053 案件No.004_荷物の一時預かり及びその配送(その5)
犯罪組織『セフィロト』。
英治達にも詳細は不明だが、少なくとも第二次世界大戦の時にはすでに存在していた。
世界大戦とはいえ、結局のところは国家間の争いだ。民間にまでその意識が届くかは定かではないが……その実、裏社会でも戦争は行われていた。
戦時中の国際関係に沿ってはいるものの、基本的には日本の犯罪者集団と、ヨーロッパ圏で生まれた犯罪組織との抗争だった。切っ掛けを含めた詳しい経緯どころか、相手がどのような組織なのかは、(組織名に意味がないこと以外は)英治には分からない。
分かっているのは、その組織が英治達の居た地元の何代も前、あの隠れ里ができる切っ掛けになったことと……『セフィロト』の壊滅を目的として、自分達が育てられたことだけだった。
もっとも……
(そりゃ、恨むよな……)
「こんなクソガキが、ねぇ……」
「……油断するな」
リーヌスの呟きに対して、アクゼリュスは遮るように吐き捨ててくる。
「成人どころか中学すら卒業していない子供の時分に、我らが『セフィロト』は壊滅させられたのだから」
「へぇ……マジかよ」
(……嘘だよ、馬鹿)
口を利きたくもないので黙っているものの、英治の内心では呆れの感情が渦巻いていた。
(さすがに
大した絡繰りではないのだが、ここで話すのも億劫だ。なので英治は、すぐに別の話へと切り替える為に、ようやく口を開くことにした。
「つまり、
「お前
だがこれで、リーヌスの次の仕事を知って、あえてカリーナを見逃した理由がはっきりした。
狙いは英治とその昔馴染み達……『最期の世代』だった。
(後で、謝らないとな……)
偶然の可能性もあるが、英治自身もまた、カリーナの両親が殺された遠因だった。だからこそ、リーヌス達の件にけりをつけなければならない。
少なくとも、英治はそう考えていた。
「お前を皮切りに、他の連中も誘き出してやる……覚悟しろ」
「そっちは好きにしてくれ……」
(……とっくに
じりじりと、距離を詰められている。
相手は待ち伏せていたので、二人共完全装備だった。一方、英治の手元にはまともな武器がなく、握っている得物は指弾用に拾い集めた
だから、今の英治に取れる選択肢は……
「……どういうつもりだ?」
……掌を広げ、
「悪いんだけどさ、先にこっちの用事を片付けてからでいいか?」
両手を広げた英治は、そのまま掲げながら、リーヌスの方を顎で指し示した。
「用があるのは
「何だと……」
青筋を立てて怒り出すアクゼリュス。
当然だろう。ただの子供だと侮っていた相手に組織を潰され、挙句の果てには自分よりも、自分が雇った相手の方に意識が向けられている。
……格下だと、見下されたのだから。
「俺はそれでもいいぜ?」
「黙っていろ……この子鼠は私が狩る」
リーヌスの軽口にも乗らず、アクゼリュスは再び、英治が飛ばした
見た目は角錐型の、金属の骨組みだった。一目見ただけでは、手近な鉄パイプを組み立てたような代物だと思うだろうが、実際は違う。
その骨組みの全ては、外向きの刃と化しているのだ。
先程は盾代わりに振り回していただけだったが、今度は全身を覆うように展開している。内側の持ち手を掴んで構え、アクゼリュスは英治を睨み付けた。その集中力、眼力には凄まじいものがあり、リーヌスが数歩避けても、身動ぎ一つしようともしない。
「雇い主はあんただ。俺には関係ないから好きにしてくれ。ただ……」
黙っていろとは言われたものの、リーヌスにも口を閉ざせない理由があった。英治が
だからあえて、リーヌスは英治に問い掛けた。
「……
その言葉に、英治は答えなかった。いや、答える暇がなかったという方が正しいか。
「がっ!?」
角錐型の骨組み刃ごと、アクゼリュスは弾かれてしまう。
そのまま近付いて、いや突っ込んでくる国産のスポーツカーに対して、英治は助手席側から飛び込むようにして乗り込んでいった。
「よし、時間通りっ!」
「暢気なもんだよ、まったく……」
運転席でハンドルを握る睦月は、飛び乗ってきた英治の掛け声に対して、あくまで冷静になろうと操縦に意識を集中させようとしている。
ただでさえ、打ち捨てられた工事現場なんて運転には不向きな場所なのだ。障害物だけならまだしも、尖った釘一本でタイヤがおかしくなる可能性もある。それでも睦月は、アクセルに載せた足を持ち上げることはできなかったが。
「……で、未だに追っ掛けてくるあいつは誰だよ? お目当ての殺し屋にしてはしつこ過ぎる気がするんだが」
人間離れした速度で、白髪の長身痩躯が追い駆けてきている。
いくら加速できない状況でも、人間が車を追い掛けられるなんて、それこそ
「『クリフォト』って知ってるか? 昔潰した『セフィロト』の後釜」
