に入って来てますよ……試されますか?」
「お願い」
姫香にそう言われて、春巻はカウンターの裏にあるボタンを押した。
それだけで軒先にはシャッターが降り、外側の壁の一部が回転して『店員不在』の札と専用の呼び鈴が剥き出しになる。
「では
カウンターの裏にある扉は店の事務室になっていることが多い中、このミリタリーショップには不自然に短い廊下が間に存在している。
その廊下にある壁こそが地下の、本来の武器屋としての顔を隠している扉だった。
「
「
地下フロアは地上の店舗以上に縦長で、短辺の端に入り口や武器弾薬等の商品が並べられている。しかし、間取りの半分以上は試射場に、四半分が暴漢、暴発防止用の鉄柵と防弾ガラス張りの為、並べられた商品は表向きに売られているモデルガンよりも多くはない。
「新しい銃を一通り試射させて。買うかどうかは後で決めるから」
「じゃあ、順番に流しますね~」
試射場の射撃スペース。その一つに入った姫香の目の前に、コンベア式で流れてくる新しい
それらを見て、姫香は…………盛大に溜息を吐くのだった。
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