ガン、とタイヤで何かを踏み込んだ振動が響いてくる。だが睦月は意に介さず、即席で生み出された狭い路地をなぞるようにして、ハンドルを切った。
「婆さんの
「少なくとも、恨みは本物だったよ……ケースは?」
睦月は後部座席を一瞥するだけで、運転から意識を逸らそうとしない。しかしその仕草だけで十分だった。
英治は後部座席に身を乗り出し、振動でフロアマットの上に転がり落ちたケースを掴み、身体ごと引き上げた。
「というか、どうせ近くに隠れて時間潰してたんだろ? 俺が来たタイミングで来てくれても良かったんじゃないのか?」
「余計な仕事はしない主義だ。『小さな親切余計なお世話』なんて、よくある話だろうが」
「……相っ変わらずの卑屈さで、かえって安心するよ」
軽口を叩き合いながらも、睦月は運転に集中し、英治はケースの鍵を開けて中身の愛銃をホルスター共々取り出していく。
「弾は?」
「ダッシュボードの中」
英治がダッシュボードを開けると、中には睦月の言う通りに銃弾が仕舞われていた。ただし、仕舞われていたのは専用の弾薬箱どころか市販のパッケージではなく……
「……何で紙袋?」
「悪い……ばら売りしかしてなかった」
市場の流通不足極まる話だった。こればかりは英治も睦月に文句を言えず、とりあえず中身を確認する。
「そもそもアホみたいな口径の銃弾、要求してくるんじゃねえよ。ただでさえ、末端価格えぐい代物なのに」
「……そんなに値上がりしてたのか?」
「たばこ税で値段がつり上がってるこのご時世でも、一発でギリ一箱買える位」
実際、紙袋の中に入っていた請求書に記された金額を見て、英治は紙を押し戻しながら頭を振った。
「……で、どうすんだよ?」
カーナビの電源を入れ、車体後方の光景を画面に映した睦月は、そう英治に問い質す。
「まさか……
「そのまさか」
わざと大きくハンドルを切り、車が急転回する
「そもそも『
「…………」
口を閉ざし、思わず顔を顰める睦月に対して、英治は遠慮なく事実をぶつけてくる。
「お前が
「ふざけんなっ!」
こればかりは、睦月も口調を荒げて反論する。
「あん時は元々、お前等が
「無茶言うな! 『
「だからさっさと逃げれば良かったんだよっ! なのに
――ジャガッ! ガラララ……!
あちこちの資材が、アクゼリュスの
それだけであれば、睦月の駆るスポーツカーには何の影響もないのだが……相手はその金属片を、高速で弾いてきていた。
「……なろっ!」
逃げ道の誘導、回避行動の行き先を制限するのが目的なのは分かっている。だが睦月に、それを防ぐ術はない。まんまとアクゼリュスの思惑に乗るしかなかった。
「ちっ! ……どうせもう逃げられない、か」
だが……それ
「…………英治、足退けろ」
覚悟が決まった。
声音でそれを感じ取った英治は、愛銃をレッグホルスターに仕舞い、ゆっくりと足を降ろした。同時に、睦月はハンドルに取り付けたスイッチを押す。
「中に銃がある。
「ああ、分かった……」
ダッシュボード内の
「
「……
懐に
「しくじれないんだよ……絶対にな」
「……そうか」
事前調査の中には、この工事現場の地図もあった。睦月達が誘導されている先が
だから、もし助かりたいのであれば……選択肢は一つしかない。
「…………さん、」
二人の左手が、それぞれサイドブレーキとドアノブに掛けられた。
「……に、」
二人の間に、言葉は要らない。
『いちっ!』
お互いに、するべきことははっきりしているのだから。
「……思っていたよりも、早かったな」
リーヌスは、『
車の駆動音は、今は響いてこない。
降車してすぐに、リーヌスの元へと向かったのだから。
だが……英治が睦月の状況を知る必要は、一切なかった。
「相棒はいいのかよ?」
「ああ。別に心配してねえよ……」
睦月の言葉を借りるのであれば、英治はこう続けていただろう。
『……小細工は済んだ』
と。
「どこだ! どこにいるっ!?」
エンジンを停める暇はなく、スマートキーで辛うじて施錠するのが精一杯だった睦月は愛車から、アクゼリュスから急いで距離を取った。
ただ、相手が車にも追い付ける速度で移動できる以上、そこまで離れることは適わなかった。
だが……不意討ちでさえなければ、睦月にはさほど問題にはならない。
『ま、お前には関係ない話さ。なにせ――』
アクゼリュスの視界から隠れた睦月の脳裏に、
『――考える暇さえあれば、お前なら簡単に対処できるだろう? むしろ厄介なのは、『
かつて、秀吉に言われた言葉が浮かび上がってくる。
「……本当、気楽に言ってくれるよ」
しかし、その言葉の通りだった。
睦月にとって、
「ふぅ…………」
だから、相手が『
不意討ち
(…………状況を整理しよう)
……『
それが、荻野睦月の戦い方だからだ。
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